「プロになるまでの全て!」Yさん編25

ワークショップで吹き替えの仕事を取ることができて、
B社長の自分に対する評価がかなり変わったようです。

新人の中ではけっこう使えると思われたようで、
先輩達がやっている仕事のバーターとして入れる枠に入ったのです。

それまでバーターは、基本的に若い人しか入れられていませんでした。
だいたい脇のちょっとした通行人などを振る場合、
経験を積ませるために年齢の若い人を入れるのが当たり前です。
新人の中で自分は10才くらい年上なので、
売る側としても当然後回しになります。

一番に推してもらえるわけではなく、
若い子がダメなら最後に自分というくらいでしたが、
その枠に入った事はとても大きな変化でした。

ワークショップで自分を評価してくれたディレクターさんからは
何ヶ月かに一、二本呼んでもらえるようになりました。
それは今でも続いています。
本当に有難いです。

しかし当時、それ以外はお試しから始まったボイスオーバーの仕事があるだけです。
何としても他にも仕事をしたかった。

というのもボイスオーバーの仕事はいろんな事務所が狙っていたらしく、
たまにB社長から仕事終わりや飲み会で
「〜事務所がウチより安く受けると営業をかけてきているらしい」
「〜事務所は新人の層が厚いからウチの新人よりレベルが高いからまずい」
とこぼしていたのです。
いつ無くなるかわからない。

当時自分がもらっていたボイスオーバーのギャラも声優としての一般的な金額からすると半額以下だったのですが、
そこからさらに下げてくるのか⁉︎と驚愕したのを憶えています。
そんな値段でやられたらそりゃ向こうのほうがコスパは良いだろう、けど良いのか⁉︎
ととても衝撃を受けました。

相変わらず厳しい状況なので他の仕事のラインを増やしたかったのです。

そんな中、先輩のバーター枠に入った事でまた別のディレクターさんの仕事をもらう事ができました。
嬉しかった‼︎

それはS先輩がレギュラーでお世話になっているディレクターTさんの現場でした。

尊敬する先輩の行っている現場だし緊張はしましたが、
先輩と共演もできるし新しいラインの仕事に大喜びしていた自分に
「ちょっと先に入ったウチの新人がやらかしてるから頼むよ」
とB社長が言ってきました。

「プロになるまでの全て!」Yさん編 記事一覧

「プロになるまでの全て!」Yさん編24

事務所に入って仕事をし始めたとは言え、
サラリーマンとして家族を養えるだけ稼いでいた父から見れば、
遊びでやってるか小さな仕事を餌に事務所に金を取られている
被害者に見えただろうと思います。

状況だけ見ればその通りです。
「諦めろ」
にはハッキリと「イヤだ‼︎」と言えましたが、
現状については何も言えませんでした。
とにかく
「これからだ‼︎」
と努めて明るく強く言っていました。
話が終わった後はとても落ち込みましたが。

この頃、B社長は仕事を広げようと
ディレクターを呼んで社内でレッスンをしてもらおうと動き出していました。
単独では難しかったらしく
他事務所と合同でディレクターレッスンが開かれる事になりました。

3社合同のため参加希望の人数が多く、
各事務所から選抜しての参加になりました。
ボイスオーバーで評価が上がっていたおかげで
そのレッスンになんとか参加する事ができました。
これは大きなチャンスです。

来てくれるディレクターは
地上波ゴールデンの吹き替え演出を担当するバリバリの現役です。
その方もレッスンをする事自体が初めてという事で
教えるのに慣れて流れ仕事になるという可能性も低い。
これにはテンションが上がりました。

3事務所合同でのディレクターの当日がやってきました。
各事務所のパワーバランスでしょうか。
ウチが6人、他社が10人、20人、といった所でした。
事務所としても圧倒的に勢力が弱い。

ディレクターさんも全員を見られるように配慮してくれてはいましたが、
配役は基本挙手制でした。
下手をすれば何もできずに終わります。
参加者はみんな必死でした。

そんな中、すでにこのディレクターと仕事をしている先輩のSさんとKさんは、
自身のアピールをしつつも後輩である自分達に上手くチャンスを作ってくれました。
有難うございます。

教えるという事自体が初めてだったディレクターさんは、
同じ1シーンを演じさせ最後に各役を演じた人達の中で
誰が一番良かったかを参加者にも聞いていました。
各役ごとに良かった人に挙手するのです。
その場での自分の評価が明確に出るのでかなり怖いやり方でした。

ようやく自分の番が回ってきました。

この時、同じ役を演じた人はみんな同じ方向性で演じていました。
それを聞きながら自分は
「自分なら全く違う演じ方をする」
とずっと思って見ていました。

そしてそれを演じました。
最後の評価の時、
自分の芝居を良いと挙手した参加者はいませんでした。
事務所の先輩であるSさん、Kさんですら。

これは失敗だったかと思ったその時、
「え?そうですか?私は彼が良かったと思ったんですが…」
とディレクターさんがたった一人、
自分の芝居を評価してくれたのです。

これには驚きました。

そしてとても嬉しかった。
他の人が堂々とした口調で演じていた役を
自分は情けなく頼りなく演じました。
これは自分がこういう芝居が面白くて好きだったというのもあったのですが、
そもそも内容が自分を偽って結婚しようとして嘘がバレて
相手の女性に罵倒されて謝るという物でした。
その時の自分は
「なんでみんなカッコよく堂々と演じるんだ?情けない方が絶対に笑えて面白い」
と思って演じたのです。

元の役者が本当に自分が思ったように演じていたかは今では思い出せませんが、
ただ一人違う演じ方をした自分をディレクターさんが面白いと言ってくれた。

これは本当に嬉しかった。

講師のDさんからは
「常に一つは企みを持って現場に行け」
代表からは
「最低でも三種類の違うパターンを用意しておけ」
と言われていました。
このディレクターレッスンでは他の人が誰もが考える芝居をした中で、
自分一人が全く違う解釈の芝居ができたのは
この二つの言葉を覚えていたからだったと思います。

お世話になっている方々の力を借りて結果を出し、
後日自分はこのディレクターさんから
吹き替えの仕事をもらう事ができたのです。

「プロになるまでの全て!」Yさん編 記事一覧

「プロになるまでの全て!」Yさん編23

Sさんと仲良くなってしばらくしてから、
ボイスオーバーの仕事が自分に来ました。
今回は自分が使えるのかお試しという事でギャラはなしで、という物です。

ギャラなしには正直腹は立ちましたが、
この時の自分にはハッキリと強い自信がありました。
APHでやって来た事を考えれば、
実際の芝居を聞いてもらえば必ず結果はついてくると。
大きなチャンスでした。

そして当日。

自分の役はメインの登場人物のうちの一人。
しかも番組は自分の役のインタビューで終わります。
締めを担う良い役でした。

楽しかった。

今まで現場でこうしたいと思ってAPHで、
事務所レッスンでやって来た事をようやく現場で使う事ができた。
ギャラはなくても最高の時間でした。

終わってすぐ、共演した正所属のKさんが
「最後のインタビューの所良かった」
と面と向かって言ってくれました。

同じく共演したSさんも
「彼は良い芝居するんですよ」
と相槌を打ってくれました。

すぐ横には社長がいます。
最高の援護射撃があったおかげで次の回から
キチンとギャラをもらってこのボイスオーバーシリーズに参加する事になりました。

このKさんとも今も仲良くさせて頂いています。
Sさん、Kさん本当に有難うございます。

後日、社長から聞いたのですが
「講師のDさんと正所属のS君から
ずっと君が良い芝居をすると言われていたから試しにボイスオーバーに入れてみた」
と言われました。

そこで
「世間は良い物をけっして放ってはおけない」
という代表の言葉の意味が少しわかった気がしました。

自分がやって来た事を認められて仕事がもらえる。
ようやく新事務所でプロの声優としての仕事を始める事ができました。

B社長は芝居に関しては、
自分がAPHでやって来た事を見せてもいまいちピンと来ないようでした。

自分には流行りのアニメですぐに主役を張るような華やかな所は無いようです。
個人的な好みとしてもいわゆる流行りのアニメ芝居というのは聞く分には良いのですが、
自分ややるとなると好きではない。

B社長はそういう分かりやすい部分にしか反応しませんでした。

そのため講師のDさんや正所属のSさんに
「アイツは良い」
と言われてようやく自分を試しに使ってみるか、という程度でした。

しかしお二人の後押しのおかげでその評価も変わって来ました。
「新人の中ではアイツは使える方らしい」
と。

これでようやく数ヶ月に4、5本ボイスオーバーがあるかないかと言った位でしたが。
これ4、5本ですが1日で収録してギャラはまとめて1本扱いです。
小さい事務所はこんなもんです。

そして相変わらず事務所レッスンは続きます。
たまに仕事はもらえますがレッスン代で大きなマイナス、赤字です。
金を払って仕事をもらってるような状況ではプロと胸を張っていえません。
養成所資金で助けてくれた父も
「そんな事では食えない、いい加減諦めろ」
と言ってきました。

「プロになるまでの全て!」Yさん編 記事一覧

「プロになるまでの全て!」Yさん編22

APHでは芝居だけでなく普段からの立ち居振る舞いについても教わります。
代表からいつも
「外見は一番表に出ている内面だ」
と言われます。
この言葉の通り自分自身をどう表現するのか?どう伝わるか?を考えて
普段の服装から振る舞いに気をつけろという事です。

Sさんははパッと見ただけでそれを実行している事がわかりました。

サンプル収録後、飲み会がありました。
いつもは同期入所の新人とレッスンで会う以外
事務所の人と会う機会がなかったので初めて正所属者と話せる良いチャンスです。

飲み会の席でもSさんは凄かった。
話題から新人へのアドバイス、社長に対しても礼儀正しくしつつ
自分の意見をしっかり言える。
お酒にも楽しそうに付き合いつつ酔って崩れる事もない。

先にAPHで立居振る舞いについて教わっていたおかげで、
Sさんはそれを意識的にやっている事がよく分かりました。

言葉にすると簡単そうですが実際これを徹底するのは
だらしない自分には本当に大変です。
この時、これができている新人は当然一人もいませんでした。
自分はAPHメンバーに手伝ってもらって
服装だけは何とかできる限り気をつけていましたが、
もともとお酒が殆ど飲めない自分は
飲み会の立ち回りが全く分かりませんでした。
これはマシになったとはいえ今でも苦手です。

Sさんは上手く社長と新人の話を繋ぎつつ、
新人全員についてサンプル収録で感じた事を話してアドバイスしてくれました。
未だに自分の事ですぐ手一杯になってしまう自分から見てこれは凄い事でした。

APHで言われる事を実践していて仕事もバリバリやっているSさんは、
身近な目標であり尊敬する先輩になりました。
今でもSさんとは仲良くさせて頂いています。

この時のオーディションは残念ながら自分は受かりませんでした。

オーディションが終わってまたレッスンだけの日々がしばらく続いた後
ビックリする事がありました。

このSさんの事を自分と同じ新人が悪く言い始めたのです。

小さい事務所なので事務所兼レッスン場のような場所になったため、
台本の受け渡しで来る正所属の先輩と会う機会が増えました。
そこでSさんにアドバイスされた新人がそれを文句を言われたと受け取ったようです。

これには本当に驚きました。

内容はSさんが新人の女の子に
「普段着のような格好に見えるから衣装だと思って気をつけた方が良い」
という内容でした。

実際、現場に出てみると新人でなくとも
服装を自分のイメージを作るために拘っている人は当たり前にいます。
自分のスタイルとしてラフな格好をする人もいますが、
この時の自分や同期は現場に出てもいない新人、
言ってしまえばまだ素人同然の立場です。
当然芝居は未熟です。
せめて服装だけでも気を使い周りに
良い印象を持たれるようにというSさんからのアドバイスでした。

これを文句と言ったらSさんに失礼過ぎる。
そう言ってもその新人の子は全く理解してくれませんでした。

レッスン場でSさんと会う機会が増え飲み会になった時にも話しをする機会が増えました。
APHの教えからSさんの立居振る舞いや
アドバイスについて心底尊敬できるようになっていたので、
感謝の気持ちをできるだけ伝えるようにしました。

するとSさんは自分ととても嬉しそうに話をしてくれるようになりました。
そして
「良かれと思って言ってるんだけどね。なんか怖がられちゃうんだよね」
と寂しそうに言っていました。

この時、Sさんの言っている事を理解していたのは
自分と同期のもう一人しかいませんでした。
APHで教わっていなければ
自分もあんな風にSさんに対して失礼な態度を取ったかもしれない
と思うとなんだか情けなくなります。

そうやってSさんと仲良くなってしばらくしてから、
ボイスオーバーの仕事が自分に来ました。
今回は自分が使えるのかお試しという事でギャラはなし
で、という物です。

 

「プロになるまでの全て!」Yさん編 記事一覧

「プロになるまでの全て!」Yさん編21

代表からの教え、Dさんの手助け、
そして両親から養成所資金と周りの力を借りて
ようやくできたばかりの小さな事務所に入る事ができました。

できたばかりの事務所なので当然どこかの制作会社と
強いパイプがあるわけではありません。
自分だけでなく事務所ごと一からという状況でした。

どうやら小さなゲームのオーディションは来ていたようです。
どうやら、というのはそのオーディションには自分は参加できなかったからです。

面接の際、Dさんの強力な後押しで事務所に入る事はできましたが、
どうもB社長には自分の芝居はいまいち良く思われていないようでした。

事務所内のレッスンにお金を払って毎週通うだけの状態です。
このままでは養成所と何も変わりません。

ここでも養成所の時頂いた、代表のアドバイス通り
そのレッスンの講師に「自分は使える」としっかりアピールする事から始めました。

幸い講師は入所に力を貸してくれたDさんです。
ここでもAPHで教わった事を全て注ぎ込んでいきました。

その間、自分より10才以上下の子達が
「オーディションがあった」
「モブキャラの仕事もらった」
と話しているのを横で聞いていました。
悔しかった。

しかし30才で新人扱いの自分と20才の新人ならオーディションは
若い方に行かせるのも当然と言えば当然です。
 

自分はとにかく講師のDさんからB社長に自分の良い評価を伝えてもらい
「アイツを使った方が良い」
と思わせる必要がありました。

毎週思いつく限りできる事をレッスンでやり
ちょっとした受けを取るためにモノマネもやりました。
養成所の時のようにDさんからの評価は上々です。
しかし結果には繋がらない日々が続きました。

その間にも他の若い子達はオーディションに行っているようでした。
「自分だったらそのオーディションに通ってみせるのに」
オーディションの内容も知らないのにそんな事ばかりいつも思っていました。

だいたい社長は基本的にレッスンを見には来ない。
Dさんへのアピール以外方法はなかったのです。

結果が出ない間折れずに頑張れたのは、講師のDさんから
「Bにはちゃんとお前が良いった言ってるんだけどなぁ。
アイツ俺の意見聞かないんだよ。ごめんな」
という評価があったからでした。
講師という立場のDさんからのこの言葉はとても励みになりました。
本当に有難うございます。

そしてもう一つ、代表からずっと
「世間は良い物をけっして放ってはおけない」
という言葉を言われていた事が大きかった。

若い子がオーディションに通らなかったり良い評価が出ない事が続けば
必ず講師の評価が高い自分にチャンスが回ってくると思えたのです。

約半年後、
ようやく自分もオーディションに参加する事ができました。
事務所で使うレッスン場でサンプルを録音しました。
そこには事務所の先輩になるSさんがいました。

Sさんはもともと自分が所属試験に落ちた事務所にいて、
そこが分裂した時B社長と一緒に移籍して来た方でした。

そのサンプル収録でSさんを見た時に
「この人は凄いな」
と感じました。

「プロになるまでの全て!」Yさん編 記事一覧

「プロになるまでの全て!」Yさん編20

「何だ?」

するとまた揺れが始まりました。
まるで船が揺れるようなゆっくりとした大きな揺れでした。
周りの客も店員さんも携帯やテレビを見ながら動揺しています。

これはただの地震ではありませんでした。
東日本大震災です。

テレビで流れるあまりの被害状況に

「実家は大丈夫か!?」

と慌てて地上に出て電話をかけました。
実家は繋がらない。
何かあったのか?
父の携帯にかけました。

「どうした?」

拍子抜けするほど呑気な声で父が電話に出ました。

幸いな事に実家のある県はほとんど被害がなかったのです。
父は自分から地震の事を聞いて驚いていました。

とりあえず実家が無事だったので安心しましたが

サンプルが録れない。

これは不味い。
とにかく揺れが収まるのを待って何とか収録を終えました。

アパートに帰るとテレビ台の上のCDが床に散乱していましたが、
他に被害はありませんでした。
しかし切羽詰まっていた自分の精神には大きな影響があったのです。

数日後、必死に仕上げたサンプルを持ち待ち合わせの場所に向かいました。

その時

「こんな日本全体が大変な事になっている時に自分はこんな事をしていて良いのか?」

という考えが浮かんできました。

なぜか不謹慎な事をしているような気がして突然不安になったのです。
大地震による被害をテレビで見てショックを受け精神的に揺らいだ所に、
新しい未知の領域に入る時の不安が襲ってきたのだと思います。

自分がとてもおかしな事をしているような気になり急にとても怖くなりました。
しかしここで
以前台風の時に代表が言った言葉が急に浮かんできました。

「俺達は大変な目にあってる人がいるこんな時にも芝居をするんだ。
せめて恥ずかしくないよう精一杯やろう」

「ああ、そうだ」
自分は腹が決まりました。
大変な時だろうが何だろうがやりたいんだ。
大災害が来ているのに自分のやりたい事をやろうとしてるのだから、
せめてやれる事を全て全身全霊で精一杯やろうと。
気持ちを何とか持ち直し、待ち合わせの場所に向かう事ができました。

B社長との面接場所は新宿のコーヒースタンドでした。

B社長の前に自分が座り、その横にDさんがついてくれました。
APHメンバーにCDプレイヤーを借りその場でサンプルを聞いてもらいました。
B社長は最後まで無言で聞いていましたが、
終わった後に「なるほど」と言ってタバコを吸い始めました。

自分は何も言えずジリジリと焦っていました。
事務所に入れるのかどうか?聞きたくてしょうがない。
しかし言葉が出ない。

そんな時、Dさんが口を開きました。

「で、コイツはいつから入れるの?」

「あぁ、そうだなぁ…4月からかな」

B社長が答えました。

ん?
入所が決まった?
すぐには理解できませんでした。
あまりにもアッサリとした会話でピンときませんでした。

そこからDさんとB社長との世間話が始まり、
それを聞いているうちにジワジワと実感が出てきました。

所属が決まった。

声優事務所に入ったのです。

何も言えない自分をDさんが押し込んでくれたのです。
本当に感謝してもしきれません。

養成所に入ると決めた時から奇跡の連続で綱渡りのように、
代表、両親、Dさんの力を借りて
ようやく声優として新しいスタートラインである事務所所属まで辿り着きました。

今思い出しても本当に有り得ない事の連続でした。
自分の力だけでは到底無理だったと思います。

APHでは芝居・物事の仕組みを教わります。
この仕組み通りに全力でやっていくと必ずどこかで道が開けるのだと強く実感した瞬間でした。

「プロになるまでの全て!」Yさん編 記事一覧

「プロになるまでの全て!」Yさん編19

親に土下座をしてお金を出してもらい、
APHで代表、メンバーにたくさん助けてもらった結果が不合格。
自分は終わったと思いました。
実家に帰って何をしようか。
30からできる仕事はあるのか。
でも芝居以外何の技術もない自分がどうやって。
などと考え始めていました。
しかし

「俺はどうしても終わったとは思えないんだよな」

「まだ何かある気がするんだ。思い当たる事はないか?」

と代表に聞かれました。

行くあてがなくて養成所からやり直し不合格になった自分に聞かれても…と思っていましたが、
ふと元講師Dさんの言葉を思い出しました。

「そう言えば講師だったDさんからこんな事を言われました。
結果だけでも教えてくれ、と」

「それだ!!!!!!」

電話口から代表の力強い声が響き自分の耳に突き刺さりました。

「それだ!!今すぐ連絡しろ!!早くしろ!!」

Dさんからはただ結果を教えてくれと言われただけです。
なんで代表がこんなに急かすのか全くわかりませんでしたがとにかく連絡してみる事にしました。

時間は夜の7時か8時くらいだったでしょうか。
Dさんはすぐに電話に出てくれました。

「お~久しぶりだな。どうした?」

自分は以前にDさんに言われた通り結果を伝えるために電話した事を伝えました。

「ああそうか、結果出たか。どうだった?」

「ダメでした」

「え!?…そうか~俺はお前なら行けると思ったんだけどなぁ」

「申し訳ありません…」

「ならBが新しく作った事務所に行くか?
できたばっかりで上手く行くかはわからないんだけど」

 
Bとは通っていた養成所を運営していた事務所の元社長。
養成所二年目に入る時、所属声優半分と一緒に辞めていったB社長の事です。
そのB社長が辞めた声優の一部と一緒に新しく事務所を立ち上げていたのです。

「そこはまだ所属人数が少なくて役者を探してるから良ければ俺が紹介するよ」

思いもよらない展開になりました。

結果を報告するだけのはずが新しい道が開けたのです。

「Bに聞かせるサンプルを用意しといてくれ。Bに会う日が決まったら連絡するから」

Dさんとの電話が終わった後、代表に報告しました。

「な!言った通りだろ!!」

まさかこんな事になるとは思ってもみませんでした。
しかし代表は今までの経験から必ず道はあると感じていたそうです。

こうして実家に帰る寸前から
代表のアドバイスとDさんの力によって
事務所に入るための新たな道を見つける事ができたのです。

所属試験に落ちたドン底から新しい道は開けましたが、
まだ決まったわけではありません。

B社長に聞いてもらうサンプル作りを必死に始めました。

B社長に会う日も決まり、サンプル製作も終わりに差し掛かった頃
思いもよらない大事件が起きました。

その日、自分はとある地下の貸しスタジオでサンプルの収録をしていました。
するとギィ~っと軋むような音と共にブースが揺れ出しました。

「録音中に地震か!?ノイズが入る!!」

揺れが収まったので収録を再開するとまた揺れ出しました。

イライラしました。
今自分は大事な時なのにこんな邪魔が入るなんて!!
揺れが収まるのを待っているとブースのドアが開き店員さんが来ました。

「一旦ブースを出て避難してください!!」

かなり慌てた様子でした。

「大きな地震だったのかな?」

ロビーに出ると、そこにあったテレビに映っていたのは黒煙を上げているどこかの施設でした。

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「プロになるまでの全て!」Yさん編18

養成所は基礎科と本科の二年制。
一年はあっという間に過ぎました。

そして本科に上がった直後、思いもかけない事が起こりました。

なんと養成所を運営している事務所の所属声優の半分が辞めたのです。

しかも

自分がこの養成所を選んだ理由でもあった有名声優やベテラン声優達が、
さらに事務所の社長までも辞めたのです。

耳を疑いました。
そして激しく動揺しました。

なぜこんな事になったのか?
社長が辞めたってどう言う事?
この事務所は大丈夫なのか?
養成所に影響は?

今さら別の所にも行けません。
自分はもう一年頑張るしかない。

ここで自分を褒めてくれていた講師の一人である現役声優Dさんも辞めたため、
担当の講師が変わりました。
この時Dさんから、
「最後まで面倒見れなくてすまない。結果だけでも教えてくれ」
と言われ連絡先を渡されました。

ここまで気にかけてくれるのを有り難いと思いつつ、
自分を評価してくれていた人がいなくなる事に大きな不安を感じました。

このDさんの言葉が後々大きな意味を持ってきます。

しかしこの時は、
「またゼロからアピールし直しか!?」
と残りの授業と新講師を攻略する事で頭がいっぱいでした。

幸いというか当たり前というか、
APHで教わった事は新しい講師にも同じように評価されました。
自分は本科の一年も圧倒的、ダントツのトップで居続けたのです。

養成所の二年目も終わりに近づき、
所属試験が間近に迫りました。
養成所内でも誰が有力かという話題が尽きませんでした。

生徒の中でも、自分は所属有力候補のトップという扱いでした。
自分自身もそう思っていました。

しかし所属試験が終わり結果が封書で届くまで、
とてもとても不安でした。

確かに圧倒的、ダントツのトップで居続けました。
でも年齢がもう30になる。
それを事務所側がどう捉えるか。

毎日ポストを覗く時、汗がドッと溢れました。

そしてとうとう
結果が届きました。

自分はどうしても落ち着かず、
部屋を出て駅までの道を歩きながら封筒を開けました。
何か悪い予感がしたのか、ただの不安かはわかりません。
とにかく部屋では息が詰まりそうだった。

封筒の中には紙が一枚入っていました。
厳正な審査の結果とかよくある言葉が並んだ後

「不合格」

と書かれていました。

頭が真っ白になりました。
何も考えられませんでした。
前の事務所に戻るために夜の道端で社長に頭を下げた時と同じ感覚です。
しばらく記憶が飛びました。
そうやって道端で呆然としていましたが、
代表に報告する事を思い出し電話をかけました。

「ダメでした。申し訳ありません」

代表に自分の言葉で伝えた事でようやく実感が湧いてきました。

落ちた。

ダメだった。
 

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「プロになるまでの全て!」Yさん編17

実家に戻る道中の事はとにかく緊張していたのを覚えています。

父に真剣に頼み事をする事自体初めてでしたし、
断られたらどうしようかという不安もありました。

実家に着くと、いつもの通り母が迎えてくれました。
父は厳しい顔をしていました。

どう切り出したらいいのか?
悩みました。

スムーズに話を持っていく話術は自分にはありません。
APHに来るまでは反発していただけです。
考えても何も良い方法は出てきません。

正面から、正直に、
誠心誠意頼むしかない。

自分は父の前で人生初の土下座をしながら言いました。

「養成所に行くためのお金を貸して下さい」

父は驚いた後、
「もう諦めて帰って来い」
と言いました。

「まだ自分はやり切ってない」
「今のままでは終われない」
「最後のチャンスを下さい」

自分はそんな事を言ったと思います。

自分の言った事はうろ覚えですが、
その時に見た父の顔は今でもよく覚えています。

厳しい表情ではありますが怒っているのではなく、
困ったような顔をしていました。
その表情は忘れられません。

しばらく黙った後、父は

「どうせダメだろうし、これで無理なら諦めもつくだろう」

と言ってお金を出すと言ってくれました。
母は「良かったね」と言ってくれました。
この時、代表が言っていた事を実感しました。

父は本当に自分の事を心配してくれていると、
初めて自分で感じる事ができたのです。

お金を貸してくれるまで頼み込むつもりではいました。
しかし父が徹底して拒否して借りられないかもしれない。
そうなったらどうしよう。
どうやって養成所に行けばいいのか。

ずっと自分の事ばかり考えていた自分は、
代表に説明され、実際に父の想いを感じた事で、
少しだけ自分以外の人の事を考えるようになりました。

自分のやりたい事を諦められない。
でも両親を心配させたくない。
それを両立するには声優として食べていけるようになるしかない。
先ずは何としても養成所に入らなくては。
そう強く思いました。

こうして養成所の資金を用意する事ができ、
入所試験を受けた結果、
自分でネットで探してきた養成所に合格しました。

自分のバカな行動で失敗し所属事務所をクビになり、
諦めきれずまた当てもなくさまよってTさんのおかげでAPHに辿り着き、
代表、メンバーの励ましやアドバイス、
そして両親の力も借りてようやく、
やり直すための一歩を踏み出す事ができたのです。

さて、わかってはいましたが養成所に入ってみると若い子達ばかりでした。

自分と10歳も違う。
ほとんどが18から20代前半。

若い!!

養成所の授業で強烈な場違い感を味わいました。
しかしこんな事は初めからわかり切っていたのです。
怯んでなどいられません。

自分は授業で誰より積極的にアピールして行きました。

代表からの指示は

「圧倒的、ダントツのトップでいる事」

それを実践するためAPHで教わった事を全て注ぎ込みました。

APHで教わった事は面白いくらい効果を発揮しました。
自分のクラスを担当してくれたのは現役の声優二人でした。

そのどちらもがAPHで教わった事を実践すると

「面白い!!良いね!!」

と言ってくれるのです。
自分は代表の指示通り、
圧倒的、ダントツのトップになりました。
全くの未経験か、小劇団にいたくらいの人達です。
APHで教わった自分には負けると思う相手はいませんでした。

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「プロになるまでの全て!」Yさん編16

事務所の養成所と
ネットで探した養成所の二箇所に絞り込み試験を受ける事にしました。

さて
養成所に行くと決めたものの、
そのためには大きな大きな問題がありました。

そうお金です。

お金を払わないとどこにも入れません。

本気で声優になる為に養成所に行くなら、
選択肢は

・バイトして貯める

年齢的に時間の余裕がないのです。

・消費者金融からの借金

これ以上増やせません。

もう自分にとって最後の手段しかありませんでした。

親からの借金です。

この方法は選びたくなかった。
別に親に迷惑をかけたくないとか、そんな良い理由ではありません。

この頃の自分は、
父親と死ぬほど仲が悪かったのです。
というか自分が徹底的に父親を拒否していました。
だから意識的にこの選択肢を排除していました。

自分の父はサラリーマンでした。
父は大学に行きたかったらしいのですが、それを諦め就職し家庭を持ちました。
そういった経験からか、
自分が子供の頃には漫画家という夢を
高校卒業、専門を出た後からこの時点まで声優という仕事を

「そんな夢みたいな事を言ってないでちゃんとした仕事をしろ」

と父は全否定してきました。

専門に行く時は、
勉強を放棄して現実的に大学に行く点数を取れない状態になる
と言う恐ろしく後ろ向きな方法で、
専門しか行き先がないと父を諦めさせました。

ちなみに姉は、父の出した厳しい条件を全てクリアして好きな道に進みました。
えらい差です。

自分はこの時からずっと父に反抗して反発してきたのです。
借金も父に弱みを見せたくなくて作ってしまいました。
父に頼るくらいなら借金した方がマシだと思ったのです。
本当にバカです。

他の選択肢は今までの自分の行動で潰してしまったので他に現実的な手がありません。
声優になるためにどうしても今養成所に行きたい。
しかし自分の夢を全否定してくるような父に、
「頭を下げて頼む」というのが嫌で嫌でしょうがない。
でも養成所に行きたい。

そこから良い考えが浮かばず行き止まりになってしまいました。

その気持ちを代表に話すと、
「お父さんがどんな気持ちで反対しているのか考えた事があるのか!!」
と叱られました。

代表にこう言われても自分ではハッキリ理由がわかりません。
自分は真面目に考えた事がなかったのです。
反抗する息子に対する嫌がらせか制裁かくらいにしか思えなかった。

「お前の事が心配だから安定した仕事についてもらいたいと思ってるんだろ。
お父さんはなにも間違った事は言っていない。」

自分はこの時まで、父を敵だと思っていました。
自分の夢を潰そうとする敵だと。

しかし代表から、
なぜ父が強く反対するのかと懇々と丁寧に説明されて初めて理解しました。

「反対してても専門学校のお金を出したのは誰だ?」

確かにそうです。
本当に夢を潰そうとするならお金を出さなければいい。
しかし父はお金を出してくれました。
当時は進学のお金を親が出すのは当たり前だとしか思っていなかった。

父は電話をかけてきては、
「風邪ひいてないか?飯は食べてるか?」
と心配してくれました。

電話の度に「諦めて帰って来い」と言ってはいても、
いつも自分の事を心配する言葉が必ずありました。
それをずっと聴いていたのですが、
父を敵だと思っていた自分はその心配の言葉をすっかりなかった事にしていました。

「親が子供の心配をするのは当たり前だろ」

自分は代表に言われて初めて、
父がどんな気持ちでいたのか理解し始めたのです。
ここで初めて、親に借りるという選択肢が生まれました。

代表から、
プロになって利子を付けて返す覚悟で頼んでみては?
と提案されました。

今、他の選択肢はない。
代表の言葉で父への考え方が変わった自分は、
親からお金を借りるために実家に戻る事を決めました。

実家に戻る道中の事はとにかく緊張していたのを覚えています。

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