「プロになるまでの全て!」Yさん編10

APHに入り、稽古に参加するようになりました。
自分は土曜クラス・ボイスセッションのみ。

とにかく声が細くて弱いのを直したかったのと、
土日両方のフルクラス分の月謝が払えなかったからです。

初めから
APHの稽古は、他の所とは違いました。

声 が 出 せ な い !!

APHのボイスの初級では、
喋るために使う部分を徹底的に知り、そこを徹底的に鍛えます。
独自の方法で。

いわゆる「筋トレ」は一切ありません。

衝撃的でした。
普通、腹筋を数種類・背筋・スクワット・声出し、などでしょうか。
どれも一人10回数えながら400回とかやってました。
今から考えると、よくやってたなと自分で驚きます。
それらが全く存在しません。

声を出さず、ブレスを鍛えるのです。
これが辛かった。
何が辛いかと言うと「声が出せない事」です。
ずっとブレスを鍛える。

フラストレーションが溜まりました。
声を出したくて仕方がない。
仰向けに寝てずっとブレス。
となりの部屋で、他のメンバーが声を出している。
ほんの一文字、「あ」とか「か」とかですが、
部屋の響き、音の違いを確かめながら声を出している。

悔しかった。
声が出したい。
「声優」という仕事は声を出さないと存在できません。
代表から説明されて理由は理解できました。
でも気持ちが収まらない。

早く声が出したい。
早く声が出したい。
しかし今の自分ではちゃんとした音は出せない。
だから今は我慢だ。
ブレスを鍛えるんだ。

でも全く知らなかった稽古法のため、
これで本当に効果があるのか確信がありませんでした。

毎週毎週くやしくてしょうがなかった。
そして不安でした。

音を出せるようになるまでに、段階的にテストがあるのですが
声が出したいので死ぬほど無理して受けてました。

しかし、
「無理して苦しそうだからダメだね」
で終わりです。
まあ当然です。
無理してやってもダメなんです。
それでは現場で使えない。

さらに勝手に間違った稽古をして悪いクセを付けないよう、
初めは自宅での稽古も禁止されていました。
これもフラストレーションが溜まりました。

なので基礎ではなく、セリフやナレーションを家で練習していました。
練習とは言え声を出せる事がこんなに嬉しいと思った事はありませんでした。

この頃の自分はまだまだ不安定で、
APHのセッションをちょこちょこ休んでいました。
体調を崩すことが多かったのですが、
声が出せない事で不満が溜まった事や、
声優としての未来が全く見えない事に対する不安からでした。

要は、仮病です。
当時は本当に体調が悪いと思ってたんです。
今考えるとただ気持ちが沈んでいただけでした。

すいません。

そうして数ヶ月後
ようやく初めの段階をクリアし、セッションで声を出せるようになりました。

本当に嬉しかった。

そして

自分が変化している事に気付いたのです。

声の質が、実感できるくらい変わった。
前より大きな声が出るようになった。
細くて高い音だったのが、落ち着いた力強い音が少し出るようになった。

家で試せなかったので、自分が変化していた事に気付かなかったのです。

たった数ヶ月。
声も出さず、ずっとブレス、ブレス、ブレス。
やっている時はとにかくもどかしくて、
ほかのメンバーが羨ましかった。

それを超えた先に、自分が欲しかった物があったのです。

ここからAPHに対する自分の姿勢が変わっていきました。
言われた通りにやると、結果が出る。
それを実感し始めたのです。
がぜんヤル気が出てきました。

後々、自分をAPHに誘ってくれたTさんに言われたのですが
「結果が出るのはわかってたから、お前を誘うのが怖かった。
実力を抜かれたからどうしようと悩んだ。」
今ならTさんの気持ちがわかります。
それに変なヤツを連れてきてAPHに迷惑をかけ、自分自身の立場を悪くするかもしれません。

それでもTさんは誘ってくれました。
「このまま終わるのは、もったいないと思ったから」
そう言ってくれました。

嬉しかった。
養成所や事務所でも仲良くはしていましたが、
そこまで深い親交があったわけではありませんでした。
養成所の同期、普通の友達くらいでした。

そんな自分を「もったいないから」という理由で、APHに誘ってくれたTさんは
声優としての自分の命の恩人です。

本当に有難う。

Tさんが誘ってくれたAPHで
自分が欲しかったものを
少しずつ
APHの仕組みの稽古を自分自身でやる事で
手に入れる事ができるようになりました。

面接で代表の言葉から感じた、
「確信」と「実感」
それを自分でも少しずつ感じ始めたのです。

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