「プロになるまでの全て!」Tさん編03

専門学校卒業後、夢追いフリーターになった。
毎日が自由だからこそ、夢に向かって何かしら行動していないと落ち着かない。
資料を取り寄せたり体験入学に参加したり、常に居場所を求めていた。

向かう先は声優である事はわかっていたけれど、
どこに通ったらいいのかわからない。
この時代の大手声優事務所である、賢プロ、青二、81プロデュース・・・等々も考えた。
どうせならば大手に行きたい。

しかし専門学校で痛い目を見た自分は
大手養成所からストレートに所属できるとは思えなかった。
仮に三年通ったとして所属になら なかったらどうなるのか、
また別の養成所に通うのか・・それは避けたい。

逆に所属した場合、声優の仕事だけに縛られたくない。
あくまで希望しているのは「声優アイドル」という立ち位置。
裏方ではなく、表に出たい・・・そんなことを考えていた。

締め切りが迫り、
最終的に費用第一優先で決めたのが「松濤アクターズギムナジウム」だ。
カリキュラムに、歌とダンスがあるので、
「これまでの経験を活かして、頭角を現せるのではないか」
という打算的な考えもあった。

また資料に「声優の根本は役者だ」みたいな事が書いてあったので、
事務所に入った後も多方面で仕事ができるかも・・
という期待もあり、オーディションを受けた。

審査の結果、基礎科、本科と2年通うべき所が1年免除。
といってもカモには変わりないけど(笑)
まあ・・仕方がない。
その時は1年後、所属してやる!くらいの気持ちで入所したのだ。

授業はすでに習ったことのある歌、ダンス、演技だった。
読みが当たって、経験者の私は頭角を表した。
専門学校の時は、全く先生から相手にされなかったのに、ここでは目立つ存在になった。
それを良いことに、敵対心を剥き出しにして授業に参加していたのを覚えている。
私なりに、目をかけてもらおうと必死だった。

ある日のこと。
選択レッスンでマイク前授業が有った。
初めてのマイク、スタジオに興奮する。
しかし、いざやってみると・・・で きない!
マイク前未経験の私は、できなかった。

なんだこれは?!
マイク前の制限があり過ぎて、どうしていいかわからない。
ダンスや、歌や、舞台はある程度、自由が利く。
しかし、声優は違う。
映像に合わせるという不便さにぶち当たった。

声だけで、どうやるの?
身体は、どうするの?

私にはもう違和感しかない。
マイク前の芝居の楽しさが全然わからない!
そのレッスンで自分の将来に不安を感じ始めた。

本当に声優になりたいの?
怖いけど、正直に自分に聞くしかなかった。

実力のある声優アイドルになると決めたはずなのに、
肝心な声優の仕事ができないのでは話にならない。
アフレコができるのが前提で、そこから派生して色んな仕事をやるはずだったのに。

結局私は、声優ブームの影響をもろに浴びた1人にすぎなかった。
でもそれは認めたくない事実だった。
自分はそうじゃないって思いたい。意地を張っていた。
単にブームに流されて人生を賭けてしまった自分を認めるのが怖かった。

超理想を掲げて、行動してきたのに・・今それが崩れようとしている。
私って・・本当は何がやりたいんだろう。
「NHKの歌のお姉さんになりたい」
「子供が好きだからいつか子供番組を持ちたい」
自分の原点が見えてきた。
でもどうしたらいいのかわからない。

結局、養成所には、安心を得るために通っていたのかもしれない。
夢を叶えるために、何かしていると思えるから。
でも今考えてみても、養成所で学んだ事は何もない。

やった気にさせるアフレコごっこは、全然楽しめなかった。
むしろ、私は声優を誤解してしまった。
それでも、「『やっぱり声優って良い!』って思えるかもしれない・・」
と期待して通っていた。

けれども相変わらずアフレコの授業は、つまらなかった。
ダンスと歌のレッスンの方が好き。
身体を動かす事が、私には合っていた。

声優だって動くのに!!

今なら理解できる。
しかし、養成所では教えてもらえなかった。
結局、声優がマイク前で何をしているのかを理解しないまま養成期間を過ごした。

3月にある、養成所お決まりの卒業公演でオーディションに合格し、主役に抜擢された。
六行会ホールで2日間4ステージ。
作品は「11匹のねこ」というミュージカル!

養成所で1番注目されている女の子と、そうでもない私がダブルキャストで主役をつとめる。
専門学校では最下位だった私が、ここではトップだった。
舞い上がった。

稽古期間は1か月。
演出家は現役声優で、いつも機嫌が悪そう・・・(に見えるタイプ。)
莫大な量の台詞、歌、振付。
今考えてみても結構ハード。
結局、相方が途中で降板し、私が2日間フルで出演する事になった。
稽古は体力勝負で、毎回息切れしていたけど楽しかった

本番当日、
舞台上の私はとてもイキイキしていた。
何とも言えない達成感。鳴り止まない拍手。
全てが、夢のようだった。
舞台が好きになった。

この時、母が仲の良い友人を連れて観に来てくれた。
決して口には出さなかったけど、私を応援していたんだと今ならわかる。
当時の私は子供みたいに意地を張って、面と向かって感想を聞けなかったけど、
母の笑ってる姿を見て少しだけホッとした私がいた。

養成所はこれで、卒業。
マイク前の技術は何一つ身に付けていないけれど、
歌とダンスを評価され、運良く事務所の「預かり」となった。
アテレコができない私はこの後が試練の連続だった・・。

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「プロになるまでの全て!」Tさん編02

親も担任も応援してくれない。
その反骨精神が原動力となって劇団ひまわりに通い続け、
勉強とアルバイト、全て両立させた。

ちゃんと成功してまずは親に認めてもらおう!
と思ったものの正直、劇団にいる子は可愛い子ばかりで自信が持てない。
でも「私は実力派で行くから大丈夫」と思い込むようにし、
不安な気持ちを押しのけていた。

弓道部員は私を応援してくれていたけれど、教室は大学志望校の話題で持ちきり。
役者を目指す私は、浮いていた。
いろいろ厳しいけれど、自分で決めたことだ。
一人で何とかしないといけない。

とにかく情報を得ようと、日芸、専門学校、養成所の資料を片っ端から取り寄せた。
声優も、ミュージカルも、舞台もやりたい。
でもどこから手を付けたらいいのかわからない。
先輩の対談を参考にしながら、自分で考えるしかなかった。

本音を言えば、今すぐにでも声優養成所に通いたい
しかし舞台人も声優も女優も結局は役者だ・・
遠回りかもしれないけれど、本物の役者になるには、ある程度の下地が必要だ。
だったら、実力を付ける必要があるな・・

よし!舞台芸術学院に通って歌とダンスとタップと芝居と全部やってやろう!
あわよくば、劇団四季に入ってやろう!
その後、声優の世界に入ろう!
声優が「ミュージカルもできます」って言ったらそれだけで武器になりそうだし!
これはすごい学歴やんか!

結局、役者としてどう見られるかを優先して進路を決めた。
若い時に舞台を先に経験して、最後は味のある声優になればいいじゃないか!
そんな超理想を膨らませて、私は一直線。
とにかくやりたい事が有りすぎて絞れない私は、全部やる事に決めたのだ。

こんな風に、役者になるために試行錯誤している間も、
母は、あの手この手で私を大学に行かせようとしていた。
私は母を説得し続けて、ようやく諦めてもらうことに成功した!!
最終的に、何を言っても無駄だとわかったみたいだった。

「もう勝手にしなさい。あんたのことなんかもう知らないから。」
母からの冷たい言葉が突き刺さった。

勘当まではいかないけれど、応援してくれない。
それが悲しくて、自分の部屋で泣いた。
「よかった、これで夢に向かって進める!」という明るい感情と
「お母さんごめんね」という暗い感情が入り混じっていた。

親はもう味方じゃない。
何とかがんばらなくちゃ。

今思えば、役者になるなんて、母は心配だったと思う。
当時の私は、そんな事つゆ知らず、親を敵対視していた。
とても傲慢な娘だった。

夢を膨らませて入学した専門学校は、完全に場違いだった。
そこはまるで宝塚音楽学校のよう。
幼少からバレエやタップやジャズダンスや歌を習っていて、
ミュージカルを本気でやり たい人が50人もいる。

クラス全員の特徴と言えば、
「我が強い」
「自己アピール度が高い」
「自分が一番」

私は完全に周りに圧倒され、受け身だった。
学校主催の発表会で主役がやりたくても
「私なんか無理だ」という想いが先に来るし、
授業でも印象が薄いので、先生になかなか名前を覚えてもらえない。

ダンスの授業で個々が踊る空間を確保する時、
私は「できない人」だから毎回後ろの端を選んだ。
自分のことを過小評価しまくった。

「自分が自分が」と前に出てくる人達を前にして、怯む。
プロの世界はこういう風にアピールしないと生き残れないのかもしれない・・
そんなことを想い、私には向いてない世界だと落ち込んだ 。

何を血迷って、女優さんになりたいとか思ってしまったんだろうか・・

あんなに膨らんだ夢が、簡単に圧し折られた。
せっかく反対を押し切って入学したのに、毎日が辛い。
この学校で、私は完全なる負け組だった。
四季には行けない。
試験を受ける前からわかる。
ここを卒業したらどこに行けばいいのだろうか・・

思いついた。
声優養成所に行こう!
やっぱり、私は声優アイドルだったんだ!

役者としての夢を途切らせないように、
女優がダメなら次は声優だと表面だけで考えていた。
自分が声優だと思い込むと、かなり救われた。
現実に直面しなくていいのだから。
声優の世界だって甘くないのに、現実逃避にはぴったりだった。

四季に入らなくてもやりたい事はできる。
実力のあるアイドル声優になって、やりたいこと全部やる方が私には合ってる!
結局、「卒業後は、四季へ行き⇒声優になる」という超理想街道をあきらめて、
「卒業後⇒声優になる」に進路変更したのだ。

声優ならできそうなんて、ナメてるぞ!
お前は一体、何がしたいんだ!!

何だか書きながら、いらいらしてくる(笑)
でもどっかで「声優ならなれる」という根拠のない自信があったみたい・・。
本当にナメていました。
大変失礼致しました。
10代の私!たくさん本を読んで、人として成長してくれ〜!(笑)

「プロになるまでの全て!」Tさん編 記事一覧

全力新連載「プロになるまでの全て!」Tさん編01

女性声優 T さんをご紹介します。

女性として最初に登場してくれるのは、声優Tさんです。

彼女は元々、プロのミュージカル女優として、
活躍していた女優さんです。
常に1000名程も入る観客達を前に、
7年間もの長い間、常に主役を務めてきた人です。

色々あってミュージカル女優から声優に転身し、

今でこそ外画の吹き替えでは、ホラー映画の主演を務め、

最近では、ついに念願であった
難関の化粧品会社テレビCMナレーションをGET!するなど、
カッコイイ女性の代弁者として、目覚ましい活躍を始めています。

一方で日本語の美しさを買われ、大変にお堅い
日本政府官公庁のVPナレーションにも抜擢されています。

これも製作者側に大変好評で、こちらも、
レギュラーナレーターとして、常に指名がかかる様になりました。

また、プロの声優達の中から、さらにオーディションで選ばれる、
某大手声優事務所のキャスティング選考会に、
30名中わずか5名という難関を潜り抜け、ピックアップされています。

みなさんに、こんな風に紹介すると順風満帆の様に聞こえますが、

特にミュージカル女優から、声優に転身する間の3年間の彼女は、

それはそれは、とんでもない試練の連続だったのです。

私は、その試練の時間を共に歩みましたが、
まさに底なし沼に引きずり込まれて行く様な感覚がありました。

様々な、ワークショップ、面談、紹介、最終選考、etc・・・

彼女は不屈の魂で果敢に動き回り、様々なチャンスを作るのですが、
全てのサイクルが、後少しのところでダメになるのです。

ダメ!ダメ!ダメ!ダメ!ダメ!

丸3年間、彼女は、本当に暗い闇をさまよい続けます。

しかし、彼女はくじけませんでした。
それは、声優という仕事が、本当にやりたい事だったからです。

彼女は決してくさらず、常にターゲットを創造し、
日々の稽古に打ち込みながら、持ち前のガッツで行動し続けました。

その結果、天はついに彼女に、微笑んでくれたのです。

現在では「新しい大きな波」に乗って、生き生きと仕事を積み重ねています。

APH代表 茂 賢治

本当は女優さんになりたい
でも女優さんは綺麗な人がなるんだから
私は女優さんになれない
ずっとそう思っていた。

子供の頃の私は音楽が大好きで、
教育テレビを見ながら一緒に歌って踊っちゃう!
誤解をおそれずに言うと、ジャイアンみたいな女の子(笑)
でもだんだん成長するにつれ、恥じらうようになって、
出たがる自分を抑えるようになっていった。

私の夢は女優さん。
ずーっと心の中で思ってるけれど、全然なれる気がしない。
どうしても、容姿に対するコンプレックスを振り払えないでいる。

そんなある日、本屋さんで
「声優グランプリ」という雑誌と出会ったのだ。

声優さんが顔を出してインタビューを受けている!!
声優さんってアイドルみたいに何でもできるんだ!!
衝撃的だった。

雑誌を見ながら、声の仕事いいなあと憧れを持つのと同時に
アニメも好き 歌も好き 舞台も好き
あっ私NHKの歌のお姉さんになりたかったんだっけ・・・!などなど。
自分の容姿のせいで諦めかけていた夢が勢いよく、膨らんだ。

これなら私にもできそうだ!
おこがましくも、そう思ってしまった。
単純すぎる(笑)
当時は本気なので、必死に声優特集雑誌を読み漁って
立派な声優オタクに成長。

「声優になれるのは1万人に1人だ」
「声優は役者なんだ」
「声優は本来裏方なんだ」
「ブームが終われば消えていく」

そんな言葉に触れるたびに
どうやったらブームに流されない声優で居られるのか・・
やっぱり劇団に入って舞台で経験を積んで、それから声をやるべきなのか・・
そんな事まで考えあぐねる中学生の私だった(笑)

高校入学後は袴に憧れて弓道部に入り、青春を謳歌!
友人とはしゃぎまくって、いつも笑ってばかりいた。
声優養成所に行く目的でアルバイトもしたけれど、
稼いだお金は友人との交際費や
大好きな坂本真綾さんのCD代やライブ代や雑誌代に消えてしまう(笑)

買った雑誌をひたすら読んで自分なりに研究し、
声優アイドルは顔じゃない!
実力をつけたらいいんだ!!
ブームに流されない役者になってやる!
もともと影響を受けやすい私は、その気になって盛り上がっていた。

高校2年の冬で弓道部を引退し、友人達は受験の準備をし始めた。
進学校なのでほぼ全員が大学受験をする。
私は、夢があるので受験する気は全くない。
しかしみんなが試験勉強をする姿を見て、不安になってきた。
本当に受験しなくて大丈夫だろうか?

そこで声優アイドルになりたい理由を探そうとしてみた。
それらしい理由が有れば、不安がなくなると思ったからだ。

でも浮かんでくるのは実感のないキレイゴトばかり。
本当は自分がやりたいだけ。
私が好きだからやる
目立ちたい
人気者になりたい
ただそれだけだった。

でも認めたくなくて、
「それで良いはずがない!」と頭の中がぐるぐるしてきて、わからなくなって、
最後はもういいや!と考えるのをやめてしまう。
とても視野が狭く、頑固。もう決めたら一直線。
周りが見えず欲望に従って行動していた。

高校3年生の時、声優になるなら舞台を観ておいた方が良い気がして、
バイト代で沢山お芝居を観た。
実はこれも声優雑誌の影響だ。
先輩方が、声優はお芝居が根本だと言っていたので、間に受けたのだ。
なかなかのものだ。
徹底して影響を受けているな、私。

そして学校帰りに偶然観た劇団四季のライオンキングで、人生が変わった。
舞台の華やかさ、セットの素晴らしさ、そして音楽に感動したのだ。
さらには、小学生の時に心を奪われた
「新宿コマ劇場ミュージカル・シンデレラ」と重なって、
あの時と同じ気持ちが湧き上がってくる!
それは、「女優さんになりたい」という純粋な想いだった。

私も舞台に立ちたい。

コンプレックスから声優アイドルという立ち位置を見つけた私は初めて
「正々堂々と女優を志してもいいのではないか・・実力をつければ良いんだから」と
気持ちが変化したのだ。

早速、親を説得して劇団ひまわりに入団した。
昔から、決めたら即行動。
とにかく夢を叶えるために、何かしていたくてたまらない。

劇団ひまわりを選んだのは、
・歌とダンスとお芝居と全て出来る
・金銭的な問題
・有名だから親が安心する
といった理由だ。

高3の夏。
NHK連続テレビ小説の「ちゅらさん」という
その頃とても流行っていた番組のエキストラ募集がかかった。
エキストラだし学校にはバレないだろうとタカをくくって参加すると、
運悪く(運良く笑)主役の国仲涼子さんの後ろの席に
自分の学校の制服を着たまま座らせられ、がっつりテレビに映ってしまったのだ。

やってしまった・・・。

放送日、担任から呼び出しがかかった。
「私は役者になりたいんです」と告白した瞬間、空気が凍りつく。
「お前はこの学校に何しに来たんだ?」と聞かれ、その冷たい言葉に傷付いた。
大学を受験しないのは、この学校の生徒として、おかしい事だった。

一方で、家でもその事で母と喧嘩をした。
私:大学になんか行かない!
母:役者なんかで食べていけるわけないでしょ!
私:なんでそう決めつけるのよ!
母:わかりきった事でしょう?

こんなやり取りがずっと続き・・・・
挙句の果てに泣きわめいて反抗していた。
母とは、しばらく口を聞いてもらえない日々が続いたのだ。

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