「プロになるまでの全て!」Yさん編05

チャンスは来るのに掴めずに失敗する。

自分はこれを繰り返しました。
内容は今思えばすぐに直せたり、フォローできる簡単なことばかりです。

・自分の役を間違えてチェックしていた
・緊張のあまり前日眠れず現場で居眠り
・台本にコーヒーをこぼし、それを言い出せず本番でノイズをたてる
などです。

役を間違えてもセリフは一言しかなかったし現場でやれない事はない。
眠いなら立ってればいいし、
台本汚したら素直に言って変えてもらいましょう。
当然怒られますが本番で迷惑かけるより
周りにとっても自分にとっても100倍マシです。

でも言えなかった。
隠す事ができないほどの事をしているのに、
自分のミス、弱さを自分から言えませんでした。

さすがに危機感を覚え、
先輩主催のワークショップに参加したり
外部の劇団に参加して舞台に立ったりと何とか自分を立て直そうとしました。

この行動自体は自分にとってとても良い経験になりました。

声優は役者の一部とよく言われます。
ここまでの自分は「お芝居」というより
「声優」に意識が向いていて、
この二つが同じものの違う側面である事を全く理解していませんでした。

ここから少しずつ「お芝居」の面白さを感じ始めました。

そして

ここで後々まで自分に大きな影響を与えるある人物

「Tさん」

に出会っていたのです。

Tさんは養成所の同期なのですが、その後Tさんも所属になり同僚になりました。
正直、養成所の時はこれといって印象に残っていません。

所属になり先輩のワークショップでも一緒に稽古をして、
ここでいろいろと話すようになりました。

これは自分にとって奇跡の出会いでした。

しかしTさんの存在が自分に影響を与えるのはもっと後の事です。

この時点での自分は、
とにかくいろいろやって少しでも実力をつけ自信を取り戻そうとしていました。

しかし失敗を繰り返す。

お芝居の実力は確実に付いていきました。
先輩からも褒められました。
それでも失敗する。
お芝居が原因ではないからです。

こういった失敗から現場で、
「自分は間違っているのではないか?」
「何か失敗するのではないか?」
と疑問や不安に囚われるようになりました。

この当時の自分には「理想の自分」がありました。
小さい仕事をもらってバーンと決めて次に大きな役で大抜擢!!︎
みたいな大ざっぱで浅い妄想です。

それは頑張るエネルギーにもなりましたが、
失敗すると「こんなはずはない」と現実逃避するエネルギーにもなったように思います。

それまで前に進むのに使っていたエネルギーで
全力で後退しだすのですからかなりの勢いです。
あっという間に自分は自信をなくし、
やればやるほど不安になっていきました。

原因は自分の間違った考え方なのです。
専門を卒業してすぐに所属になった自分は
「仕事をナメていた」のだと思います。

それに自分が「できない」事を認めたくなかった。
自分は芝居ができる、できていると勘違いしていたのです。
だからもう現場でバンバン仕事ができる!!︎
もう自分はプロだ!!︎
と思い込んでいました。

なのに失敗する。
こんなはずはない。
自分はできるんだ。
これはたまたまだ。
失敗した事実を認める事ができませんでした。

だから失敗は止まりませんでした。

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「プロになるまでの全て!」Yさん編04

自分はとても単純で調子に乗りやすいのです。

プレッシャーに弱く失敗すると心がへし折れますが、
上手く行くとすぐに調子に乗るというのを
交互に繰り返し始めるのです。

というのも、調子に乗っている自分は必ずと言っていい程
変な所でミスをするのです!!︎

例えばスタジオの場所を時間前に確認して、
別の場所で時間を潰し、
いざスタジオに入る時間になって行こうとすると
場所を確認したのになぜか道に迷ったり

オーディションを受けに行って帰る時、
気に入られたので先方から
もう一度別のオーディションを受けて欲しいという連絡が事務所経由で来るも、
着信に気付かず連絡が遅れたり

いい結果の後に本当にあり得ないミスをしました。

これはちょっと気を付ければ防げた事です。
本当にくだらない。

しかしプロとして仕事をする以上
絶対にやってはいけないとても基本的な事です。

めちゃくちゃ怒られました。
当然ですね。
また当時の自分を殴りたくなってきました。
タイムマシンが欲しい。
今なら腰の入った良いパンチが打てそうです。

あの時、ほんの少し一般常識を身につければ
仕事は多分増えていったでしょう。
このあと起こる大惨事も当然なかった。
どうしていいか分からず五年間もふらふらする事もなかった
という愚痴が溢れてきます。

「プロ」として「仕事」をする以上、
社会人としての一般常識は当然必要です。

確かに昔は破天荒な役者がたくさんいて、
常識からかけ離れた行動を取ることも多かった。
しかしそれは、
それでもその人が必要になる程の腕があったからです。
あとそういう時代だった、というのもあるかもしれません。

自分はセンスがあったと思います。

でもプロの世界は
「センスがある人が集まっている」世界です。
プロになっている人はみんなセンスがあるのです。

だからその世界では、
自分のセンスはそれ程大したものではなかった。
センスはあって当たり前なのです。
当時はこんな当たり前の事が全く分からなかった。

自分はこうしてとても短い間に失敗と成功を繰り返しました。

自分でもこの変なサイクルにはまっている自覚はありました。
そして気を付けようとしていました。

しかしそれでも直せなかった。

事務所からの電話にすぐ出られるよう気を張って気を付けようとする。

しかし、待ち望んでいるのに一ヶ月くらい仕事の電話がないと
「仕事来ないな」
と、ふと気持ちが切れるのです。

その瞬間に電話が来る。

冗談でも何でもなく本当に気持ちが切れた瞬間に電話が来るのです。
それが何度もありました。

自分でも
「なぜこのタイミングで!?︎」
とパニックになる程のパターンになっていました。
苦しかった。

常識が身に付かず、事務所に迷惑をかけ続けました。
そろそろ当時の自分を◯ろしたくなってきました。

しかし!!︎
自分でも不思議ですが
こんな状態でもいざというチャンスの時、
良い結果が出てしまう。

大きいTVCMのオーディションに受かったり、
事務所が外画・アニメに進出するために
ディレクターワークショップを開けば
自分が真っ先に仕事をもらったり。

おかしなサイクルにハマりつつも家での練習は欠かさずやっていました。
こんな仕事がしたい!!︎と借りてきた映画を見ながら
セリフを真似したりする事自体が楽しかった。

だからまだどこか心の中に、
「自分はできるんだ!!︎」
という根拠のない自信が残っていたのでしょう。
この自信自体は必要なものだったのだと後々わかります。

しかし肝心な事が抜けていた。

失敗から学び、それを改善する
という事です。
それができれば、
その先に大きな成功が見えていたのです。

ですから自分は、
やはり失敗するべくして失敗するのです。

「プロになるまでの全て!」Yさん編 記事一覧

「プロになるまでの全て!」Yさん編03

事務所に所属し、プロ声優としての第一歩を踏み出しました!!︎

さっそく心が折れました!!︎

専門学校を卒業してすぐに、
コンテストで賞をもらった事務所に所属になりました。
当時にしても珍しく、その事務所には養成所がなかったため
いきなり正所属として入る事になりました。

とはいえ自分は専門を出ただけの素人です。
当然ナレーションや演技の技術を求められる仕事はできず、
いわゆる素人っぽさを求められる仕事をもらっていました。

なにせ本物の素人ですから。

それでもちゃんとギャラをもらえました。
1日バイトするより多くです。

今考えればかなり凄いことです。
事務所もある程度期待してくれていたのだと思います。

勘違いしましたね。
人生簡単じゃないか!!︎と。

しかしとあるCMのオーディションテープを事務所で録音した時、
衝撃的な事が起こりました。

ある先輩が、自分がやろうと思っていた事を
自分がやるよりもっと魅力的にやっていたのです。

自分が、こうしたいと考えた事が
自分が考えた以上のものになって
目の前に現れたのです。

ショックでした。

今考えれば当たり前の事です。
先輩が自分より上手いのは当たり前なんです。
それでも当時の自分は根拠のない自信があり、
自分の考えている事は最高だと本当に思っていたのです。

それが簡単に覆された瞬間でした。

結局オーディションは落ちました。
ここから自分は、自分のやる事に疑問を持つようになります。
プロという世界に入ってすぐに自分の力のなさを思い知る事になりました。

前よりもいろいろ考えて、家での練習に精を出すようになりました。

結果的にこのオーディションのお陰で自分はずいぶんましになったように思います。
自宅で録音出来るようにマイクを買い、
当時はカセットテープでしたが何度も何度も何度も録音し聞き直し
自分が納得するまでそれを繰り返し練習していました。

誰かに習ったわけでもないので、
テレビで見た自分の好きな映画・アニメやCMをマネしたものがベースになっていました。
かなり狭い範囲ではありましたが、
その狭い範囲を繰り返し練習し特化していきます。

練習のおかげかぽつりぽつりとオーディションに受かり、
小さなCMのナレーションをやる事ができるようになります。

この時は、ブースの中で原稿を読むことが
以前よりもっと楽しくなっていました。

いわゆるアニメ声優を目指して専門学校に通ったものの、
演技の授業のないラジオパーソナリティー科に行き、
ナレーション系の事務所に入って、と当初の目的とは少し方向が違ってきていました。

しかしディレクターの要求はあるものの、
一人の世界にどっぷりと浸かり絵に合わせて
ナレーションを入れる事はとても楽しく気持ちよかった。

その瞬間は本当にCMの世界に入り込んでいるような感覚でした。
この状態はある種の説得力があったのか、
割と評判が良かったのです。

業界に入ってすぐ自信を砕かれた自分でしたが、
これでまた自分はできる!!︎と思い始めます。

さらに専門を出ただけの自分を鍛えるため、
事務所からの指示で、新設された付属養成所に行く事になりました。
そこでは自分だけ所属した状態で養成所に通うという妙な立ち位置になりました。

他の人達は所属するために自分をアピールしようと必死です。
しかし自分はそれがない。
このプレッシャーのなさがプラスに働き、
自分は伸び伸びと学んだ事を実践していきました。

おかげで評価が良かった。
周りからも、所属という立場と結果で一目置かれるようになります。

だがしかし
これが逆に良くなかった。

「プロになるまでの全て!」Yさん編 記事一覧

「プロになるまでの全て!」Yさん編02

専門学校の授業は発声や朗読など、
科は違えど内容は声優に近いものがけっこうあり
専門学校から斡旋された寮に帰ると毎日滑舌や発声を楽しくやっていました。

しかし、授業はかなりサボりました。

理由は、
・朝までゲームをやっていて眠かったから
・嫌いな授業がある
の二点です。
欠席の連絡をする時、理由は風邪になります。
その時「演技」をしてました。

咳をしてか弱い声を出しクラス担任を騙し、電話が終わると即睡眠です。

寮とは言え実家から出た事で、いろいろタガが外れ
ゲームやCD、漫画を買い漁り
蕎麦屋を巡りどこが美味いだのと言い
今の自分から考えると、死ぬほど遊び回ってました。

この時少しでも貯金していれば…
あんなに蕎麦を食べ歩く必要などなかった。
あの時の自分を殴りたい。

自分はめちゃくちゃ不真面目でした。
そのくせ授業で他の人が先生に褒められると、
やたら対抗意識を燃やしてやっていました。

そしてなぜか、
自分はできる‼︎
と、思い込んでいました。

ほんとなんででしょうか?
根拠は全くないのに自分は才能があり、
できる、できてる‼︎と思ってました。
バカは怖いですね。

自分通ったのは声優科ではないため芝居の授業は全くありませんでしたが、
ラジオパーソナリティー科なのでCM原稿を読んだりしました。

これがやたら楽しかった。
題材は土石流が流れてくる災害映像のナレーションだったりしたのですが、
内容に対して不謹慎なのですが
映像に合わせてナレーションを入れる事が楽しくて仕方なかった。

正直、専門学校の授業自体は特にためになった事はありません。
自分が入ったパーソナリティー科は一クラスだけで
人数は10人というオマケみたいな科で、
当時ブームだった声優科は確か30人10クラスくらいあったと思います。

教室も、声優科は校舎の3~5階にあり広かったのに
パーソナリティー科は半地下の狭い教室でした。
よくクラスメイトと愚痴ってました。

こんな状況でしたが専門学校生活は楽しかった。

当時は知識がなくわかりませんでしたが、
この専門学校はもともと服飾系の学校から規模を拡大してきた所で、
声優科やパーソナリティー科はできたばかりで実績があまりありませんでした。

そのため事務所につながるラインと言えば、
卒業時のオーディションで養成所合格になる程度でした。

つまり始めから養成所に行った方が良かったのです。

そんな事も知らず入った自分は、
「専門学校を卒業したら一年浪人して事務所に入る、て感じか」
と、また「なぜか」思い込んでいました。

これ今考えても意味がわかりません。
どうしてそう思ったのか…うーん

2年目になり、卒業後の事を考え始める頃
クラス担任が声優雑誌に載っていた
あるナレーションコンテストの事を教えてくれました。

別に専門学校とつながりがあるものでもなく、
あくまで外部のコンテストを担任が探して来ただけです。

クラスの何人かと自分が応募してみる事にしましたが、
誰一人真面目に先の事を考えていたわけではありません。

自分は、賞金が欲しかったから応募しました。
確か金賞で10万だったはずです。

カネです。

すると後日「銅賞に入りましたよ」と電話がかかって来ました。
銅賞は3万です。

なんだよ銅賞かよ、と思っていたら
「事務所に入らないか?」
と言われました。

事務所?
どこの?

この時説明されて始めて知ったのですが、
このコンテスト
とある中堅事務所が新人オーディションも兼ねて開いていたのです。

賞金しか見ていなかったので、どういう所が主催か全く知らなかった。

そして、その事務所の事も全くわからなかった。

当時の自分は声優には詳しくても
声優事務所は青二、バオバブ、シグマくらいしか知りませんでした。
ミーハーな人間なんてそんなもんです。

とりあえず後日、その事務所に行って面接する事になったのですが
正直怪しい所ではないかと疑ってました。
急に「事務所に入らないか?」とか言われても
得体の知れない所に入って騙されるのではないかと本気で思ったのです。

声優事務所の事を知らないくせに、やたら警戒したのを覚えています。
しかしクラス担任が事務所の事を調べてくれ正体がわかり驚きました。

なんと自分が大好きだった
とあるアニメのメインキャラを演じた人がいる事務所だったのです‼︎

ビビりました。

自分は臆病な人間です。

注目されないと目立とうと張り切り、妙に良い結果を出したりしますが、
注目され期待されるとビビって失敗するのです。

この時、まさかそんな有名な人がいる事務所だとは思っていなかったので
震えるほどビビりました。

面接の日、自分はスーツを着てガチガチに緊張して行きました。
社長には
「スーツなんか着てこなくて良かったのに」
と笑われました。

自分は終始「はい」「いいえ」くらいしか言えず、
社長が履歴書を見ながらいろいろ質問された事に答えるだけでした。

事務所での面接が終わり数日後、
「専門学校を卒業したらウチに来て下さい」
と連絡が来ました。

こうして自分は、「声優」という業界に足を踏み入れたのです。

ちなみに自分が大好きだった声優さんは、
すでに移籍してその事務所にはいませんでした。

「プロになるまでの全て!」Yさん編 記事一覧

全力新連載「プロになるまでの全て!」Yさん編01

男性声優 Yさんをご紹介します。

全力新連載「プロになるまでの全て!」
第1回に登場してくれるのは、男性声優Yさんです。

彼はいつの間にか「週平均7~9本」もの仕事をこなす
人気声優になってしまいました。

韓流ドラマ吹き替えの主演をこなしたかと思えば、
最近は、様々なシリーズ物に主演し始めています。

また、彼を信頼して仕事を任せるディレクターがすでに数名おり、
そのディレクター達の話しによると
「彼はどんな球を投げても、必ず受け止めてくれる存在」なのだそうです。
それは、たぶん嘘だと私は思っています(笑)

しかし、それが現実なのか、彼の仕事は年々確実に安定してきています。

その結果、各クール事に持つ数本のレギュラー番組をベースにしながら、
新しい仕事を広げて行くという、声優として理想的な環境を手に入れつつあります。

彼は今でこそTOP声優達と素敵なバトルを繰り広げながら、
日々の精進も忘れない、充実した声優ライフを送っています。

しかし、彼がこの場所にたどり着くまでには、
本当に信じられない程の、深い挫折と苦悩がありました。

これはまさに「困難に次ぐ困難を超える」物語です。

「本当にこんな事が、現実の世界で起こるのだろうか?」
「なんだそれは?マンガでも聞いた事がないぞ!?」

そんな事の連続でした。

自分の才能を信じ、あきらめなかったYさんは、
一体どう考え行動したのでしょうか?

彼の経験に耳を傾けながら、一緒に学んで行きましょう。

APH代表 茂 賢治

声優になろうと思いました。

自分は元々絵を描くのが好きでした。
漫画、アニメも大好きで放送しているものはジャンル問わず全て見ていました。
小学生の頃は漫画家になりたいとか考えてましたが、
姉の方が圧倒的に絵が上手く
「コイツには勝てない」
と諦めました。

高校で進路を決める時、
「声優になろう」
と思いました。

別に演劇部ではなかったし、
芝居に興味があったわけではありません。
声優的な要素といえば、
国語の授業で文章を読むのが上手いと先生に褒められた事くらいでした。
とにかく漫画やアニメにかかわる事がしたいと思ったからです。

声優という仕事自体は声優雑誌、アニメなどを見てよく知っていました。
今でも尊敬する神谷明さんをはじめ、
当時の声優なら声を聞いたらすぐに誰かわかるくらいには好きでした。
あとは何となく楽しそうだなくらいの気持ちでした。

声優は自分の顔を出しません。
アニメや海外の俳優の声を当てます。
自分とはまったく違う人間になれる。
当時の自分は、アニメで見て憧れた主人公
ヒーローになりたかったのだと思います。

しかし漠然とした考えで、強い想いがあったわけではありません。

その割には専門学校に行く際に、
親に対して人生初の反抗をしたりと結構強情に押し切りました。
父は大学に入って欲しかったらしく、
強く反対してきたのですが、それに対する反発もあったと思います。

本当に思い付きで何も深い理由はありません。

単純に勉強が嫌いで大学に行きたくなかった、
楽しい仕事がしたい、好きな事がやりたい。

ずいぶんワガママな理由だと今は思います。

そして専門学校に入ろうと考えたのですが、
ちょっと調べて見つけた所に行こうと思いました。
これも今思うと完全にカモになりに行くようなものです。
よく事務所につながったなあと驚きます。

この専門学校にしようと思った決め手は、
夏の体験入学があり、とある超実力派有名声優が講師に来ていて
それに参加したからです。

この人のファンではありませんでしたが、
あるSFアニメの主人公を演じられていて
そのアニメが大好きだったのです。

参加してみた結果、

凄かった。

三時間の特別授業で題材は、
「あめんぼ赤いな~」というヤツです。
参加人数は20人くらい。

三時間の授業で二人しか見てもらえませんでした。

まず話が長い。
30分以上喋ってる。
やっと始まってみると「あめんぼ~」
くらいで「違う‼︎」と止められる。
そこでまた話が始まる。

今ならある程度止める理由も理解できますが、
当時はなぜ止められるのか?全くわかりません。
最初に読んだ生徒はどんどん追い詰められていきました。

教室が異常な緊張に包まれる中、二番目の生徒がカ行を読み「違う‼︎」と止められ
気付いたら生徒二人でア行・カ行を読んで三時間が過ぎました。

自分は全く見てもらえませんでしたが、
「なんかわからんが凄い‼︎」
と妙に強く感じました。
そして「ここに入ってあの人に教わる‼︎」と決めたのです。

しかしいざ声優科に願書を出してみると

落ちた‼︎

高校の先生は、
「推薦があれば入れるだろ」
と言っていたのに…嘘つきやがった。
さすがに焦りました。
受験勉強などしていない。
高校三年の最後の半年はずっと授業中寝ていた。
そもそも高校入学後半年で、成績は下から三番目。
卒業間際のこの時期までそれをキープしてきました。
まずい。

すると専門学校から
「入学金10万安くするからラジオパーソナリティー科入らない?」
と電話が来ました。
もちろん「入ります」と即答しました。

親には「何で⁉︎」と言われました。
そりゃそうですよね。

なんかもう東京に行きたい、家から出たいだけだったような気もします。

声優科ではありませんが一応専門学校に入りました。
あの人に教えてもらえる‼︎と思っていたら、

ご本人主催の養成所を作りやがった‼︎

体験入学は宣伝のためだったらしく
専門学校の廊下に養成所のチラシが置かれていました。

そして特別講師にも来やしねぇ‼︎

騙された‼︎

しばらくテレビであの人の声を聴くと無性に腹が立ちました。

「プロになるまでの全て!」Yさん編 記事一覧

「プロになるまでの全て!」Tさん編18

落ち着いて冷静に考えたら、断られることなんて当たり前なのに、
どれだけ純粋バカなんだろうか。

目の前のことに一喜一憂して、良いことがありそうだと思ったら、
悪い癖ですぐ浮かれてしまう。

プロデューサーと面接できる!
それだけで私は大空を羽ばたくような気持ちだった。

・・・けれど、本当はどこかで「だめなんじゃないか」ってわかってた。
でも、それを意識したら本当にだめになってしまう。
だから、そこを見ないようにして、「大丈夫」と自分に言い聞かせる。

他のオーディションも同じ。

確率0.0000001%の勝率に賭けて、
受かってるって自分に思い込ませる。
結果、何度落ちてきただろう。

ダメな所に見向きもせず、根拠のない自信だけで、
力尽くで受かろうとして粉砕する。

そこに戦略がなければただの青春だ。

ある程度生きてきた私は、20代の人と同じようには戦えない。
正しい指導者について、実力を付けて認められなくてはいけない。

私の、居場所は一体どこなんだろうか?

私に、居場所なんてあるのだろうか?

いつの間にか、「何とかしなきゃ!」と、事務所を探していた。
もう事務所に入るしか考えられなかったし、他に方法が見つからない。

事務所の条件は声と顔出し、両方できること。

もう最初から大手事務所は除外していた。

他者から言われた「30代は取らない」という言葉。
それが現実だと身に染みたばかり。

敷居の高い事務所には入れないって思い込んで、小さい事務所ばかりに目が行く。

とにかく私でも入れそうな場所・・。
そんな風にしか、もう探せなくなってしまっていた。

突きつけられた「年齢」という厳しい現実をまともに受け入れれば受け入れるほど、
私の純な想いが濁って見えなくなりそうだった。

好きなこと、やりたいこと、なりたい私、それは自分がよく知ってる。

だから年齢なんか関係ない!って自分で思う分には自由だし、
私にはそう思い込む力もある。
でもこのままでは、世の中に受け入れてもらえない。

現実を受け入れて、「まとも」にほかの道に行く選択肢だってある。

でも、、、それができない。
だから、年齢で拒否されない事務所を探す。
そんな何の条件も整っていない私が見つけた場所。

小さな事務所A。

何かしていないと、どうにかなりそうだったから、あまり考えずに決めた。
書類選考のみ。3か月だけレッスンを受けて、その後、問題なければ所属できる。
そんな誰でも入れる事務所Aに、受かった。

私にも居場所があった。よかった・・。

不安から解放され、安堵した。
でもここから、メジャーに辿り着けるのだろうか。

今はそんな事考えたくない。
とにかく居場所さえあれば。。

必死でまた不安を掻き消した。

事務所に入ってからは主に再現ドラマ、通販番組のインサート映像、のオーディションが来た。

部屋を掃除する主婦。
子供番組の中では、母親役。

この辺りの、エキストラに少し毛が生えたような仕事が主だった。
情報番組の再現主役は一通り網羅した。

私の履歴書がだんだん埋まってくる。
でも、居場所はここじゃないって、心の奥で叫んでる。
これらは、仕事として「一本」と数えていいのか、自分でも疑問だった。

先が見えない。
でも、ここにしかいられない現実。

そんな時、吹替のお仕事が決まった。

「プロになるまでの全て!」Tさん編 記事一覧

「プロになるまでの全て!」Tさん編17

ずっとお世話になっている共演者のMさんが、
番組の裏方として携わっていたので、
無理を言ってお願いしたのだ。

Mさんは嫌がることもせず
「プロフィールを作れば?」と冗談半分で仰ったので、
早速、面接用にAPH仕込みのプロフィールを作り、
写真も撮り直し、歌を入れたボイスサンプルを仕上げた。

その後、Mさんに時間を作ってもらい、
プロフィールを見せると、「いいじゃん」と言って、
その場でプロデューサーに電話をかけたのだ。

急すぎて、緊張したけれど、
代表から電話がつながった時に何を話したらいいのかまで
アドバイスを頂いていたこともあり、
その電話であっさり、面接が決まった。

面接当日は、特別な想いであふれていた。

私の憧れの子供番組のプロデューサーが、
私みたいな素人と会ってくださる。

期待していた。

だって、わざわざ時間を作ってくださる。

本当なら電話で断ることもできたはず。

それなのに、断られなかった!

私は、夢や期待を膨らませていた。

TV局本社に入って、面接が始まると、
軽い世間話から始まり、とうとう本題へ入った。

自分のプロフィールを見せながら、自分の子供番組に対する熱い夢を語った。

想いを全部伝えきった。

本気でこのまま、うまいこと話が進むんじゃないかと思っていた。

そして、返ってきた言葉は、

「いや~こんなふうに、関わろうとしてくる人は沢山いて、全部断ってる。
そして、今回はMさんの紹介だから時間を作ったけど、普通なら断ってる。
まず、30歳を過ぎている人をとらないよね。
あと、この経歴じゃあ、難しいね。
まあ、30歳からが役者としての分岐点になると思うから、こっから頑張って。」

面接は、以上終了だった。

その後の記憶はない。

ただ、かなり落ち込んでいたのは確か。

見たくなかった現実を突きつけられた私は、くやしくてたまらなかった。

代表へ報告すると、

「やっと目を覚ましたか?こんなもんだぞ。お前の好きなものはなんだ?」

プリンです・・・

「今日はそれを食え(笑)」

代表は全部わかっていたのだ。

甘い絵空事だった。
ここを超えればどんどん流れが来ることも代表は知っている。

「今回のことで、ぞっとするくらい落ち込めたらしめたものだ。
そんなもんで済んでいいなあ。
もっと地獄を見なきゃわからないんじゃないの~」

固い私は、その言葉の真意を受け止めきれず、
本当に落ち込んでお葬式ムードだった。

正直、プリンを食べても立ち直れなかった。

いつだって、深刻さと固さは隣り合わせだ。

こんな状態で、感謝は生まれるはずがないなと・・。

今はそう思う。

「プロになるまでの全て!」Tさん編 記事一覧

「プロになるまでの全て!」Tさん編16

代表に、声優になりたいと伝えてから、私のターゲットが明確になった。

「事務所に入ること」
というわけでまずは、プロフィールの作成をすすめられて、
写真、ボイスサンプル、履歴書の準備にとりかかった。

完成した履歴書をみて、愕然とした。

私の履歴書は、舞台一色。
声の仕事は、一つもなし。
しかも7年間やってきた舞台は、巡業公演。
一般的に知られていない劇団なので、業界からは「レベルが低い」という目で見られる。

立場はかなり、厳しい。

とにかく、今は、実力をつけるしかない。
まずは「舞台」のお芝居から「映像」のお芝居に質的変化を起こす事が必要だった。

APHでは、本質を学ぶ。何が本当のことか、肌で感じる。

メンバーそれぞれ課題があるが、私の場合、
映像のお芝居をやろうとすると、いつも「型」が邪魔をした。

私には、固さがいつも付きまとう。
それは、我欲が強いせいでもある。

代表からは「柔軟な人であれ」と何度も何度も言われ続ける。

とにかく、今は「世話落ち」を身に着けながら、もっと面白がることが私の課題だった。

そうは言っても、なかなか昔の型を捨てることができない。

「型」というのは、自分の古い考え、固定観念と繋がっている。
私が柔軟さを身に着けるには、「思考」を変える必要がある。
これが、なかなか一筋縄ではいかない。

そんなある日、APHのセッションで取り組んだお芝居の中で
「型」が見えない瞬間があり、代表から褒められた。

大ヒット!が出た。

そして、次の週、同じように褒められようとして、
同じことをやったら、叱られた。

もうできてるところをやっても意味がないし、稽古にならんだろ!
もっと繊細さを勉強しなさい!と言われる始末。

私は、固さに加えて、短絡的でもある。

すぐ調子に乗るし、いろんなことに一喜一憂してしまう。

まったく、芸事の「げ」の字にも入れないほど、
何にもわかってない人間そのもの。

ただ毎回のセッションで、
自分が真剣に変わろうとしているのは本当だった。

というのも・・・・

「どうしても、上に行きたい。
そして、いつか歌のお姉さんになるんだ!
だから、大手の事務所に行って、レギュラー番組を持って、仕事をするんだ!」

と、本気で考えていたからだ。

これが20代ならまだ許せる・・。

私の場合、ちょっと・・いや・・・かなり痛い。
我欲が強いためか、気持ちが先行して、現実が見えていない。

さらに言えば、この時、「巡演」の時にお世話になった演出家から、
同じ作品で秋に一度だけ、長野の舞台に出てくれないか?と依頼がきた。

私はもう戻る気持ちがなかったので、断ろうとしていたが、代表から
「主役の席なんて普通は簡単に手に入るものではない!
今あるものをまず大切にしなさい」
とお叱りを受けたこともあった。

「今あるもの」をバッと投げ出してしまうのは、まずいやり方だと。

ただ、この時の私はその意味もよくわかっていない。
呆れるくらい、現実ではなく、夢を見ていたのだ。

そんな私に、転機が訪れた。

某子供番組プロデューサーと面接することになったのだ。

「プロになるまでの全て!」Tさん編 記事一覧

「プロになるまでの全て!」Tさん編15

わかりやすくて、大袈裟なお芝居が、得意だった。
というか、それしかわからなかったし、やりやすい。
そんな私が、APHでの稽古を始めてから、舞台以外のお芝居に興味を持つようになった。
これまでとは違う視点で、映画、ドラマ、そして、女優さんを気にするようになった。

もちろんミュージカルで、お芝居はしていた。
喜怒哀楽を明確にして、わかりやすいお芝居をして、
台詞は、ハキハキ喋った。

しかしAPHで学ぶことは、真逆だった。(あくまで私にとっては)
顔や身体で、表現しようとするな。
台詞は、世話に落として喋ってみろ。

こっちの方が面白そうだった。
でも簡単じゃない。
これまでは顔や身体を動かすしか手段がなかった。
喜怒哀楽を大きく表現して説明する事は、得意。
しかしこれらは、映像で通用しない。

芝居を舞台向けから映像向けに変化させる。
これが、新たな目標になった。

「中が動いた分だけ、外を動かせ。」

そのことが、新しかった。
まずは、内面だった。
なかなか上手くいかない。
何かをやりたくなってしまうし、
やらないと自分が物足りなくなってしまう。

APHでやる稽古の題材に、とある映画のシーンを持ってきて、セリフを真似をした。
まだ未練の残る元カレと電話をするシーン。
APHでは、月に1度、カメラで芝居を撮る。
自分の姿に直面するのは、毎回緊張する。
できれば見たくない(笑)

でも、その回の映像は、初めて自分を見てもいいと思えた。
代表から言われてわかったことだが、これまでとは違って、
葛藤が前に出ていたのだ。

その時に代表から、
「お前、映像の芝居に入ってきたな」と言われ、嬉しかったのを覚えている。

もう巡演はやらなくてもいいかなあ。
今の場所を変えたいなあ。
そう思うのは自然なことだった。
お芝居のレベルを上げたいという思いの方が強かった。

かれこれ、7年?やってきた巡業。
やり切ったと自負もある。

でも、せっかくの居場所を離れるのは勇気がいる。
ここを離れたら何もなくなってしまう。
その迷いが、私を鈍くさせた。

代表と話す機会を得て、
お前、どうするんだ?と聞かれた。

思い起こせば、声優になりたかった。
いや、厳密には声優アイドルだけども。

これまで舞台、ミュージカル、声優、やりたい事全部に触れた。
でも、それだけで食べていけるまでのテッペンに、たどり着けていない。
全部が中途半端だった。

実は・・・声優になりたかったんです。
代表に伝えた。

そうだったのか!?
はじめて知ったぞ!!

代表は目を丸くしていた。

あの日、試験で「預かり」から「所属」に上がれなかった事が恥ずかしくて、黙っていた。
しかもそれがきっかけで、自分は声優になることを挫折したんだと思い込み、諦めかけていた。
私の中で声優アイドルになりたかった事実は、無かったことにしてきた。

代表も周りのメンバーも驚いていた。
ずっと舞台をメインにやってきた私の口から、まさか、
「声優」というワードが出るとは!!

私の方はというと、改めて声優になりたいと言葉にして伝えた事によって、
自分に正直になれた。
心のどこかでずっと「いつかは声優に・・・」という想いがあったのだ。

けれども、その想いからずっと目を背けてきた。
過去の失敗を挫折としか、思えなかったから。
でも本当は、声優になりたかった。
ここからだ。

実はこの時、舞台でお世話になっている演出家から、
劇団を廃業にすることも知らされた。
良いタイミングだった。

事務所に入ろう。
そう思った。

30代からのスタートだった。

「プロになるまでの全て!」Tさん編 記事一覧

「プロになるまでの全て!」Tさん編14

私は母の死後、四国へ行った。

切り替えたいのか、忘れたいのか、自分と向き合いたいのか、浸りたいのか、
全く目的のない旅だった。
正直、行った記憶もほとんどなく、
徳島で食べたラーメンが美味しかったとか、
そんなどうでも良い事しか覚えていない。
そもそも、なぜ四国に行ったのかさっぱりわからない。
何のために四国へ行ったんだろう・・・?

東京に戻ってきたら、また日常生活が始まった。
でも、そこに母の姿はない。
母任せだった料理も洗濯も掃除も、残された家族がやるしかない。
一生懸命、自分の日常に、家事を取り入れてみたが、本当に疲れる。
毎日、淡々とこなしていた母って、すごいなって、
いなくなってから、気付いた。

四十九日を終えて、私は旅公演に出た。
行く前に代表から「お母様の御霊を背負って、舞台を踏め」という言葉を頂いたので、
私は、その言葉を胸に、毎日舞台で演じた。

小さなお客様の前で、「死」と「別れ」を作品の中で繰り返す。
「さようなら」と言って死んでしまうウサギ役を演じながら、
なんか、これまでとは違う感じがする。
もう4年も続けている作品なのに。

その特別な感覚の根底にあるのは、母そのものだと分かった。
「さようならって明るく言って」と演出を受けて、演じてきたけど、
なぜそうするのかわからなかった。
でも、もしかしたら本当は死にたくなんかないけど、どうせ死ぬなら、誰かの役に立ちたい。
こんな風に、母は思ったんじゃないか?
だから、さようならは悲しいんじゃなくて、笑うのかもしれない・・。
ふと、よぎった。

もう一つの作品では、
すでに死んでしまったおばあちゃんが目の前に現れて、
「いやだ!一緒にいたい!」と抱きつくシーンがあった。
これは、私の中の真実で、毎回体中に熱を感じた。

なんとなく、母がいつも近くにいた気がする。
こなすのではなくて、一回一回発見がある舞台だった。
気付きがたくさんある。

にも関わらず、
私は代表への途中報告をしていなかった。

APHに戻ったのは、冬。
今年も終わろうとしていた。
春に、代表から激励の言葉を頂いたのに、
もう半年以上、連絡をしていなかった。
そんな自分に今となっては、ゾッとする。
移動中でも宿泊先でも、メールの一本は送れたはずだ。
自分勝手だった。

しかしながら、この時の自分は、大バカで、
半年以上連絡をしていなかったことを指摘されても、
なかなかピンと来なかった。
悪い事をしているってわからないのだ。
「東京に戻ったら連絡すればいいじゃないか」って思ってしまっている。
悪気があるわけでもないから、余計に質が悪い。

報連相をする。途中報告をする。
これは、一般社会での常識。
その当たり前のことが普通にできないと、
現場では致命傷になってしまう。

それにきっと代表もメンバーも、私の事を心配していたにちがいない。
私はその想いを汲み取る能力がなかった。
御礼も言うべきだったはずなのに、それすらできていなかった。

これからどんどん仕事をして、プロとして活躍していきたいなら、
自分の痛い部分に目を向けて、
バカを消して、変化を見せないといけない。
ズレてる部分を直さなくてはいけない。
未だに、ズレてる部分は沢山ある。

この時、APHのスタッフさんが私の間違った行動を、一生懸命説明してくださった。
けれど言われてることが理解できない。
バカだから。
でも、私がとんでもないことをしてしまったことは、伝わってくる。
自分のダメなところを言われて、心がヒリヒリした。

この時の私は、大バカだけど、プロになりたかったので、
指摘を頂きながら、今のままではいけないと感じた。
だから急いで、この一年どんなふうに舞台に立っていたのか、
一つ一つ全部書き出して、代表に伝えた。

思い返せば、この反省文が受理されて、APHへ戻ってから、
女優としてAPHを真剣に活用し始めた気がする。
「人」「日常」「芝居」が、母をきっかけに繋がり始めて、
真剣に生きることを味わい始めた気もする。
まだまだ奥があるけれども。
 

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