「プロになるまでの全て!」Tさん編19

これは、予想していなかった。

うちのような小さい事務所に吹替の仕事が丸ごと任される。

キャスティング権がある。

今思うとこれは、声優業界の仕組みが壊れてきた序章だったのかもしれない。

とにかく、予算がない。

それなりに仕上げてもらえたらそれでok。

そういう会社が業界を牛耳る時代に変わり始める前兆だったのかもしれない。

突然社長から話が有り、私が主演の男の子役に決まってしまった。

吹替は、大きな声優事務所に入らないとできないと思っていた仕事だった。

でも、今、下の層に・・・

大手事務所に入ることができなくて、

でも声優を諦めきれない人たちがワンサカいる地帯に、こうしてチャンスが巡ってきた。

これは思ってもみなかった。

この現象は嬉しい反面、吹替の仕事って、

もっとレベルの高い場所にあるんじゃなかったっけ?と不思議だった。

主演・子役といえば、
私のイメージだとシックスセンスやホームアローンやレオンが思い浮かぶ。

もちろん、今回携わるのはメジャーの作品ではない。

B級ホラーだ。

それでも手の届かないと思っていた「吹替現場」に私がいる。

実力もない私がBQホラーの主演、少年役を演じる。

ずっとやりたかった声の仕事。

素直に嬉しかった。

事前に台本を頂き、当日は小さなスタジオで収録。

いや、本当のことを言えば、あれはスタジオではない。

もちろん機材やブースや控室まできちんと整っていて、収録には申し分のない場所だ。

でも・・言いたくないけど・・ここは自宅兼スタジオのようなところだった。

私が思い描いていた「現場」じゃない。

私が想像していた「現場」から程遠い。

やりたかった仕事をしているはずなのに、なんか納得いかない。

仕事に恵まれない人も大勢いるのに。

これはとても有難いことなのに、今、ここで頂く仕事に不満を抱いている。

私が行きたいのはメジャーだ。

きっと今の事務所にいたら、これからも吹替の仕事に携わることはできるのだろう。

安いギャラだけど経験を積む事はできるのだろう。

でもここで止まるわけにはいかない。

もっと上に行きたい。

同じ「主演」「吹替」っていう言葉なのに、
私が行きたい場所と、今いる場所が全然違う。

私は「メジャー」にこだわりたかった。

この小さな事務所で留まり続けるわけにはいかない・・。

もう一個上のランクの事務所に行かなくては。

辞めようかどうか迷っているとまたチャンスが巡ってきた。

今度は、海外アニメの吹替だった。

ずっとやりたかった子供向け番組。

事務所は前回と違って、外部にも宣伝をしてオーディション形式をとった。

同じような境遇の女子たちが、沈黙の中で、
受かりたいという闘志で空間を埋めて独特な臭いをさせる。

私はこの事務所の人間だから「受かる」と、信じ込んでいた。

バチバチする静寂の戦いに、優越感すら感じた。

結果は、不合格。

なめていた。

所詮、私はこの程度のレベルだった。

実力も。そして、考え方も。

この私を落とすなんて信じられない!

この低レベルの争いに負けたなんて!

冷静じゃない私の本音が止まらない。

事務所、やめちゃえ!

「プロになるまでの全て!」Tさん編 記事一覧

「プロになるまでの全て!」Tさん編18

落ち着いて冷静に考えたら、断られることなんて当たり前なのに、
どれだけ純粋バカなんだろうか。

目の前のことに一喜一憂して、良いことがありそうだと思ったら、
悪い癖ですぐ浮かれてしまう。

プロデューサーと面接できる!
それだけで私は大空を羽ばたくような気持ちだった。

・・・けれど、本当はどこかで「だめなんじゃないか」ってわかってた。
でも、それを意識したら本当にだめになってしまう。
だから、そこを見ないようにして、「大丈夫」と自分に言い聞かせる。

他のオーディションも同じ。

確率0.0000001%の勝率に賭けて、
受かってるって自分に思い込ませる。
結果、何度落ちてきただろう。

ダメな所に見向きもせず、根拠のない自信だけで、
力尽くで受かろうとして粉砕する。

そこに戦略がなければただの青春だ。

ある程度生きてきた私は、20代の人と同じようには戦えない。
正しい指導者について、実力を付けて認められなくてはいけない。

私の、居場所は一体どこなんだろうか?

私に、居場所なんてあるのだろうか?

いつの間にか、「何とかしなきゃ!」と、事務所を探していた。
もう事務所に入るしか考えられなかったし、他に方法が見つからない。

事務所の条件は声と顔出し、両方できること。

もう最初から大手事務所は除外していた。

他者から言われた「30代は取らない」という言葉。
それが現実だと身に染みたばかり。

敷居の高い事務所には入れないって思い込んで、小さい事務所ばかりに目が行く。

とにかく私でも入れそうな場所・・。
そんな風にしか、もう探せなくなってしまっていた。

突きつけられた「年齢」という厳しい現実をまともに受け入れれば受け入れるほど、
私の純な想いが濁って見えなくなりそうだった。

好きなこと、やりたいこと、なりたい私、それは自分がよく知ってる。

だから年齢なんか関係ない!って自分で思う分には自由だし、
私にはそう思い込む力もある。
でもこのままでは、世の中に受け入れてもらえない。

現実を受け入れて、「まとも」にほかの道に行く選択肢だってある。

でも、、、それができない。
だから、年齢で拒否されない事務所を探す。
そんな何の条件も整っていない私が見つけた場所。

小さな事務所A。

何かしていないと、どうにかなりそうだったから、あまり考えずに決めた。
書類選考のみ。3か月だけレッスンを受けて、その後、問題なければ所属できる。
そんな誰でも入れる事務所Aに、受かった。

私にも居場所があった。よかった・・。

不安から解放され、安堵した。
でもここから、メジャーに辿り着けるのだろうか。

今はそんな事考えたくない。
とにかく居場所さえあれば。。

必死でまた不安を掻き消した。

事務所に入ってからは主に再現ドラマ、通販番組のインサート映像、のオーディションが来た。

部屋を掃除する主婦。
子供番組の中では、母親役。

この辺りの、エキストラに少し毛が生えたような仕事が主だった。
情報番組の再現主役は一通り網羅した。

私の履歴書がだんだん埋まってくる。
でも、居場所はここじゃないって、心の奥で叫んでる。
これらは、仕事として「一本」と数えていいのか、自分でも疑問だった。

先が見えない。
でも、ここにしかいられない現実。

そんな時、吹替のお仕事が決まった。

「プロになるまでの全て!」Tさん編 記事一覧

「プロになるまでの全て!」Tさん編17

ずっとお世話になっている共演者のMさんが、
番組の裏方として携わっていたので、
無理を言ってお願いしたのだ。

Mさんは嫌がることもせず
「プロフィールを作れば?」と冗談半分で仰ったので、
早速、面接用にAPH仕込みのプロフィールを作り、
写真も撮り直し、歌を入れたボイスサンプルを仕上げた。

その後、Mさんに時間を作ってもらい、
プロフィールを見せると、「いいじゃん」と言って、
その場でプロデューサーに電話をかけたのだ。

急すぎて、緊張したけれど、
代表から電話がつながった時に何を話したらいいのかまで
アドバイスを頂いていたこともあり、
その電話であっさり、面接が決まった。

面接当日は、特別な想いであふれていた。

私の憧れの子供番組のプロデューサーが、
私みたいな素人と会ってくださる。

期待していた。

だって、わざわざ時間を作ってくださる。

本当なら電話で断ることもできたはず。

それなのに、断られなかった!

私は、夢や期待を膨らませていた。

TV局本社に入って、面接が始まると、
軽い世間話から始まり、とうとう本題へ入った。

自分のプロフィールを見せながら、自分の子供番組に対する熱い夢を語った。

想いを全部伝えきった。

本気でこのまま、うまいこと話が進むんじゃないかと思っていた。

そして、返ってきた言葉は、

「いや~こんなふうに、関わろうとしてくる人は沢山いて、全部断ってる。
そして、今回はMさんの紹介だから時間を作ったけど、普通なら断ってる。
まず、30歳を過ぎている人をとらないよね。
あと、この経歴じゃあ、難しいね。
まあ、30歳からが役者としての分岐点になると思うから、こっから頑張って。」

面接は、以上終了だった。

その後の記憶はない。

ただ、かなり落ち込んでいたのは確か。

見たくなかった現実を突きつけられた私は、くやしくてたまらなかった。

代表へ報告すると、

「やっと目を覚ましたか?こんなもんだぞ。お前の好きなものはなんだ?」

プリンです・・・

「今日はそれを食え(笑)」

代表は全部わかっていたのだ。

甘い絵空事だった。
ここを超えればどんどん流れが来ることも代表は知っている。

「今回のことで、ぞっとするくらい落ち込めたらしめたものだ。
そんなもんで済んでいいなあ。
もっと地獄を見なきゃわからないんじゃないの~」

固い私は、その言葉の真意を受け止めきれず、
本当に落ち込んでお葬式ムードだった。

正直、プリンを食べても立ち直れなかった。

いつだって、深刻さと固さは隣り合わせだ。

こんな状態で、感謝は生まれるはずがないなと・・。

今はそう思う。

「プロになるまでの全て!」Tさん編 記事一覧

「プロになるまでの全て!」Tさん編16

代表に、声優になりたいと伝えてから、私のターゲットが明確になった。

「事務所に入ること」
というわけでまずは、プロフィールの作成をすすめられて、
写真、ボイスサンプル、履歴書の準備にとりかかった。

完成した履歴書をみて、愕然とした。

私の履歴書は、舞台一色。
声の仕事は、一つもなし。
しかも7年間やってきた舞台は、巡業公演。
一般的に知られていない劇団なので、業界からは「レベルが低い」という目で見られる。

立場はかなり、厳しい。

とにかく、今は、実力をつけるしかない。
まずは「舞台」のお芝居から「映像」のお芝居に質的変化を起こす事が必要だった。

APHでは、本質を学ぶ。何が本当のことか、肌で感じる。

メンバーそれぞれ課題があるが、私の場合、
映像のお芝居をやろうとすると、いつも「型」が邪魔をした。

私には、固さがいつも付きまとう。
それは、我欲が強いせいでもある。

代表からは「柔軟な人であれ」と何度も何度も言われ続ける。

とにかく、今は「世話落ち」を身に着けながら、もっと面白がることが私の課題だった。

そうは言っても、なかなか昔の型を捨てることができない。

「型」というのは、自分の古い考え、固定観念と繋がっている。
私が柔軟さを身に着けるには、「思考」を変える必要がある。
これが、なかなか一筋縄ではいかない。

そんなある日、APHのセッションで取り組んだお芝居の中で
「型」が見えない瞬間があり、代表から褒められた。

大ヒット!が出た。

そして、次の週、同じように褒められようとして、
同じことをやったら、叱られた。

もうできてるところをやっても意味がないし、稽古にならんだろ!
もっと繊細さを勉強しなさい!と言われる始末。

私は、固さに加えて、短絡的でもある。

すぐ調子に乗るし、いろんなことに一喜一憂してしまう。

まったく、芸事の「げ」の字にも入れないほど、
何にもわかってない人間そのもの。

ただ毎回のセッションで、
自分が真剣に変わろうとしているのは本当だった。

というのも・・・・

「どうしても、上に行きたい。
そして、いつか歌のお姉さんになるんだ!
だから、大手の事務所に行って、レギュラー番組を持って、仕事をするんだ!」

と、本気で考えていたからだ。

これが20代ならまだ許せる・・。

私の場合、ちょっと・・いや・・・かなり痛い。
我欲が強いためか、気持ちが先行して、現実が見えていない。

さらに言えば、この時、「巡演」の時にお世話になった演出家から、
同じ作品で秋に一度だけ、長野の舞台に出てくれないか?と依頼がきた。

私はもう戻る気持ちがなかったので、断ろうとしていたが、代表から
「主役の席なんて普通は簡単に手に入るものではない!
今あるものをまず大切にしなさい」
とお叱りを受けたこともあった。

「今あるもの」をバッと投げ出してしまうのは、まずいやり方だと。

ただ、この時の私はその意味もよくわかっていない。
呆れるくらい、現実ではなく、夢を見ていたのだ。

そんな私に、転機が訪れた。

某子供番組プロデューサーと面接することになったのだ。

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「プロになるまでの全て!」Tさん編15

わかりやすくて、大袈裟なお芝居が、得意だった。
というか、それしかわからなかったし、やりやすい。
そんな私が、APHでの稽古を始めてから、舞台以外のお芝居に興味を持つようになった。
これまでとは違う視点で、映画、ドラマ、そして、女優さんを気にするようになった。

もちろんミュージカルで、お芝居はしていた。
喜怒哀楽を明確にして、わかりやすいお芝居をして、
台詞は、ハキハキ喋った。

しかしAPHで学ぶことは、真逆だった。(あくまで私にとっては)
顔や身体で、表現しようとするな。
台詞は、世話に落として喋ってみろ。

こっちの方が面白そうだった。
でも簡単じゃない。
これまでは顔や身体を動かすしか手段がなかった。
喜怒哀楽を大きく表現して説明する事は、得意。
しかしこれらは、映像で通用しない。

芝居を舞台向けから映像向けに変化させる。
これが、新たな目標になった。

「中が動いた分だけ、外を動かせ。」

そのことが、新しかった。
まずは、内面だった。
なかなか上手くいかない。
何かをやりたくなってしまうし、
やらないと自分が物足りなくなってしまう。

APHでやる稽古の題材に、とある映画のシーンを持ってきて、セリフを真似をした。
まだ未練の残る元カレと電話をするシーン。
APHでは、月に1度、カメラで芝居を撮る。
自分の姿に直面するのは、毎回緊張する。
できれば見たくない(笑)

でも、その回の映像は、初めて自分を見てもいいと思えた。
代表から言われてわかったことだが、これまでとは違って、
葛藤が前に出ていたのだ。

その時に代表から、
「お前、映像の芝居に入ってきたな」と言われ、嬉しかったのを覚えている。

もう巡演はやらなくてもいいかなあ。
今の場所を変えたいなあ。
そう思うのは自然なことだった。
お芝居のレベルを上げたいという思いの方が強かった。

かれこれ、7年?やってきた巡業。
やり切ったと自負もある。

でも、せっかくの居場所を離れるのは勇気がいる。
ここを離れたら何もなくなってしまう。
その迷いが、私を鈍くさせた。

代表と話す機会を得て、
お前、どうするんだ?と聞かれた。

思い起こせば、声優になりたかった。
いや、厳密には声優アイドルだけども。

これまで舞台、ミュージカル、声優、やりたい事全部に触れた。
でも、それだけで食べていけるまでのテッペンに、たどり着けていない。
全部が中途半端だった。

実は・・・声優になりたかったんです。
代表に伝えた。

そうだったのか!?
はじめて知ったぞ!!

代表は目を丸くしていた。

あの日、試験で「預かり」から「所属」に上がれなかった事が恥ずかしくて、黙っていた。
しかもそれがきっかけで、自分は声優になることを挫折したんだと思い込み、諦めかけていた。
私の中で声優アイドルになりたかった事実は、無かったことにしてきた。

代表も周りのメンバーも驚いていた。
ずっと舞台をメインにやってきた私の口から、まさか、
「声優」というワードが出るとは!!

私の方はというと、改めて声優になりたいと言葉にして伝えた事によって、
自分に正直になれた。
心のどこかでずっと「いつかは声優に・・・」という想いがあったのだ。

けれども、その想いからずっと目を背けてきた。
過去の失敗を挫折としか、思えなかったから。
でも本当は、声優になりたかった。
ここからだ。

実はこの時、舞台でお世話になっている演出家から、
劇団を廃業にすることも知らされた。
良いタイミングだった。

事務所に入ろう。
そう思った。

30代からのスタートだった。

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「プロになるまでの全て!」Tさん編14

私は母の死後、四国へ行った。

切り替えたいのか、忘れたいのか、自分と向き合いたいのか、浸りたいのか、
全く目的のない旅だった。
正直、行った記憶もほとんどなく、
徳島で食べたラーメンが美味しかったとか、
そんなどうでも良い事しか覚えていない。
そもそも、なぜ四国に行ったのかさっぱりわからない。
何のために四国へ行ったんだろう・・・?

東京に戻ってきたら、また日常生活が始まった。
でも、そこに母の姿はない。
母任せだった料理も洗濯も掃除も、残された家族がやるしかない。
一生懸命、自分の日常に、家事を取り入れてみたが、本当に疲れる。
毎日、淡々とこなしていた母って、すごいなって、
いなくなってから、気付いた。

四十九日を終えて、私は旅公演に出た。
行く前に代表から「お母様の御霊を背負って、舞台を踏め」という言葉を頂いたので、
私は、その言葉を胸に、毎日舞台で演じた。

小さなお客様の前で、「死」と「別れ」を作品の中で繰り返す。
「さようなら」と言って死んでしまうウサギ役を演じながら、
なんか、これまでとは違う感じがする。
もう4年も続けている作品なのに。

その特別な感覚の根底にあるのは、母そのものだと分かった。
「さようならって明るく言って」と演出を受けて、演じてきたけど、
なぜそうするのかわからなかった。
でも、もしかしたら本当は死にたくなんかないけど、どうせ死ぬなら、誰かの役に立ちたい。
こんな風に、母は思ったんじゃないか?
だから、さようならは悲しいんじゃなくて、笑うのかもしれない・・。
ふと、よぎった。

もう一つの作品では、
すでに死んでしまったおばあちゃんが目の前に現れて、
「いやだ!一緒にいたい!」と抱きつくシーンがあった。
これは、私の中の真実で、毎回体中に熱を感じた。

なんとなく、母がいつも近くにいた気がする。
こなすのではなくて、一回一回発見がある舞台だった。
気付きがたくさんある。

にも関わらず、
私は代表への途中報告をしていなかった。

APHに戻ったのは、冬。
今年も終わろうとしていた。
春に、代表から激励の言葉を頂いたのに、
もう半年以上、連絡をしていなかった。
そんな自分に今となっては、ゾッとする。
移動中でも宿泊先でも、メールの一本は送れたはずだ。
自分勝手だった。

しかしながら、この時の自分は、大バカで、
半年以上連絡をしていなかったことを指摘されても、
なかなかピンと来なかった。
悪い事をしているってわからないのだ。
「東京に戻ったら連絡すればいいじゃないか」って思ってしまっている。
悪気があるわけでもないから、余計に質が悪い。

報連相をする。途中報告をする。
これは、一般社会での常識。
その当たり前のことが普通にできないと、
現場では致命傷になってしまう。

それにきっと代表もメンバーも、私の事を心配していたにちがいない。
私はその想いを汲み取る能力がなかった。
御礼も言うべきだったはずなのに、それすらできていなかった。

これからどんどん仕事をして、プロとして活躍していきたいなら、
自分の痛い部分に目を向けて、
バカを消して、変化を見せないといけない。
ズレてる部分を直さなくてはいけない。
未だに、ズレてる部分は沢山ある。

この時、APHのスタッフさんが私の間違った行動を、一生懸命説明してくださった。
けれど言われてることが理解できない。
バカだから。
でも、私がとんでもないことをしてしまったことは、伝わってくる。
自分のダメなところを言われて、心がヒリヒリした。

この時の私は、大バカだけど、プロになりたかったので、
指摘を頂きながら、今のままではいけないと感じた。
だから急いで、この一年どんなふうに舞台に立っていたのか、
一つ一つ全部書き出して、代表に伝えた。

思い返せば、この反省文が受理されて、APHへ戻ってから、
女優としてAPHを真剣に活用し始めた気がする。
「人」「日常」「芝居」が、母をきっかけに繋がり始めて、
真剣に生きることを味わい始めた気もする。
まだまだ奥があるけれども。
 

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「プロになるまでの全て!」Tさん編13

夏。
最悪な事態が起こってしまった。

父から「話がある。」と言われて、いつになく真剣な様子にびびった。
「お母さん、病院に行ってきたんだよ。余命、半年だって。」
癌が再発したらしい。
でも母の身体は、見る限りでは元気そうで、
死ぬって言われてもピンとこない。

余命なんか、嘘だ。
だって、まだこんなに元気じゃんか!
信じたくなくて、直面できなかった。

まだ旅公演が3ヶ月残ってる。
私の代わりはいない。
仕事をしよう。
そう決めて舞台に集中した。
逃げたのかもしれない。わからない。

旅公演中は、ホテルに着いたら、家族に連絡を取って様子を聞いていた。
こんな風に、家族と話すのは珍しい。
居るのが当たり前と思っているから、
普段、感謝をしてこなかったし、むしろ反抗ばかりしていた気がする。
だからか、家族と話すのが新鮮に感じる。

電話で声を聞く限り元気そうだから、安心して過ごしていた。
今の私に出来るのは、舞台に集中すること。
そう言い聞かせた。

冗談抜きで、母は死なないと思っていた。
外から見る限り元気。本当に。
死ぬ人じゃない。
いつまでたってもピンとこなかった。

でも、余命宣告をもらってから、
母は明らかに弱くなっていった。
それは精神的なものが大きかったと思う。

私が旅公演を終えて、家に戻ったころ、
母の身体が細くなっていた。

病院の帰り、一緒にお寿司を食べに行ったけど、
味がわからないと言って、イライラしていた。
他にも色んな事に、八つ当たりするようになった。
今考えると、明らかに抗がん剤のせいだ。

やっと自覚した。
母を助ける事を。(遅いぞー!)

代表にも相談をし、沢山助けて頂いた。
結構前にアドバイスを頂いていたけれど、
バカな私は、直面しきれていなかった。
けれども目の前の現実が、やっと私をその気にさせた。

まず、ある一定の温度のお風呂に入ることを勧められたので、
寝た状態のまま入れるお風呂を業者に頼んだ。
また、東日本大震災の時にも使われているアシストのやり方を教わり、
母の身体に触れた。
母が気持ち良さそうにしていたのを覚えている。

初めは、抗がん剤よりも治癒力のある正しいデータを、
家族にわかってもらう事自体が大変なんじゃないかと思っていた。

でも私の家族は、何でも受け入れてくれた。
私が直面できてなかっただけで、母は、助かるならと、
お風呂にも入ってくれたし、アシストも受けてくれた。
私がいない時は、ビワエキスを患部に当てて温めていた。

そして私はこれまで全くやってこなかった、料理をするようになった。
マジで、これは母のお手伝いをやってこなかった自分を恨む。
少しは、やれ。
最初、野菜の皮をむいて、切るだけなのにすごい時間がかかった。

そして、母のトイレ。
初めて母のお尻を拭いた。
その時、母がごめんねと言ってきたので、驚いた。
泣きそうになるのをグッとこらえて、
赤ちゃんの時は、私がやってもらったんだから、今度は、私の番だよ。
そう返した。
母は、そうよーと言わんばかりに頷いていた。

徐々に母は起き上がる事が出来なくなった。
子供のように振る舞う母を、私が、しっかりして!と叱る。
まだどっかで信じたくない。
それが態度に出ていた。
自分でできるでしょ!と突き放したりもした。
バカだな私は。

余命なんか、いらない。
癌は、治る。
2019年4月現在は、この時よりもそれがはっきりしてきている。
だから、本当のデータが世に行き渡ってほしい。
私が影響力を持ったら、正しいデータを必要としている方々に、伝えたいと思う。

その日、母は珍しく長いこと眠っていた。
父の帰宅時間にようやく目が覚めたので、
夢みてたの?と聞くと、こくっと頷く。
どんな夢かは、聞けなかった。

次の日、母は自宅のベッドで息を引き取った。
お母さん!って声に出して母の身体を揺らしながら、
なんかこれ、ドラマみたいだなって、他人事のように感じた。

代表に連絡をしたら、
深夜にも関わらず、電話で対応して下さった。
まだ、現実を受け止められなかったけど、
なんか大丈夫だと思えた。
代表が居て下さったから、私は不思議と怖くなかった。
代表、本当にありがとうございます。

全てのことは必要必然ベストなのだ。

本当は、もっと助けられたなと、思う。
色々、遅すぎた。
もっとこうすれば、ああすれば、
考え出したらきりがない。

それでも、密度の濃い修業の時間を過ごす事ができた。
本当に感謝。
お母さん、ありがとう。
そしてごめんね。

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「プロになるまでの全て!」Tさん編12

褒められて嬉しかったし、乗り越えた感もあった。
芝居でこんなにも、充実したのは初めてだった。
振り返ってみても、その不良になった出来事が
私の芸事の出発点になっていると思う。

それから、APHの板の上で緊張するようになった。
自分が、芝居ができない事を自覚して
これからどうしていいかわからなくなっていた。

だから今までの経験にすぐ頼りたくなった。
その方が安心する。
というかそれしかできない。

今までの経験で
場数を踏んで慣れていき、
緊張はしない方が良いというスタンスを身につけてしまっていた私は、
この緊張が新鮮だった。
それも、これまで味わった緊張とは全く比べ物にならないほどの、緊張度合いだ。

それまで全くやってこなかった、
毎回が新しい時間で、私がそこにいるという
当たり前だけど、できてなかった事に真剣に取り組み始めた。

また、APHにはその技術があったので
準備をして取り組むようになった。
(さらに緊張をどうしたらいいのかという技術もここにあった。)

さらに通ううちに、
私は芝居のしの字もわかっていなかったんだという事がわかりはじめた。
というか、私は芝居ができてると思い込んだ勘違い野郎だったのだ。

代表が先輩方にするダメ出しの意味が、理解できなかった。
次元が違って、私はまだそこに気づけない。
ポカーンと聞きながら、頭にハテナが沢山あった。

T先輩とツインで芝居をさせて頂いた時も
私がやりたいようにやらせてもらった。
それは、私がやりやすいように合わせてもらっていたのに
その事に全く気付かないくらいの低レベル。

私の存在はまるで
生まれたての子鹿のようだった。

そして、相変わらず旅公演も継続していた。
APHの技術も使う意識はするけれど、
やはり日常に流された。

毎日毎日、同じ台詞。
いかに新鮮にするか、取り組み始めたのは良かった。
でも相手役もいるから、流されてしまうのだ。
前のやり方で安心してしまう。

そして、何ヶ月も過ぎて、
またAPHに戻ってきたら、意識も前に戻っていて、最初からやり直し。
それを繰り返していた。

せっかく良いものを頂いてるのに活かしきれない。
色んな能力が欠如していた。

巡業では、演出家やピアニストから色々言われて
受け身になりがちだった。
少しずつ、起因でいられるように意識はしていたが
まだ私には相手の要求を超える技術もなく、
やられっぱなしだった。

私には知識がなかったので、代表から薦められた勉強もした。
その時は良かった。
でも継続できなくて、適用できない。
しばらくして、勉強もしなくなってしまった。

私にとって日常はただの日常だった。
芸事と日常が切り離されていた。
普通に暮らして、好きなことやって、
APHに出会ったことで、前よりも真剣に芝居に取り組み始めたけど、
巡業に行ったら、それが適用できなかった。

舞台は好きだし巡業は楽しかった。
と同時に、いつかは離れなくてはいけないとも思っていた。

巡業は正直、実家に住んでいたからできたと思う。
当然、家の事は何もしていなかった。
やりたい事やらせてもらえて、幸せだった。
でも私は、それを当たり前のことだと思っていた。

旅公演に出ている間、
母がいつのまにか、乳がんになっていた。
抗がん剤を使ったせいで髪の毛が抜けていたそうだ。
私が帰った頃には、もう元気になっていて髪の毛も元に戻っていた。

その時は、再発しなければ問題ないと医者から言われたので、
家族全員が安心していた。
たまに母は検査で病院に通っていた。

この辺りの記憶が曖昧で、前後しているかもしれないが、
母が、乳房を切除するために入院した時が有った。
お見舞いに行ったら母は笑っていた。

母は、「ねえ、見てよ!こんなに腕が上がるようになった」
と言いながら壁を触っていた。
切除した後は腕を上にあげることが難しいらしい。
私には、弱音を絶対に吐かない母。

「ほんとだ(笑)大丈夫そうだね!」と言って、私はその場を去った。
その瞬間、涙があふれて止まらなかった。

私は、その時は何も助けられなかった。
むしろ、そこに直面すらできなかった。
そのくらい私は自分の事だけやってきた。
好きな事だけしかしてこなかった。

「プロになるまでの全て!」Tさん編 記事一覧

「プロになるまでの全て!」Tさん編11

APHに入った最初の頃、私は旅公演をメインに活動していた。
そのため、APHには来たり来なかったりするビジターだった。

入ったばかりの私は、みっちり稽古して積み重ねていくというよりも、
レッスンの感覚だった。
APHがどういう所なのかを、まだ理解していない。

家では、練習をしていた。
台詞覚えた!
歌詞覚えた!
やる事と言えば、このくらい。

練習は、すぐ飽きてしまって続かない。
だから、上手くなりたいって思うのに、何もしない。
でもここに通っていれば、何とかなる。
そんな風に甘えていた。

昔からレッスンをしていれば、なんか安心感があった。
これだけ練習したから、大丈夫だ・・みたいな。
当時は、別で歌のレッスンにも通っていた。
これで、十分やった気分になれた。

浅はかだった。

人には段階があって、徐々に気付きを得ながら物事を理解していくのだと、
今は身にしみて感じている。
だからこそ正直、この頃の私に直面するのは結構きつい(笑)

人間としてのレベル
観察する力
判断する力
常識
こうしたものが、ほぼゼロ。

それに加えて、頑固。
人の演技を観ても、見方がわからない。
良いものと悪いものの差がわからない。

当然だが、APHで教わるボディボイスも芝居も、一朝一夕ではできない。
積み重ねて、練って練って、触って、気づいて、また練ってを繰り返していく。
それが最初、物足りなかった。
私にレッスンの感覚が染みついていたのが原因だ。

何でも、すぐできなくちゃいけない環境にいた。
ダンスの振り付けも。歌も。
その場ですぐできないと、ミュージカルの世界は置いて行かれる。

ミュージカルで求められているのは、
音程を外さない歌や体の柔らかさ。まさに筋肉の世界。
これが大前提で、さらにここから表現力をつけろと言われてきた。
世の中の合意が、そうだった。
別に悪いわけではないけれど、当時はそこだけしか見えていなかった。

私の場合、段階を踏んで、その奥に気付けるように導いてもらった。
しかし、「それしかない!」という固執した考え方を修正するのに
結構、時間がかかった。
そのくらい、固定観念が強かった。

何度も言うが、当時の自分の行動や考えは超レベルが低い。
正直に言いますYO
ぼーっと生きてたYO
自称、役者で、やることやってないYO
結論、何もしていなかったYO!!!

舞台の本番を、こなして、
レッスンで安心している日々。
芝居の内容は、毎回繰り返してて新鮮さゼロ。
よく、これでプロって言えたなと思う。

ただ、こんな私でもAPHに行く時は緊張していた。
できれば芝居で恥をかきたくない。
否定されたくない。
本当言うと、普段何もしてないことが、ばれる事が一番怖かった。
でも、家でどう芝居の稽古をしたらいいのかもわからないし、
多分する気もなかったんだろうな。

この日、APHのセッションで、
公演中のシーンの一部を抜粋して演じることになっていた。

舞台で、ウサギをずっと演じている。
軽く1000回は超えていた。
最初、私としては、いつも通りにやれば問題ないと思って、
先週は、そのまま演じて見せた。
舐め腐っていた。

誰が見ても、完全に居着いていた。
私の身体には「ウサギ」がこびりついていた。
台詞の言い方が毎回同じ。変わらない。
もう、何千回と言ってきた台詞が身に染み付いて離れない。

代表から
「ウサギ役でお金をもらっている。
それをここでやっても全く意味がない。
お茶を濁しに来るくらいなら来るな。
ウサギのままでいいなら、APHに来るな。」と言われた。
代表は、私が安定したウサギを見せればいいと舐め腐っていたことも見抜いていた。

各自練習タイム。
台詞を練習するが、いつもの言い方が出てくる。
変わらない。
変化したいけど、どうしたらいいのかわからない。
何をやればいいかわからない。
窮地に立たされた。

芝居ってなんだ?
わかんない・・できない・・いつものウサギしかできない!
一人で、混乱していた。
でも、ここで変化をしないといけない気がした。
変わらなければ、ここにいる意味がない。

結局、何もできないまま本番を迎えた。
私が皆の前に出ると、代表から
「先週は全然動けてなかったから、まず動け!」
「さあ、Tにウサギをやるなと言いました。後で皆に判定してもらいます。」
と言われて、さらに追い込まれた。

どうしていいかわかんない。
なんか怒りが湧いてきた。
私はウサギだけじゃない!

そうだ!
もう、不良になろう。
タバコとか吸った事ないけど、やるしかない。
台詞の言い回しも変えていいのかわからない。
でも・・聞けない・・
いーや、変えたる!不良だ!
もうどうにでもなれ!

よーい、アクション!
その瞬間、ずっと演じてきた可愛らしいウサギが、一変して、
タバコを持ち、○○○座りで、
「なんであたしの耳は片方曲がってんだよ(怒)」
ってな感じで、ウサギのシーンを不良で演じた。

カットがかかった。
何となく空気が変わっていた。
「はい、変わったと思った人?」と代表が言うと、
全員が手を挙げた。

「何をやろうとしたんですか?」と代表に聞かれ、
「不良です。」と答えた。

何を言われるのかドキドキしていると、代表から
「素晴らしい!はっきり言います。
あなたには、才能があります。
こんなに早く変われるとは思ってなかった!
もっと、頭が固いのかと思ってた。
よくやった!もう今日は帰っていいぞ(笑)」

思い切り、代表から褒められた。
全員がウサギに見えなかったと言ってくれた。
それを受けて、涙が出てきた。
殻を破って、それが周りにも届いて、快感だった。
変化を見せるってこういうことなのか・・
身体で覚えた瞬間だった。

最後、代表に呼ばれて、握手をした。
「今日は、アニバーサリーだ!今日のことを書き留めておけよ」と言われ、
この時の事は、自分ノートにしっかり記載されてある。

「真逆ができた。
これからは、その間を埋めていこうな!
やりたい役を書き出しとけ。よくやった!」
代表からの言葉だ。

ウサギが不良になった。
殻を破った。
今日は、ここに来た意味がある日になった。

「プロになるまでの全て!」Tさん編 記事一覧

「プロになるまでの全て!」Tさん編10

役者を目指してる人に会うと、よく警戒していた。

常に比較され続けてきたので、
「周りは敵だ」という固定観念があった。
今となっては、そう思い込む自分の視野の狭さに笑ってしまう。

しかし私が目指している世界は、
仲間を蹴落とさないといけないんだと本気で思っていた。
でも私は傷つきたくないから争いたくなかった。

前に出ていこうとする自分と前に出ないようにする自分がせめぎ合い、
結局、前に出ない方を選んだ。
専門学校時代は、特に遠慮のかたまりだった。
自分の意見を言わない。
演じたい役は人に譲る。

しかし養成所時代は、それじゃだめだ!と、
敵対心むき出しにして、わざと友達を作らなかった。
無理やり、前に出ようとしてみたのだ。

わかったのは、どっちも気分が悪いということ。
そりゃそうだ。
周りを敵として見ている根本が間違っているのだから。
そもそも周りは敵ではないのに。
そんなシンプルな事にさえ、気づけなかった。

だから、いつまでたっても競争社会での振る舞い方がよくわからなかった。
人から嫌われたくない想いが人一倍強い私は、遠慮が身に付いた。
といっても、ただ控えめな感じに見せてるだけ。
心の中では「自分の方ができる」って思い込んでいたので、
相当、腹黒い女だと思う。

しかし、達者な人の前でその思い込みは通用しない。
たちまち、ひるんでしまう。
私の実力が足りないから、太刀打ちできないのだ。

本当はひるみたくない!
遠慮がちにもなりたくない!
でも前に出すぎて嫌われたくない・・・

結局、人から嫌われないように振る舞っていた。
俗に言う「良い人」だから、人間関係を保つには良かった。
とにかく人から良く思われたくて仕方がなかった。

こんな具合なので、
APHを見学する時も自分がどう見られるかに注意が向いていた。
さらには警戒心も有る。
同じような目的を持った役者の集まりなのだから、
我が強く、自己アピールの強い人達がいるんじゃないかと、
これまでと同じような競争社会を想像していた。

だから私は最初、既存メンバーに負けないように、
自信があるフリをしよう!考えてるフリをしよう!
そうやって、自分を良く見せようとしていた。
そして、前に出過ぎないように良い子でいながら面談に臨んだ。

面談の記憶は、曖昧な部分も多いけど、
インパクトのある部分だけは私の中に残っている。
あの日は私の転機となった。

代表を目の前にし、とても緊張したのを覚えている。
今まで感じたことのない気迫を感じた。
私が目指しているプロの世界の人だとすぐわかる。
温かく握手で迎えてくださり、面談が始まった。
何を聞かれるのか、とても警戒していた。

最初は、良い子を演じて表面的に対応していた。
今思うと、お前はロボットか!とツッコミを入れたいくらいひどかった。
それでも代表は真摯に対応してくださった。
(本当に、ありがとうございます。)

今の状況や、ここに来た経緯を話しながら、
少しずつ緊張がほぐれていく。
といえども、なんか見透かされている感じがして、
・・こ・・わ・・い・・(笑)
でもそう感じたのは、私が正直でいようとしていなかったから・・。

代表から、今1番困ってる事は何か?悩みは何か?と聞かれたので、
演出家のダメ出しに対応できなくて困っている事を伝えた。

すると、代表は私がどういう状態なのかを丁寧に説明して、
これからどうしていくのが最適かをホワイトボードに書き始めた。

今現在もそうだけど、
ここまで傾向と対策を具体的に言ってもらえる処を私は知らない。
これまでの劇団、専門、養成所は、
「それじゃだめだよ」とか、言いたいこと言って泣くまで追いつめてくる。
それで最後の最後に、「よくなったよ!」と褒めて、
できたような気にさせてくる。

でも何がどう変化して何が良くなったのか
具体的には言ってくれない。
これまで出会った偉い人は、感覚だけで、物事を判断して、
それが1番だと思い込んでる人がほとんどだった。

代表は全部仕組みで説明している。
裏付けがしっかりしていて、
とてもシンプルで納得のいくものだ。
これまでとは次元が違いすぎて、聞き入ってしまった。

さらには代表から痛いところを突かれドキっとした。
まさにその通りだった。
私は現場で通用する技術を持っていない。
つまり実力がない。
うすうすと感じてはいたけど、認めたくない事実だ。
私を支えていたのは、根拠のない自信だけだという事に初めて向き合った。

私は少なからず、できる気になっていた。
場数を踏んで慣れてきたら、すぐできると勘違いしてしまう。
実力は経験値に比例すると思っていた。

さて、私はどうする?
代表は何かを押し付けてくるわけではない。
決めるのは自分なのだ。

私の将来の話になったので、迷わず代表に私の本音を伝えた。
誰が聞いても無謀だと思う夢を、初対面の代表に話していた。

代表は「それは無理だよ」とも「うん、きっとなれるよ。頑張って」とも言わない。
夢がリアルになる事が前提で、どう動いていけば良いのかや、
どうやって芝居の実力をつけていけばいいのかを丁寧に淡々と説明している。
全てが具体的だ。
私が、この先どうするべきなのか、ここに答えがある。

なぜか涙があふれた。
ここで実力をつけていきたい。
何かわかんないけど、なんか他と違う。
本当の事がわかる。

さらに、来ている人全員が優しく接してくれた。
その優しさは心から人を助けようとする姿勢そのもの。
私に欠けていたものだ。

皆それぞれの場所で戦っていて大変なのに、明るく見える。
そこにいる全員が、味方であり同志。

私はAPHという新しい環境に迷わず飛び込んだ。

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