「プロになるまでの全て!」Tさん編23

ここから、長い長い自分との闘いが始まる。

事務所に所属できるようにと、Y先輩が面接の機会を与えてくださったり、
ディレクターにボイスサンプルを渡してくださったり等、
沢山の機会を作って下さるにも関わらず、チャンスをものにできない。

さらに、昔お世話になった演出家が、
某声優事務所との面接の機会を作って下さったのだが、
これも対面で丁重に断られた。

帰りに、演出家が私に「もうこの道は諦めた方がいい」と言い放った。
自分が作っている現実とはいえ、ひどすぎる。

あまりにも、私の中でストップが多い。

そのせいで事務所に受かっていないという現状がある。

代表との個人レッスンでは、
「私が創り出しているストップ」を発掘するための方法を伺い、
そして必死に呼吸の稽古を続けた。

自分がストップしている「何か」は自分で見つけるしかない。
その「何か」を突き止める作業が始まった。

一つ一つ、直面すると、本当の私が見えてくることが何度もあった。
自分が自分に作ってしまった壁を自分で外していく。
その作業は苦しく、楽しく、最後は心が軽くなるような感じもした。
けれど、一筋縄ではいかない。
私のストップはあまりにも大きすぎた。

そもそも、「ストップ」している自覚がない所からの始まりだった。

私には「まだいける!次こそ決める!」と、プラス思考で体当たりできる力が有った。
だからこそ厄介で、自分でストップしている感覚がなく、何がいけないのかが見えない。

元々、自分の事しか考えられない私は、浅はかで、全部が表面的だった。
自分の「中心」が一体何なのかわからない。
まだまだ私は、稽古がエクササイズの段階なのだ。

「安心」したい!
「答え」がほしい!

長いことAPHに籍を置いているにも関わらず、まだ養成所生の感覚が抜けていなかった。
だから、あらゆることに浮かれたり、落ち込んだり、一喜一憂していた。
そんな私が、やっとここから「本質」に触れて、抜本的に自分を変化させていくのだが、
一朝一夕にはいかない。

APHの講義で「ど真ん中」「中心」に触れる内容を伺ったので、
一生懸命、ノートに代表の言葉を書き留め、家で新しい紙に書き直す。
そしてその紙をファイルに入れて、何度も読み返す。
言ってることは何となくわかる・・でも、どうやったら中心で居られるのか。
頭で考えるばかり。

とにかく、今できることは個人レッスンで「呼吸」を稽古させてもらうことだった。

まだ全然わかってないけど「呼吸」を稽古すると何も考えられなくなる瞬間が何度もあった。
その時間は、とても静かで自分が集中しているのがわかる。

そんなある日、「ここを掘っていけばいいんだ!」と気づく瞬間があった。
代表とその瞬間を共有させていただき、おかげさまで私は「ボディボイス」を通じて、
芸事に対して真剣に生き始める。

「本質」に触れると気分が上がる。
その感覚はわかる。でも、まだほんの少し触れただけ。
今の私は、自覚していない「固定観念」や「嘘」で凝り固まっている。
「正直」から、かけ離れた場所にいる。

でも、嘘をついている自覚もないし、固定観念?なんのこと?
その無自覚の見えない部分との戦いは、
痛い所を突かれた時に直面できるかで勝負が決まる。
私の中にいる何かを変えないと、事務所は一生決まらない。
いつも、固くて深刻な自分。
何となくわかる。
でもどうしたら良いかわからない。
代表も一緒に頭を抱えている状況が続く・・・
本当に胸が痛い・・なんなら頭も痛い・・

おかげさまで、個人レッスンで稽古を続けることで、
少しずつ「気付き」が増えていく。
考え方も実力も全然まだまだ追いついていない中で、
昨日の自分よりも少し成長することを積み重ねていく。
本質に触れる機会を頂き、1枚1枚自分を剝いでいく。
でも日常を生きていると、また戻ってしまう。
そしてまた、個人レッスンで代表の力をお借りして、取り戻す。
その繰り返し。

どうにかせねば!!

常に、事務所所属のことが頭にある。
そして、いつものように検索し、ある吹替ワークショップを見つけた。
現役の音響監督が講師。
現場と同じ環境でレッスンができる。
認められれば現場への出演チャンスあり。
大手声優事務所オーディションへの参加可能。
月謝は少し高いけど、最後のチャンスのような気がして、週に一度通うことにした。
次こそは!

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「プロになるまでの全て!」Tさん編22

路頭に迷っている私を何とか事務所に繋げようと、
周りの方が助けてくださった。 
もう忘れてしまうくらい沢山の機会を頂いた。
あのエキセントリックな劇団から、
中堅の声優事務所、
そして、Yさんが所属されている大手事務所まで。
とにかくコネで、面接まで辿り着くことができた。
この時にプロフィール作成やお土産選び、便箋の用意、電話対応から
紹介して下さった方へのお礼、報告連絡相談など、
沢山の流れを叱られながら身に付けさせて頂いた。
チャンスはスピードとタイミングだ。

しかし、ことごとく、断られる。
もう断られるのに慣れてしまった。
どうせ、ここも落ちるんじゃないか。
やっぱりな。
また落ちた。
またか・・
もはや落ちることが当たり前になり、
最初はがっかりしていたのが、今や平気になってしまった。

こんな状態で、ある声優事務所を見つけた。
社長がちょんまげをしている変わった場所。

レッスン生として中に入れば、
オーディションのチャンスはあるそうだ。
レッスン料も安かったので、
若い子に混ざって、一緒にレッスンを受けることにした。
実際にゲームのキャスティングをしている男性Dさんがいたので、
とにかく抜きん出て結果を残そうと頑張った。
でも、ゲームって・・・
全然ゲームをやらない私。
ゲームのキャラボイスと言われてもなかなかピンとこない。
何でも良いから、仕事せねば!
自分とはかけ離れたものでも、とにかく何でもいい!
そんな気持ちだった。

もうすでに私の持つエネルギーが落ちていた。
闇を抱えて負のオーラを背負っている感じ。
こんな状態では、良い事務所、良い人とは出会えない。
心の中で、負けない!こっから!って思っていても、目に見えない部分が悲鳴を上げている。
もうダメかもしれないっていうほんの少しの迷いが滲み出て隠せない。
どうしたら良いんだ。
私の本心がわからない。
何で声優になりたいんだっけ?
自分の軸がわからないまま、当てもなく彷徨う。
とにかく事務所、事務所に入らねば。
焦る自分。
でも何とかなるって思ってる私。
この狭間で、闘いが続く。

結局、そのちょんまげ社長の声優事務所には行かなくなり、辞めてしまった。

どこにも全然受からない。
ご縁がない。
全部、自分のせい。

そんな私が諦めないでいられたのは、代表の個人レッスンのおかげだった。

この不遇時代、
私が何をしていたかというと、週に一回、
個人レッスンを受けて、呼吸の稽古をしていた。
そして、その日録音させて頂いたレッスン内容を家に帰って書き出していた。
この時の書き出しの力は大きい。
秘伝が沢山書かれているこのノートは、一生もの。
ダメな私を救ってくれる宝物。
どん底の私は個人レッスンで実力をつけるしかなかった。
毎週本質に触れられるように導いて頂き、自分の可能性がどんどん見える。
まだ私、やれる。
虎視眈々とチャンスを待ち続けていた。

だが、待ちぼうけている。
ずっと続けているコールセンターのバイトのおかげで、
なぜか電話営業がとても上手くなった。
営業成績が300人中いつも10位以内。

自慢だよ。
すごく虚しい自慢。

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「プロになるまでの全て!」Tさん編21

さて、事務所を辞めてしまった。
また路頭に迷うことになった。
せっかく周りのお力を借りて中堅の声優事務所に所属したのに、またダメだった。
私は、型にはまれない性格なのだとつくづく思う。

現場に出させてもらえない状態が耐えられない。
ずっとレッスンばかり。
なぜかお金を払って事務所に所属している。

ごく一部の売れている声優さんは運が良い。
キャラクター、人に出会って、共に名が売れる。
でもきっと多くの声優タマゴはめぐり逢えない。
だから、
事務所で仕事を待つ。
実力をつけながら腐らずに待つ。
いつか自分に合う仕事が来ると信じて待つ。
今できる事を精一杯やる。
営業してもらえるように事務所に顔を出す。
そして、名前を覚えてもらって沢山のオーディションに参加する。
きっとやるべきだし、皆そうしてる。
なのに!私は・・・・

声優として食べていけるのは、
事務所に所属してオーディションに受かる、もしくはご指名を頂き、役と巡り合う、監督と巡り合う、
そして結果を出してリピートに繋げる力・実力を持っている人。
特別じゃない人は、
このラインに乗るのに必死なのだ。
逆に言えば、このラインに乗らなければ、声優にはなれない。
だから皆、まずは事務所に所属する。

私はもちろん選ばれた人ではない。
ただ声優に憧れている人だ。
だからこのラインに乗らなくちゃいけないのに、自ら降りてしまった。
普通ならきっとこの辺りで見切りを付けるんだと思う。

でも私は諦められない。
きっと何とかなる。
結構、前向きだった。
それは現実を受け入れたら苦しいからかもしれない。
自分の置かれている立場を冷静に俯瞰したら、
怖くなってしまうからかもしれない。
そんな言葉で振り返ることもできるけど、ただ単に諦められないだけ。
まだできる。
本心だ。

でも、どうしたら良いかわからない。
私よりも代表の方が頭を抱えている。
その姿を見てようやく、
あ、私って先がもうないんだな。と寂しくなった。

もうなす術がない。
また事務所に入るところからやり直し。
どう見ても痛い人。
どうしたらいいか代表もわからない。

辞める時に言われた社長の言葉が頭の中で響く。
あんたなんかどこへ行っても成功しない。

その通りかもしれない。
誰がどう見てもそうなのだから。

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「プロになるまでの全て!」Tさん編20

事務所をやめてフリーになった。

早速、新しい事務所探しに奮闘する日々だった。

代表に相談をさせて頂きながら、
プロフィールを作成してあらゆる声優事務所に郵送した。

ナレーターに特化した事務所に面接を申し込もうと電話をしたり、
大手声優養成所のオーディションにも参加した。
その時は特待生として通うつもりだった。

この日本で良く知られているほぼ全ての声優事務所に体当たりしたと思う。


レギュラーというお土産もなし。30過ぎてる。世間から見たら痛すぎ。

でももう、他に手段がない。
できることを全部やって、もがいてもがいてもがき続けた。

現実は甘くない。全部落ちた。


気になる所が1か所あった。

映像と声と両方バランスよく仕事ができそうなTプロダクションだった。

代表に相談をした所、
「Y先輩の紹介でTプロダクションに入るのはどうか?」と薦めて頂いた。

Y先輩はプロとして活躍されているAPHの先輩だ。

早速、Y先輩に動いて頂き、
Tプロダクションに所属されているお知り合いAさんに話を通して頂き、
おかげさまで面接日が決まった。

代表と緻密な打ち合わせをさせて頂き、
Y先輩にも沢山協力して頂き、ようやくここまで漕ぎつけることができた。

一人の力ではどうにもならない現実が、今、周りの方のおかげで変わろうとしていた。


当日はすでにお送りしていたプロフィールを見て頂きながら、社長と面接。

どんな仕事をしていきたいのか?と質問を受け、
子供番組に携わりたい想いを直球で伝えた。

まっすぐな想いは社長の心に響き、その場で所属が決まった。

道が開けた。

ようやく、スタート地点に立てた。

そしてここからが試練だった。

 

所属しても、しばらく事務所のレッスンに通う日々だった。

お芝居の題材はシェイクスピア、チェーホフがメインだった。

とにかく仕事をするために向き合った。

3か月経過した。

ようやく1本、映像の仕事が決まった・・が、その他大勢の仕事だった。

次は、NHKの再現が決まった・・。

1年で仕事量は3本だった。

代表からアドバイスを頂き、
自分のボイスサンプルを作成してマネージャーにアプローチをしたものの、
そういうのはやってないと聴いてもらえなかった。

とにかくレッスンで芽を出す以外に仕事は決まらない。

だから、レッスンに通い続けた。

後からわかったのだが、
最低でも3年レッスンに通わないと仕事は頂けない方針だったそうだ。


30過ぎた私にその3年は大きすぎた。

おこがましいのはわかってる。

下積みしないといけないのもわかってる。

でも・・・このまま飼い殺しになるのかもしれない。

そんな不安がよぎった。

1年経過した時、事務所を離れることを決断した。

せっかく、紹介してくださったのに申し訳ない気持ちでいっぱいだったが、
Y先輩もAさんも有難いことにこちらの状況を理解して下さった。


あの日のことは忘れない。

電話越しに社長から、怒鳴られた。

申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

でも、気持ちは変わらない。

私は、自分勝手だ。


その後、代表と電話をさせて頂き、何とか精神状態を保つことができた。

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「プロになるまでの全て!」Tさん編19

これは、予想していなかった。

うちのような小さい事務所に吹替の仕事が丸ごと任される。

キャスティング権がある。

今思うとこれは、声優業界の仕組みが壊れてきた序章だったのかもしれない。

とにかく、予算がない。

それなりに仕上げてもらえたらそれでok。

そういう会社が業界を牛耳る時代に変わり始める前兆だったのかもしれない。

突然社長から話が有り、私が主演の男の子役に決まってしまった。

吹替は、大きな声優事務所に入らないとできないと思っていた仕事だった。

でも、今、下の層に・・・

大手事務所に入ることができなくて、

でも声優を諦めきれない人たちがワンサカいる地帯に、こうしてチャンスが巡ってきた。

これは思ってもみなかった。

この現象は嬉しい反面、吹替の仕事って、

もっとレベルの高い場所にあるんじゃなかったっけ?と不思議だった。

主演・子役といえば、
私のイメージだとシックスセンスやホームアローンやレオンが思い浮かぶ。

もちろん、今回携わるのはメジャーの作品ではない。

B級ホラーだ。

それでも手の届かないと思っていた「吹替現場」に私がいる。

実力もない私がBQホラーの主演、少年役を演じる。

ずっとやりたかった声の仕事。

素直に嬉しかった。

事前に台本を頂き、当日は小さなスタジオで収録。

いや、本当のことを言えば、あれはスタジオではない。

もちろん機材やブースや控室まできちんと整っていて、収録には申し分のない場所だ。

でも・・言いたくないけど・・ここは自宅兼スタジオのようなところだった。

私が思い描いていた「現場」じゃない。

私が想像していた「現場」から程遠い。

やりたかった仕事をしているはずなのに、なんか納得いかない。

仕事に恵まれない人も大勢いるのに。

これはとても有難いことなのに、今、ここで頂く仕事に不満を抱いている。

私が行きたいのはメジャーだ。

きっと今の事務所にいたら、これからも吹替の仕事に携わることはできるのだろう。

安いギャラだけど経験を積む事はできるのだろう。

でもここで止まるわけにはいかない。

もっと上に行きたい。

同じ「主演」「吹替」っていう言葉なのに、
私が行きたい場所と、今いる場所が全然違う。

私は「メジャー」にこだわりたかった。

この小さな事務所で留まり続けるわけにはいかない・・。

もう一個上のランクの事務所に行かなくては。

辞めようかどうか迷っているとまたチャンスが巡ってきた。

今度は、海外アニメの吹替だった。

ずっとやりたかった子供向け番組。

事務所は前回と違って、外部にも宣伝をしてオーディション形式をとった。

同じような境遇の女子たちが、沈黙の中で、
受かりたいという闘志で空間を埋めて独特な臭いをさせる。

私はこの事務所の人間だから「受かる」と、信じ込んでいた。

バチバチする静寂の戦いに、優越感すら感じた。

結果は、不合格。

なめていた。

所詮、私はこの程度のレベルだった。

実力も。そして、考え方も。

この私を落とすなんて信じられない!

この低レベルの争いに負けたなんて!

冷静じゃない私の本音が止まらない。

事務所、やめちゃえ!

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「プロになるまでの全て!」Tさん編18

落ち着いて冷静に考えたら、断られることなんて当たり前なのに、
どれだけ純粋バカなんだろうか。

目の前のことに一喜一憂して、良いことがありそうだと思ったら、
悪い癖ですぐ浮かれてしまう。

プロデューサーと面接できる!
それだけで私は大空を羽ばたくような気持ちだった。

・・・けれど、本当はどこかで「だめなんじゃないか」ってわかってた。
でも、それを意識したら本当にだめになってしまう。
だから、そこを見ないようにして、「大丈夫」と自分に言い聞かせる。

他のオーディションも同じ。

確率0.0000001%の勝率に賭けて、
受かってるって自分に思い込ませる。
結果、何度落ちてきただろう。

ダメな所に見向きもせず、根拠のない自信だけで、
力尽くで受かろうとして粉砕する。

そこに戦略がなければただの青春だ。

ある程度生きてきた私は、20代の人と同じようには戦えない。
正しい指導者について、実力を付けて認められなくてはいけない。

私の、居場所は一体どこなんだろうか?

私に、居場所なんてあるのだろうか?

いつの間にか、「何とかしなきゃ!」と、事務所を探していた。
もう事務所に入るしか考えられなかったし、他に方法が見つからない。

事務所の条件は声と顔出し、両方できること。

もう最初から大手事務所は除外していた。

他者から言われた「30代は取らない」という言葉。
それが現実だと身に染みたばかり。

敷居の高い事務所には入れないって思い込んで、小さい事務所ばかりに目が行く。

とにかく私でも入れそうな場所・・。
そんな風にしか、もう探せなくなってしまっていた。

突きつけられた「年齢」という厳しい現実をまともに受け入れれば受け入れるほど、
私の純な想いが濁って見えなくなりそうだった。

好きなこと、やりたいこと、なりたい私、それは自分がよく知ってる。

だから年齢なんか関係ない!って自分で思う分には自由だし、
私にはそう思い込む力もある。
でもこのままでは、世の中に受け入れてもらえない。

現実を受け入れて、「まとも」にほかの道に行く選択肢だってある。

でも、、、それができない。
だから、年齢で拒否されない事務所を探す。
そんな何の条件も整っていない私が見つけた場所。

小さな事務所A。

何かしていないと、どうにかなりそうだったから、あまり考えずに決めた。
書類選考のみ。3か月だけレッスンを受けて、その後、問題なければ所属できる。
そんな誰でも入れる事務所Aに、受かった。

私にも居場所があった。よかった・・。

不安から解放され、安堵した。
でもここから、メジャーに辿り着けるのだろうか。

今はそんな事考えたくない。
とにかく居場所さえあれば。。

必死でまた不安を掻き消した。

事務所に入ってからは主に再現ドラマ、通販番組のインサート映像、のオーディションが来た。

部屋を掃除する主婦。
子供番組の中では、母親役。

この辺りの、エキストラに少し毛が生えたような仕事が主だった。
情報番組の再現主役は一通り網羅した。

私の履歴書がだんだん埋まってくる。
でも、居場所はここじゃないって、心の奥で叫んでる。
これらは、仕事として「一本」と数えていいのか、自分でも疑問だった。

先が見えない。
でも、ここにしかいられない現実。

そんな時、吹替のお仕事が決まった。

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「プロになるまでの全て!」Tさん編17

ずっとお世話になっている共演者のMさんが、
番組の裏方として携わっていたので、
無理を言ってお願いしたのだ。

Mさんは嫌がることもせず
「プロフィールを作れば?」と冗談半分で仰ったので、
早速、面接用にAPH仕込みのプロフィールを作り、
写真も撮り直し、歌を入れたボイスサンプルを仕上げた。

その後、Mさんに時間を作ってもらい、
プロフィールを見せると、「いいじゃん」と言って、
その場でプロデューサーに電話をかけたのだ。

急すぎて、緊張したけれど、
代表から電話がつながった時に何を話したらいいのかまで
アドバイスを頂いていたこともあり、
その電話であっさり、面接が決まった。

面接当日は、特別な想いであふれていた。

私の憧れの子供番組のプロデューサーが、
私みたいな素人と会ってくださる。

期待していた。

だって、わざわざ時間を作ってくださる。

本当なら電話で断ることもできたはず。

それなのに、断られなかった!

私は、夢や期待を膨らませていた。

TV局本社に入って、面接が始まると、
軽い世間話から始まり、とうとう本題へ入った。

自分のプロフィールを見せながら、自分の子供番組に対する熱い夢を語った。

想いを全部伝えきった。

本気でこのまま、うまいこと話が進むんじゃないかと思っていた。

そして、返ってきた言葉は、

「いや~こんなふうに、関わろうとしてくる人は沢山いて、全部断ってる。
そして、今回はMさんの紹介だから時間を作ったけど、普通なら断ってる。
まず、30歳を過ぎている人をとらないよね。
あと、この経歴じゃあ、難しいね。
まあ、30歳からが役者としての分岐点になると思うから、こっから頑張って。」

面接は、以上終了だった。

その後の記憶はない。

ただ、かなり落ち込んでいたのは確か。

見たくなかった現実を突きつけられた私は、くやしくてたまらなかった。

代表へ報告すると、

「やっと目を覚ましたか?こんなもんだぞ。お前の好きなものはなんだ?」

プリンです・・・

「今日はそれを食え(笑)」

代表は全部わかっていたのだ。

甘い絵空事だった。
ここを超えればどんどん流れが来ることも代表は知っている。

「今回のことで、ぞっとするくらい落ち込めたらしめたものだ。
そんなもんで済んでいいなあ。
もっと地獄を見なきゃわからないんじゃないの~」

固い私は、その言葉の真意を受け止めきれず、
本当に落ち込んでお葬式ムードだった。

正直、プリンを食べても立ち直れなかった。

いつだって、深刻さと固さは隣り合わせだ。

こんな状態で、感謝は生まれるはずがないなと・・。

今はそう思う。

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「プロになるまでの全て!」Tさん編16

代表に、声優になりたいと伝えてから、私のターゲットが明確になった。

「事務所に入ること」
というわけでまずは、プロフィールの作成をすすめられて、
写真、ボイスサンプル、履歴書の準備にとりかかった。

完成した履歴書をみて、愕然とした。

私の履歴書は、舞台一色。
声の仕事は、一つもなし。
しかも7年間やってきた舞台は、巡業公演。
一般的に知られていない劇団なので、業界からは「レベルが低い」という目で見られる。

立場はかなり、厳しい。

とにかく、今は、実力をつけるしかない。
まずは「舞台」のお芝居から「映像」のお芝居に質的変化を起こす事が必要だった。

APHでは、本質を学ぶ。何が本当のことか、肌で感じる。

メンバーそれぞれ課題があるが、私の場合、
映像のお芝居をやろうとすると、いつも「型」が邪魔をした。

私には、固さがいつも付きまとう。
それは、我欲が強いせいでもある。

代表からは「柔軟な人であれ」と何度も何度も言われ続ける。

とにかく、今は「世話落ち」を身に着けながら、もっと面白がることが私の課題だった。

そうは言っても、なかなか昔の型を捨てることができない。

「型」というのは、自分の古い考え、固定観念と繋がっている。
私が柔軟さを身に着けるには、「思考」を変える必要がある。
これが、なかなか一筋縄ではいかない。

そんなある日、APHのセッションで取り組んだお芝居の中で
「型」が見えない瞬間があり、代表から褒められた。

大ヒット!が出た。

そして、次の週、同じように褒められようとして、
同じことをやったら、叱られた。

もうできてるところをやっても意味がないし、稽古にならんだろ!
もっと繊細さを勉強しなさい!と言われる始末。

私は、固さに加えて、短絡的でもある。

すぐ調子に乗るし、いろんなことに一喜一憂してしまう。

まったく、芸事の「げ」の字にも入れないほど、
何にもわかってない人間そのもの。

ただ毎回のセッションで、
自分が真剣に変わろうとしているのは本当だった。

というのも・・・・

「どうしても、上に行きたい。
そして、いつか歌のお姉さんになるんだ!
だから、大手の事務所に行って、レギュラー番組を持って、仕事をするんだ!」

と、本気で考えていたからだ。

これが20代ならまだ許せる・・。

私の場合、ちょっと・・いや・・・かなり痛い。
我欲が強いためか、気持ちが先行して、現実が見えていない。

さらに言えば、この時、「巡演」の時にお世話になった演出家から、
同じ作品で秋に一度だけ、長野の舞台に出てくれないか?と依頼がきた。

私はもう戻る気持ちがなかったので、断ろうとしていたが、代表から
「主役の席なんて普通は簡単に手に入るものではない!
今あるものをまず大切にしなさい」
とお叱りを受けたこともあった。

「今あるもの」をバッと投げ出してしまうのは、まずいやり方だと。

ただ、この時の私はその意味もよくわかっていない。
呆れるくらい、現実ではなく、夢を見ていたのだ。

そんな私に、転機が訪れた。

某子供番組プロデューサーと面接することになったのだ。

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「プロになるまでの全て!」Tさん編15

わかりやすくて、大袈裟なお芝居が、得意だった。
というか、それしかわからなかったし、やりやすい。
そんな私が、APHでの稽古を始めてから、舞台以外のお芝居に興味を持つようになった。
これまでとは違う視点で、映画、ドラマ、そして、女優さんを気にするようになった。

もちろんミュージカルで、お芝居はしていた。
喜怒哀楽を明確にして、わかりやすいお芝居をして、
台詞は、ハキハキ喋った。

しかしAPHで学ぶことは、真逆だった。(あくまで私にとっては)
顔や身体で、表現しようとするな。
台詞は、世話に落として喋ってみろ。

こっちの方が面白そうだった。
でも簡単じゃない。
これまでは顔や身体を動かすしか手段がなかった。
喜怒哀楽を大きく表現して説明する事は、得意。
しかしこれらは、映像で通用しない。

芝居を舞台向けから映像向けに変化させる。
これが、新たな目標になった。

「中が動いた分だけ、外を動かせ。」

そのことが、新しかった。
まずは、内面だった。
なかなか上手くいかない。
何かをやりたくなってしまうし、
やらないと自分が物足りなくなってしまう。

APHでやる稽古の題材に、とある映画のシーンを持ってきて、セリフを真似をした。
まだ未練の残る元カレと電話をするシーン。
APHでは、月に1度、カメラで芝居を撮る。
自分の姿に直面するのは、毎回緊張する。
できれば見たくない(笑)

でも、その回の映像は、初めて自分を見てもいいと思えた。
代表から言われてわかったことだが、これまでとは違って、
葛藤が前に出ていたのだ。

その時に代表から、
「お前、映像の芝居に入ってきたな」と言われ、嬉しかったのを覚えている。

もう巡演はやらなくてもいいかなあ。
今の場所を変えたいなあ。
そう思うのは自然なことだった。
お芝居のレベルを上げたいという思いの方が強かった。

かれこれ、7年?やってきた巡業。
やり切ったと自負もある。

でも、せっかくの居場所を離れるのは勇気がいる。
ここを離れたら何もなくなってしまう。
その迷いが、私を鈍くさせた。

代表と話す機会を得て、
お前、どうするんだ?と聞かれた。

思い起こせば、声優になりたかった。
いや、厳密には声優アイドルだけども。

これまで舞台、ミュージカル、声優、やりたい事全部に触れた。
でも、それだけで食べていけるまでのテッペンに、たどり着けていない。
全部が中途半端だった。

実は・・・声優になりたかったんです。
代表に伝えた。

そうだったのか!?
はじめて知ったぞ!!

代表は目を丸くしていた。

あの日、試験で「預かり」から「所属」に上がれなかった事が恥ずかしくて、黙っていた。
しかもそれがきっかけで、自分は声優になることを挫折したんだと思い込み、諦めかけていた。
私の中で声優アイドルになりたかった事実は、無かったことにしてきた。

代表も周りのメンバーも驚いていた。
ずっと舞台をメインにやってきた私の口から、まさか、
「声優」というワードが出るとは!!

私の方はというと、改めて声優になりたいと言葉にして伝えた事によって、
自分に正直になれた。
心のどこかでずっと「いつかは声優に・・・」という想いがあったのだ。

けれども、その想いからずっと目を背けてきた。
過去の失敗を挫折としか、思えなかったから。
でも本当は、声優になりたかった。
ここからだ。

実はこの時、舞台でお世話になっている演出家から、
劇団を廃業にすることも知らされた。
良いタイミングだった。

事務所に入ろう。
そう思った。

30代からのスタートだった。

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「プロになるまでの全て!」Tさん編14

私は母の死後、四国へ行った。

切り替えたいのか、忘れたいのか、自分と向き合いたいのか、浸りたいのか、
全く目的のない旅だった。
正直、行った記憶もほとんどなく、
徳島で食べたラーメンが美味しかったとか、
そんなどうでも良い事しか覚えていない。
そもそも、なぜ四国に行ったのかさっぱりわからない。
何のために四国へ行ったんだろう・・・?

東京に戻ってきたら、また日常生活が始まった。
でも、そこに母の姿はない。
母任せだった料理も洗濯も掃除も、残された家族がやるしかない。
一生懸命、自分の日常に、家事を取り入れてみたが、本当に疲れる。
毎日、淡々とこなしていた母って、すごいなって、
いなくなってから、気付いた。

四十九日を終えて、私は旅公演に出た。
行く前に代表から「お母様の御霊を背負って、舞台を踏め」という言葉を頂いたので、
私は、その言葉を胸に、毎日舞台で演じた。

小さなお客様の前で、「死」と「別れ」を作品の中で繰り返す。
「さようなら」と言って死んでしまうウサギ役を演じながら、
なんか、これまでとは違う感じがする。
もう4年も続けている作品なのに。

その特別な感覚の根底にあるのは、母そのものだと分かった。
「さようならって明るく言って」と演出を受けて、演じてきたけど、
なぜそうするのかわからなかった。
でも、もしかしたら本当は死にたくなんかないけど、どうせ死ぬなら、誰かの役に立ちたい。
こんな風に、母は思ったんじゃないか?
だから、さようならは悲しいんじゃなくて、笑うのかもしれない・・。
ふと、よぎった。

もう一つの作品では、
すでに死んでしまったおばあちゃんが目の前に現れて、
「いやだ!一緒にいたい!」と抱きつくシーンがあった。
これは、私の中の真実で、毎回体中に熱を感じた。

なんとなく、母がいつも近くにいた気がする。
こなすのではなくて、一回一回発見がある舞台だった。
気付きがたくさんある。

にも関わらず、
私は代表への途中報告をしていなかった。

APHに戻ったのは、冬。
今年も終わろうとしていた。
春に、代表から激励の言葉を頂いたのに、
もう半年以上、連絡をしていなかった。
そんな自分に今となっては、ゾッとする。
移動中でも宿泊先でも、メールの一本は送れたはずだ。
自分勝手だった。

しかしながら、この時の自分は、大バカで、
半年以上連絡をしていなかったことを指摘されても、
なかなかピンと来なかった。
悪い事をしているってわからないのだ。
「東京に戻ったら連絡すればいいじゃないか」って思ってしまっている。
悪気があるわけでもないから、余計に質が悪い。

報連相をする。途中報告をする。
これは、一般社会での常識。
その当たり前のことが普通にできないと、
現場では致命傷になってしまう。

それにきっと代表もメンバーも、私の事を心配していたにちがいない。
私はその想いを汲み取る能力がなかった。
御礼も言うべきだったはずなのに、それすらできていなかった。

これからどんどん仕事をして、プロとして活躍していきたいなら、
自分の痛い部分に目を向けて、
バカを消して、変化を見せないといけない。
ズレてる部分を直さなくてはいけない。
未だに、ズレてる部分は沢山ある。

この時、APHのスタッフさんが私の間違った行動を、一生懸命説明してくださった。
けれど言われてることが理解できない。
バカだから。
でも、私がとんでもないことをしてしまったことは、伝わってくる。
自分のダメなところを言われて、心がヒリヒリした。

この時の私は、大バカだけど、プロになりたかったので、
指摘を頂きながら、今のままではいけないと感じた。
だから急いで、この一年どんなふうに舞台に立っていたのか、
一つ一つ全部書き出して、代表に伝えた。

思い返せば、この反省文が受理されて、APHへ戻ってから、
女優としてAPHを真剣に活用し始めた気がする。
「人」「日常」「芝居」が、母をきっかけに繋がり始めて、
真剣に生きることを味わい始めた気もする。
まだまだ奥があるけれども。
 

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