「プロになるまでの全て!」Yさん編13

事務所にお百度詣りに行き始め、
初回の手応えからなんとかなりそうな気がしていました。

事務所スタッフの方々が邪険にするでもなく、
普通に接してくれたからです。

週に2、3回くらいのペースで通いました。

その度に掃除をしていましたが、
当然毎日スタッフも掃除をしているのですぐにやる事がなくなりました。

たまにマネージャーやスタッフが休憩に来て、
そこにいる自分に話しかけてくれました。
しかし話は長続きしません。

今思うと、自分はとても邪魔だったと思います。
仕事の息抜きをしに休憩スペースに来ると、
事務所をクビになった部外者が挙動不審で
深刻な顔で緊張しまくってただ座っているのです。
休憩にならない。

せめて楽しく雑談でもできれば良かったのですが、
自分にそんな事は全くできませんでした。
ただただ
「もう一度、事務所に戻して下さい」
と言うタイミングをなんとか見つけようと居座るので精一杯でした。

そうやって事務所に通うようになってしばらくすると、
事務所にいる時間がどんどん短くなっていきました。

掃除はすぐに終わる。
気の利いた会話もできない。
事務所に戻りたいとも言い出せない。
やる事がない。

ただ座っているだけでした。

休憩スペースを通り過ぎるマネージャーやスタッフの視線がとにかく痛かった。
向こうもどう扱っていいか困ったと思います。
邪険にされなかっただけでも本当に有難かった。
本来なら、邪魔だから来ないでくれ、で終わりです。

それでも事務所に行く事は許してくれていました。
とても優しい事務所だったのだと思います。

しかし苦しかった。

たったの5分が物凄く長く感じました。
始めは、30分いようと決めていました。
それが25分、20分、15分とどんどん短くなっていく。

苦しくて居られないのです。

休憩スペースの掃除はすぐ終わる。
休憩に来るスタッフとの会話もほぼなくなりました。
こちらから話しかける事はできませんでした。

事務所に行く事が苦しくてしょうがなくなりました。

するとまた、事務所ビルに入る時に
強烈な恐怖が襲ってきました。

気持ちを落ち着けようとビル周りを歩きました。
一周しても落ち着かない。
もう一周しました。
しかしダメでした。
もう一周したら覚悟を決めて入ろう、そう思い周りました。
それでも怖くて入り口に入れない。

ビル周りを回るのは本当にあっという間でした。
大した距離じゃない。

気持ちを落ち着けるために歩く距離を伸ばすことにしました。
ビル周りではなくビルのある区画を一周するのです。

さすがに距離が伸び、時間がかかるようになりました。
ビル入り口から離れるにつれ気持ちが落ち着いてきました。
小さな個人商店があるのを見つけて、
「こんな所にこんな店があったのか」
などと思ったりしていました。

歩く距離が伸びて時間もかかり、だいぶ気持ちが落ち着きました。

これなら事務所に行ける。

そう思い、事務所ビルに近づいて行きました。

恐怖が襲ってきました。

事務所から離れて落ち着いていた気持ちが、
また恐怖で震えて動揺し始めました。
事務所に近づきたくない。
途中で歩くコースを変え、隣の区画に入り時間を稼ぎました。

どれくらいそうやって歩いていたか正確にはわかりませんが、
事務所の終業時間が近づき
今から入ると迷惑になると思い帰ることにしました。

夕方まだ明るい時間からなので3時間近くは歩き回っていたと思います。

始めは週に2回事務所に行っていたのが、
この頃は週に3~4回行こうとして、
実際に事務所に顔を出せたのは1回あれば良いという状態でした。

事務所に行ける回数がどんどん減って行きました。

反対に事務所近辺を歩き回る時間がどんどん長くなって行きました。
事務所に入るため、心を落ち着けるために歩いていたのが
終業時間まで時間を潰すためになっていたのかもしれません。

それでも何とか週に1回は事務所に顔を出そうとしました。
そうやっているうちによく気に掛けてくれていたマネージャーが、
「何で事務所に来てるの?」
と聞いてきました。

本当に気軽な感じで普通に聞かれて自分はすぐに応えられず、
「ちょっと顔を出したくて」
と答えた記憶があります。

「そっか」
とマネージャーは軽く行って仕事に戻って行きました。

どうしても本題を切り出せませんでした。

通い始めてからどれくらい経ったのか正確には覚えていない、
というか記憶が飛んでいるのですが
多分2、3ヶ月…3か月くらいだったかな?

ある日、とある先輩が事務所に来ていて自分と話してくれていました。
すると社長が休憩スペースに来て
「君はなんで来てるの?」
と聞いてきました。

これ以前にも社長が休憩スペースに来て
タバコを吸いながら話しかけてくれたりしていました。
しかし雑談だけで本題を話せずに終わってばかりでした。

それが向こうから聞いてくれたのです。
今しかないと思いました。

「…もう一度、事務所に戻してもらいたいと思いまして…」

絞り出すように、必死に答えました。
社長はちょっと考えて、

「うーん、でもウチはクビになった人が出戻りした例がないんだよねぇ」

そう軽い感じで答えました。
自分と話してくれていた先輩はなんとも言えない強張った表情をしていました。
話はそこで終わり自分は帰りました。

「プロになるまでの全て!」Yさん編 記事一覧