「プロになるまでの全て!」Tさん編20

事務所をやめてフリーになった。

早速、新しい事務所探しに奮闘する日々だった。

代表に相談をさせて頂きながら、
プロフィールを作成してあらゆる声優事務所に郵送した。

ナレーターに特化した事務所に面接を申し込もうと電話をしたり、
大手声優養成所のオーディションにも参加した。
その時は特待生として通うつもりだった。

この日本で良く知られているほぼ全ての声優事務所に体当たりしたと思う。


レギュラーというお土産もなし。30過ぎてる。世間から見たら痛すぎ。

でももう、他に手段がない。
できることを全部やって、もがいてもがいてもがき続けた。

現実は甘くない。全部落ちた。


気になる所が1か所あった。

映像と声と両方バランスよく仕事ができそうなTプロダクションだった。

代表に相談をした所、
「Y先輩の紹介でTプロダクションに入るのはどうか?」と薦めて頂いた。

Y先輩はプロとして活躍されているAPHの先輩だ。

早速、Y先輩に動いて頂き、
Tプロダクションに所属されているお知り合いAさんに話を通して頂き、
おかげさまで面接日が決まった。

代表と緻密な打ち合わせをさせて頂き、
Y先輩にも沢山協力して頂き、ようやくここまで漕ぎつけることができた。

一人の力ではどうにもならない現実が、今、周りの方のおかげで変わろうとしていた。


当日はすでにお送りしていたプロフィールを見て頂きながら、社長と面接。

どんな仕事をしていきたいのか?と質問を受け、
子供番組に携わりたい想いを直球で伝えた。

まっすぐな想いは社長の心に響き、その場で所属が決まった。

道が開けた。

ようやく、スタート地点に立てた。

そしてここからが試練だった。

 

所属しても、しばらく事務所のレッスンに通う日々だった。

お芝居の題材はシェイクスピア、チェーホフがメインだった。

とにかく仕事をするために向き合った。

3か月経過した。

ようやく1本、映像の仕事が決まった・・が、その他大勢の仕事だった。

次は、NHKの再現が決まった・・。

1年で仕事量は3本だった。

代表からアドバイスを頂き、
自分のボイスサンプルを作成してマネージャーにアプローチをしたものの、
そういうのはやってないと聴いてもらえなかった。

とにかくレッスンで芽を出す以外に仕事は決まらない。

だから、レッスンに通い続けた。

後からわかったのだが、
最低でも3年レッスンに通わないと仕事は頂けない方針だったそうだ。


30過ぎた私にその3年は大きすぎた。

おこがましいのはわかってる。

下積みしないといけないのもわかってる。

でも・・・このまま飼い殺しになるのかもしれない。

そんな不安がよぎった。

1年経過した時、事務所を離れることを決断した。

せっかく、紹介してくださったのに申し訳ない気持ちでいっぱいだったが、
Y先輩もAさんも有難いことにこちらの状況を理解して下さった。


あの日のことは忘れない。

電話越しに社長から、怒鳴られた。

申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

でも、気持ちは変わらない。

私は、自分勝手だ。


その後、代表と電話をさせて頂き、何とか精神状態を保つことができた。

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