「プロになるまでの全て!」Tさん編13

夏。
最悪な事態が起こってしまった。

父から「話がある。」と言われて、いつになく真剣な様子にびびった。
「お母さん、病院に行ってきたんだよ。余命、半年だって。」
癌が再発したらしい。
でも母の身体は、見る限りでは元気そうで、
死ぬって言われてもピンとこない。

余命なんか、嘘だ。
だって、まだこんなに元気じゃんか!
信じたくなくて、直面できなかった。

まだ旅公演が3ヶ月残ってる。
私の代わりはいない。
仕事をしよう。
そう決めて舞台に集中した。
逃げたのかもしれない。わからない。

旅公演中は、ホテルに着いたら、家族に連絡を取って様子を聞いていた。
こんな風に、家族と話すのは珍しい。
居るのが当たり前と思っているから、
普段、感謝をしてこなかったし、むしろ反抗ばかりしていた気がする。
だからか、家族と話すのが新鮮に感じる。

電話で声を聞く限り元気そうだから、安心して過ごしていた。
今の私に出来るのは、舞台に集中すること。
そう言い聞かせた。

冗談抜きで、母は死なないと思っていた。
外から見る限り元気。本当に。
死ぬ人じゃない。
いつまでたってもピンとこなかった。

でも、余命宣告をもらってから、
母は明らかに弱くなっていった。
それは精神的なものが大きかったと思う。

私が旅公演を終えて、家に戻ったころ、
母の身体が細くなっていた。

病院の帰り、一緒にお寿司を食べに行ったけど、
味がわからないと言って、イライラしていた。
他にも色んな事に、八つ当たりするようになった。
今考えると、明らかに抗がん剤のせいだ。

やっと自覚した。
母を助ける事を。(遅いぞー!)

代表にも相談をし、沢山助けて頂いた。
結構前にアドバイスを頂いていたけれど、
バカな私は、直面しきれていなかった。
けれども目の前の現実が、やっと私をその気にさせた。

まず、ある一定の温度のお風呂に入ることを勧められたので、
寝た状態のまま入れるお風呂を業者に頼んだ。
また、東日本大震災の時にも使われているアシストのやり方を教わり、
母の身体に触れた。
母が気持ち良さそうにしていたのを覚えている。

初めは、抗がん剤よりも治癒力のある正しいデータを、
家族にわかってもらう事自体が大変なんじゃないかと思っていた。

でも私の家族は、何でも受け入れてくれた。
私が直面できてなかっただけで、母は、助かるならと、
お風呂にも入ってくれたし、アシストも受けてくれた。
私がいない時は、ビワエキスを患部に当てて温めていた。

そして私はこれまで全くやってこなかった、料理をするようになった。
マジで、これは母のお手伝いをやってこなかった自分を恨む。
少しは、やれ。
最初、野菜の皮をむいて、切るだけなのにすごい時間がかかった。

そして、母のトイレ。
初めて母のお尻を拭いた。
その時、母がごめんねと言ってきたので、驚いた。
泣きそうになるのをグッとこらえて、
赤ちゃんの時は、私がやってもらったんだから、今度は、私の番だよ。
そう返した。
母は、そうよーと言わんばかりに頷いていた。

徐々に母は起き上がる事が出来なくなった。
子供のように振る舞う母を、私が、しっかりして!と叱る。
まだどっかで信じたくない。
それが態度に出ていた。
自分でできるでしょ!と突き放したりもした。
バカだな私は。

余命なんか、いらない。
癌は、治る。
2019年4月現在は、この時よりもそれがはっきりしてきている。
だから、本当のデータが世に行き渡ってほしい。
私が影響力を持ったら、正しいデータを必要としている方々に、伝えたいと思う。

その日、母は珍しく長いこと眠っていた。
父の帰宅時間にようやく目が覚めたので、
夢みてたの?と聞くと、こくっと頷く。
どんな夢かは、聞けなかった。

次の日、母は自宅のベッドで息を引き取った。
お母さん!って声に出して母の身体を揺らしながら、
なんかこれ、ドラマみたいだなって、他人事のように感じた。

代表に連絡をしたら、
深夜にも関わらず、電話で対応して下さった。
まだ、現実を受け止められなかったけど、
なんか大丈夫だと思えた。
代表が居て下さったから、私は不思議と怖くなかった。
代表、本当にありがとうございます。

全てのことは必要必然ベストなのだ。

本当は、もっと助けられたなと、思う。
色々、遅すぎた。
もっとこうすれば、ああすれば、
考え出したらきりがない。

それでも、密度の濃い修業の時間を過ごす事ができた。
本当に感謝。
お母さん、ありがとう。
そしてごめんね。

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「プロになるまでの全て!」Tさん編12

褒められて嬉しかったし、乗り越えた感もあった。
芝居でこんなにも、充実したのは初めてだった。
振り返ってみても、その不良になった出来事が
私の芸事の出発点になっていると思う。

それから、APHの板の上で緊張するようになった。
自分が、芝居ができない事を自覚して
これからどうしていいかわからなくなっていた。

だから今までの経験にすぐ頼りたくなった。
その方が安心する。
というかそれしかできない。

今までの経験で
場数を踏んで慣れていき、
緊張はしない方が良いというスタンスを身につけてしまっていた私は、
この緊張が新鮮だった。
それも、これまで味わった緊張とは全く比べ物にならないほどの、緊張度合いだ。

それまで全くやってこなかった、
毎回が新しい時間で、私がそこにいるという
当たり前だけど、できてなかった事に真剣に取り組み始めた。

また、APHにはその技術があったので
準備をして取り組むようになった。
(さらに緊張をどうしたらいいのかという技術もここにあった。)

さらに通ううちに、
私は芝居のしの字もわかっていなかったんだという事がわかりはじめた。
というか、私は芝居ができてると思い込んだ勘違い野郎だったのだ。

代表が先輩方にするダメ出しの意味が、理解できなかった。
次元が違って、私はまだそこに気づけない。
ポカーンと聞きながら、頭にハテナが沢山あった。

T先輩とツインで芝居をさせて頂いた時も
私がやりたいようにやらせてもらった。
それは、私がやりやすいように合わせてもらっていたのに
その事に全く気付かないくらいの低レベル。

私の存在はまるで
生まれたての子鹿のようだった。

そして、相変わらず旅公演も継続していた。
APHの技術も使う意識はするけれど、
やはり日常に流された。

毎日毎日、同じ台詞。
いかに新鮮にするか、取り組み始めたのは良かった。
でも相手役もいるから、流されてしまうのだ。
前のやり方で安心してしまう。

そして、何ヶ月も過ぎて、
またAPHに戻ってきたら、意識も前に戻っていて、最初からやり直し。
それを繰り返していた。

せっかく良いものを頂いてるのに活かしきれない。
色んな能力が欠如していた。

巡業では、演出家やピアニストから色々言われて
受け身になりがちだった。
少しずつ、起因でいられるように意識はしていたが
まだ私には相手の要求を超える技術もなく、
やられっぱなしだった。

私には知識がなかったので、代表から薦められた勉強もした。
その時は良かった。
でも継続できなくて、適用できない。
しばらくして、勉強もしなくなってしまった。

私にとって日常はただの日常だった。
芸事と日常が切り離されていた。
普通に暮らして、好きなことやって、
APHに出会ったことで、前よりも真剣に芝居に取り組み始めたけど、
巡業に行ったら、それが適用できなかった。

舞台は好きだし巡業は楽しかった。
と同時に、いつかは離れなくてはいけないとも思っていた。

巡業は正直、実家に住んでいたからできたと思う。
当然、家の事は何もしていなかった。
やりたい事やらせてもらえて、幸せだった。
でも私は、それを当たり前のことだと思っていた。

旅公演に出ている間、
母がいつのまにか、乳がんになっていた。
抗がん剤を使ったせいで髪の毛が抜けていたそうだ。
私が帰った頃には、もう元気になっていて髪の毛も元に戻っていた。

その時は、再発しなければ問題ないと医者から言われたので、
家族全員が安心していた。
たまに母は検査で病院に通っていた。

この辺りの記憶が曖昧で、前後しているかもしれないが、
母が、乳房を切除するために入院した時が有った。
お見舞いに行ったら母は笑っていた。

母は、「ねえ、見てよ!こんなに腕が上がるようになった」
と言いながら壁を触っていた。
切除した後は腕を上にあげることが難しいらしい。
私には、弱音を絶対に吐かない母。

「ほんとだ(笑)大丈夫そうだね!」と言って、私はその場を去った。
その瞬間、涙があふれて止まらなかった。

私は、その時は何も助けられなかった。
むしろ、そこに直面すらできなかった。
そのくらい私は自分の事だけやってきた。
好きな事だけしかしてこなかった。

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「プロになるまでの全て!」Tさん編11

APHに入った最初の頃、私は旅公演をメインに活動していた。
そのため、APHには来たり来なかったりするビジターだった。

入ったばかりの私は、みっちり稽古して積み重ねていくというよりも、
レッスンの感覚だった。
APHがどういう所なのかを、まだ理解していない。

家では、練習をしていた。
台詞覚えた!
歌詞覚えた!
やる事と言えば、このくらい。

練習は、すぐ飽きてしまって続かない。
だから、上手くなりたいって思うのに、何もしない。
でもここに通っていれば、何とかなる。
そんな風に甘えていた。

昔からレッスンをしていれば、なんか安心感があった。
これだけ練習したから、大丈夫だ・・みたいな。
当時は、別で歌のレッスンにも通っていた。
これで、十分やった気分になれた。

浅はかだった。

人には段階があって、徐々に気付きを得ながら物事を理解していくのだと、
今は身にしみて感じている。
だからこそ正直、この頃の私に直面するのは結構きつい(笑)

人間としてのレベル
観察する力
判断する力
常識
こうしたものが、ほぼゼロ。

それに加えて、頑固。
人の演技を観ても、見方がわからない。
良いものと悪いものの差がわからない。

当然だが、APHで教わるボディボイスも芝居も、一朝一夕ではできない。
積み重ねて、練って練って、触って、気づいて、また練ってを繰り返していく。
それが最初、物足りなかった。
私にレッスンの感覚が染みついていたのが原因だ。

何でも、すぐできなくちゃいけない環境にいた。
ダンスの振り付けも。歌も。
その場ですぐできないと、ミュージカルの世界は置いて行かれる。

ミュージカルで求められているのは、
音程を外さない歌や体の柔らかさ。まさに筋肉の世界。
これが大前提で、さらにここから表現力をつけろと言われてきた。
世の中の合意が、そうだった。
別に悪いわけではないけれど、当時はそこだけしか見えていなかった。

私の場合、段階を踏んで、その奥に気付けるように導いてもらった。
しかし、「それしかない!」という固執した考え方を修正するのに
結構、時間がかかった。
そのくらい、固定観念が強かった。

何度も言うが、当時の自分の行動や考えは超レベルが低い。
正直に言いますYO
ぼーっと生きてたYO
自称、役者で、やることやってないYO
結論、何もしていなかったYO!!!

舞台の本番を、こなして、
レッスンで安心している日々。
芝居の内容は、毎回繰り返してて新鮮さゼロ。
よく、これでプロって言えたなと思う。

ただ、こんな私でもAPHに行く時は緊張していた。
できれば芝居で恥をかきたくない。
否定されたくない。
本当言うと、普段何もしてないことが、ばれる事が一番怖かった。
でも、家でどう芝居の稽古をしたらいいのかもわからないし、
多分する気もなかったんだろうな。

この日、APHのセッションで、
公演中のシーンの一部を抜粋して演じることになっていた。

舞台で、ウサギをずっと演じている。
軽く1000回は超えていた。
最初、私としては、いつも通りにやれば問題ないと思って、
先週は、そのまま演じて見せた。
舐め腐っていた。

誰が見ても、完全に居着いていた。
私の身体には「ウサギ」がこびりついていた。
台詞の言い方が毎回同じ。変わらない。
もう、何千回と言ってきた台詞が身に染み付いて離れない。

代表から
「ウサギ役でお金をもらっている。
それをここでやっても全く意味がない。
お茶を濁しに来るくらいなら来るな。
ウサギのままでいいなら、APHに来るな。」と言われた。
代表は、私が安定したウサギを見せればいいと舐め腐っていたことも見抜いていた。

各自練習タイム。
台詞を練習するが、いつもの言い方が出てくる。
変わらない。
変化したいけど、どうしたらいいのかわからない。
何をやればいいかわからない。
窮地に立たされた。

芝居ってなんだ?
わかんない・・できない・・いつものウサギしかできない!
一人で、混乱していた。
でも、ここで変化をしないといけない気がした。
変わらなければ、ここにいる意味がない。

結局、何もできないまま本番を迎えた。
私が皆の前に出ると、代表から
「先週は全然動けてなかったから、まず動け!」
「さあ、Tにウサギをやるなと言いました。後で皆に判定してもらいます。」
と言われて、さらに追い込まれた。

どうしていいかわかんない。
なんか怒りが湧いてきた。
私はウサギだけじゃない!

そうだ!
もう、不良になろう。
タバコとか吸った事ないけど、やるしかない。
台詞の言い回しも変えていいのかわからない。
でも・・聞けない・・
いーや、変えたる!不良だ!
もうどうにでもなれ!

よーい、アクション!
その瞬間、ずっと演じてきた可愛らしいウサギが、一変して、
タバコを持ち、○○○座りで、
「なんであたしの耳は片方曲がってんだよ(怒)」
ってな感じで、ウサギのシーンを不良で演じた。

カットがかかった。
何となく空気が変わっていた。
「はい、変わったと思った人?」と代表が言うと、
全員が手を挙げた。

「何をやろうとしたんですか?」と代表に聞かれ、
「不良です。」と答えた。

何を言われるのかドキドキしていると、代表から
「素晴らしい!はっきり言います。
あなたには、才能があります。
こんなに早く変われるとは思ってなかった!
もっと、頭が固いのかと思ってた。
よくやった!もう今日は帰っていいぞ(笑)」

思い切り、代表から褒められた。
全員がウサギに見えなかったと言ってくれた。
それを受けて、涙が出てきた。
殻を破って、それが周りにも届いて、快感だった。
変化を見せるってこういうことなのか・・
身体で覚えた瞬間だった。

最後、代表に呼ばれて、握手をした。
「今日は、アニバーサリーだ!今日のことを書き留めておけよ」と言われ、
この時の事は、自分ノートにしっかり記載されてある。

「真逆ができた。
これからは、その間を埋めていこうな!
やりたい役を書き出しとけ。よくやった!」
代表からの言葉だ。

ウサギが不良になった。
殻を破った。
今日は、ここに来た意味がある日になった。

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「プロになるまでの全て!」Tさん編10

役者を目指してる人に会うと、よく警戒していた。

常に比較され続けてきたので、
「周りは敵だ」という固定観念があった。
今となっては、そう思い込む自分の視野の狭さに笑ってしまう。

しかし私が目指している世界は、
仲間を蹴落とさないといけないんだと本気で思っていた。
でも私は傷つきたくないから争いたくなかった。

前に出ていこうとする自分と前に出ないようにする自分がせめぎ合い、
結局、前に出ない方を選んだ。
専門学校時代は、特に遠慮のかたまりだった。
自分の意見を言わない。
演じたい役は人に譲る。

しかし養成所時代は、それじゃだめだ!と、
敵対心むき出しにして、わざと友達を作らなかった。
無理やり、前に出ようとしてみたのだ。

わかったのは、どっちも気分が悪いということ。
そりゃそうだ。
周りを敵として見ている根本が間違っているのだから。
そもそも周りは敵ではないのに。
そんなシンプルな事にさえ、気づけなかった。

だから、いつまでたっても競争社会での振る舞い方がよくわからなかった。
人から嫌われたくない想いが人一倍強い私は、遠慮が身に付いた。
といっても、ただ控えめな感じに見せてるだけ。
心の中では「自分の方ができる」って思い込んでいたので、
相当、腹黒い女だと思う。

しかし、達者な人の前でその思い込みは通用しない。
たちまち、ひるんでしまう。
私の実力が足りないから、太刀打ちできないのだ。

本当はひるみたくない!
遠慮がちにもなりたくない!
でも前に出すぎて嫌われたくない・・・

結局、人から嫌われないように振る舞っていた。
俗に言う「良い人」だから、人間関係を保つには良かった。
とにかく人から良く思われたくて仕方がなかった。

こんな具合なので、
APHを見学する時も自分がどう見られるかに注意が向いていた。
さらには警戒心も有る。
同じような目的を持った役者の集まりなのだから、
我が強く、自己アピールの強い人達がいるんじゃないかと、
これまでと同じような競争社会を想像していた。

だから私は最初、既存メンバーに負けないように、
自信があるフリをしよう!考えてるフリをしよう!
そうやって、自分を良く見せようとしていた。
そして、前に出過ぎないように良い子でいながら面談に臨んだ。

面談の記憶は、曖昧な部分も多いけど、
インパクトのある部分だけは私の中に残っている。
あの日は私の転機となった。

代表を目の前にし、とても緊張したのを覚えている。
今まで感じたことのない気迫を感じた。
私が目指しているプロの世界の人だとすぐわかる。
温かく握手で迎えてくださり、面談が始まった。
何を聞かれるのか、とても警戒していた。

最初は、良い子を演じて表面的に対応していた。
今思うと、お前はロボットか!とツッコミを入れたいくらいひどかった。
それでも代表は真摯に対応してくださった。
(本当に、ありがとうございます。)

今の状況や、ここに来た経緯を話しながら、
少しずつ緊張がほぐれていく。
といえども、なんか見透かされている感じがして、
・・こ・・わ・・い・・(笑)
でもそう感じたのは、私が正直でいようとしていなかったから・・。

代表から、今1番困ってる事は何か?悩みは何か?と聞かれたので、
演出家のダメ出しに対応できなくて困っている事を伝えた。

すると、代表は私がどういう状態なのかを丁寧に説明して、
これからどうしていくのが最適かをホワイトボードに書き始めた。

今現在もそうだけど、
ここまで傾向と対策を具体的に言ってもらえる処を私は知らない。
これまでの劇団、専門、養成所は、
「それじゃだめだよ」とか、言いたいこと言って泣くまで追いつめてくる。
それで最後の最後に、「よくなったよ!」と褒めて、
できたような気にさせてくる。

でも何がどう変化して何が良くなったのか
具体的には言ってくれない。
これまで出会った偉い人は、感覚だけで、物事を判断して、
それが1番だと思い込んでる人がほとんどだった。

代表は全部仕組みで説明している。
裏付けがしっかりしていて、
とてもシンプルで納得のいくものだ。
これまでとは次元が違いすぎて、聞き入ってしまった。

さらには代表から痛いところを突かれドキっとした。
まさにその通りだった。
私は現場で通用する技術を持っていない。
つまり実力がない。
うすうすと感じてはいたけど、認めたくない事実だ。
私を支えていたのは、根拠のない自信だけだという事に初めて向き合った。

私は少なからず、できる気になっていた。
場数を踏んで慣れてきたら、すぐできると勘違いしてしまう。
実力は経験値に比例すると思っていた。

さて、私はどうする?
代表は何かを押し付けてくるわけではない。
決めるのは自分なのだ。

私の将来の話になったので、迷わず代表に私の本音を伝えた。
誰が聞いても無謀だと思う夢を、初対面の代表に話していた。

代表は「それは無理だよ」とも「うん、きっとなれるよ。頑張って」とも言わない。
夢がリアルになる事が前提で、どう動いていけば良いのかや、
どうやって芝居の実力をつけていけばいいのかを丁寧に淡々と説明している。
全てが具体的だ。
私が、この先どうするべきなのか、ここに答えがある。

なぜか涙があふれた。
ここで実力をつけていきたい。
何かわかんないけど、なんか他と違う。
本当の事がわかる。

さらに、来ている人全員が優しく接してくれた。
その優しさは心から人を助けようとする姿勢そのもの。
私に欠けていたものだ。

皆それぞれの場所で戦っていて大変なのに、明るく見える。
そこにいる全員が、味方であり同志。

私はAPHという新しい環境に迷わず飛び込んだ。

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「プロになるまでの全て!」Tさん編09

2年目から、新作の主役を務めることになった。
私に実力があったからじゃない。
たまたま、他の人が辞めてしまったからだ。
私もせっかくの居場所を手放したくないし、主役をやりたかったから引き受けた。
私は、ウサギの役だった。

春、オーディションに合格したYさんがメンバーに加わった。
もともと、某ミュージカル劇団で鍛えられていて、皆から頼られる存在となる。

幸運なことに、新作はシングルキャストだから、Yさんと争う必要がない。

だから、出会った時からライバルというよりも、仲間意識の方が強かった。

Yさんと私は、出会った日からこれまで色々なものを共有してきた。

今も、私の大切な親友、高め合える良きライバル、同志
そして恩人である。

問題は、稽古だった。
稽古中の私は、言われた通りに動く人形でしかない。
マジで芝居が嫌いになりそうだった。
私は芝居が下手くそすぎた。
指示された動きを段取りでやる所から気持ちで動くまでに時間がかかった。
私は不器用で、すぐできない。

演出家が私の代わりに動いて、手本を見せる。
すごく自然に見える。
私がやると、ぎこちない。
身体と台詞がバラバラなのだ。
演出家の求める正解を出せなくて、行き詰まった。

稽古は、毎回痛めつけられてるような感覚で楽しめなかった。
私の動けなさに相手役の人も、イライラしているのがわかる。
こう動けば良いのだと正解みたいな動きをやってみせてくる。
それが余計につらい。
自分ができないことが、より引き立った。

しかし、現場に出てしまえば、演出家はいない。
何も言われないから、自由!のはずが、
相手役からのダメ出し。

ダメ出しを受けるたびにどんどん落ち込む。
こう動いた方がいいよって言われてるだけなのに、
いちいち喰らってしまう私に問題があった。
のびのびできない。
いつも怯えながら本番に取り組んでいた。

今日は何を言われるんだろうか。
ちゃんとやらなくちゃいけない。
そんな事を考えながら、
いつのまにか、失敗しないように取り組むようになった。
何のためにやってるのか、もうよくわからなかった。

芝居は喜怒哀楽のハッキリしたわかりやすいお芝居しか求められない。
お芝居が固まって居着いた。
でもその事にすら、気付けない私。

ウサギが上手くできるようになること=芝居が上手い。
怖い方程式がいつの間にか完成した。
ウサギ役が全てだった。

そんな時、Yさんから
「ここのワークショップ他と違うから来てみない?」
確か、そんな文句だった気がする。
毎日一緒にいたから、どこで、どんなシチュエーションで誘われたのか思い出せない。
気になって、Yさんに聞いてみたけど、覚えてないとのこと(笑)
しかしながら、Yさんが私をここに連れてきた時の気持ちをこう語ってくれました。

「深い理由はないんだけど、本当に良いものって誰かに勧めたいじゃん!
でもね、誰でもいいわけじゃないの。
Tは、芝居に真摯に向き合ってるように見えたから、勧めたくなったの。
シンプルでしょ。」

ありがとうございます。
本当に感謝。感謝。

本来ならこの場所は、プロなら教えたくないはずだ。
それをシンプルにいいと思って教えてくださるなんて・・・!
易々と教えたくないのが人間ではないのか?
なんかYさんが仏に見えてきた。ずっと拝み続けたい(笑)
というのは、冗談だけれど、本当に感謝しています。
心からありがとう。

と言いつつも、
確か、始めはピンとこなくて、断った覚えがある。(おいおい)
いわゆる「ワークショップ」に高い月謝を払いたくないし、
ワークショップという場所が本当に自分に必要なのかが、わからなかった。

しかし、稽古が相変わらず辛い。いよいよ苦しくなってきた。
もう、一人ではどうにもならない。
無理だ。限界だ。

・・・・そういえば、Yさんの言ってたワークショップの話があったな・・・・。

この時、私の直感が働いた。
行ってみようかな
なんとなく思ったのだ。

Yさんから改めて話を聞いた。
数日後、
「今、一般募集はしていないが、紹介ならば受け入れます」
というお返事を頂けた。

なんでか、「限定」や「特別」に弱い(笑)
まだ本当に行きたいかはわからないが、
Yさんの紹介だし、この段階で断ったら失礼だ。
だから見学しとこうぐらいの気持ちだったと思う。

何かを期待していたわけでは全くなかった。
ただ、
周りの抑圧から自由になりたい。
少し、外の空気を吸いたい。
そして何より見返したい気持ちが強かった。

演技が上手くなって、
「できない人」という枠から出たかった。
言いたいことが言えない腹黒良子は、
腹に本音をためて、穏便に波風立てないように振舞いながら、人を憎む性質があった。
私に対して、言いたい放題言ってくる演出家や共演者が嫌いだった。

私は濁っていた。
人に対して謙虚なふりをし、腹の底で相手を恨む。
腹黒良子はそんな哀れで醜い人間へと成長した。

ようやく私は
APHの扉を開いたのだ。

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「プロになるまでの全て!」Tさん編08

ありがたいことに、クビにはならず(笑)
そのまま継続することができた。

プロになったけど、いまいち、ピンと来ていない。
なんか、楽をしてお金を稼いでいる感じがしてしまった。
というと語弊があるかもしれないが、私のイメージするプロには実力がある。
漠然と考えてるから、本当の実力が何かなんて、わかっちゃいない。
でも私は、私の思うプロのイメージからずいぶん遠い場所にいた。

巡業は私の居場所だった。
専門の同期は四季の舞台で主役を張っている。
仲の良い友人も自分が不合格になった大きな作品に出演し、帝国劇場に立っている。
正直、羨ましかった。
自分はその力も自信もないし、認められない。
比較されていつも選ばれない。

しかし
「巡業で下積みをしたら役者の基盤ができそうだ。」
「パッと出る役者よりも息の長い役者になれそうだ」
という私の勝手なイメージを軸にして、
負けず嫌いで自信がない私を支えた。

私がいる場所は、世間から見たら落ちこぼれだった。
もちろん、そうではない。
私の固定観念だ。
結局の所、人からどう見られるかをすごく気にする傾向がある。
良い評価を受けたい、名声が欲しい、褒められたい。
巡業は大変だけど将来ビッグになったら、賞賛が得られるにちがいない。
そんな計算を腹に納めた。

確かに巡業で鍛えられた。
スタッフさんのお仕事を実際に自分がやることで、こんなに大変なのかと・・(笑)
欲まみれな自分、評価を気にする自分、傲慢な自分を打ち砕くにはよい環境だったと思う。
でも、それが糧になるかどうかは、その人次第。

本当なら少しでもこの経験が未来の自分に良い影響を及ぼしていてほしいが、
欲まみれで褒められたい私は、どう見られるのかが重要で、
正直、人として学ぶべき事をすっ飛ばした。

この経歴が有れば、きっと将来的に友人に負けない。(バカか。)
こんなふうに、すぐ人を敵にしてしまう悪いクセがある。

オーディションに落ちることで劣等感を感じ、固く落ち込む。
私も「ダメじゃない」「すごいね」って言われたい。
合格している人が、敵にしか見えなくて自分が痛い。
でも・・この下積みを超えたら、大きなオーディションに私はきっと受かるんじゃないか。
だから、がんばろう。

オーディションに落ちても平気でいて傷つかないようにするには、
何かしらの思い込みが必要だった。
虚勢を張っても意味なんかないのに。

私は、欲という闇から這い上がる業を持った女優です。
腹黒だから。 (笑)

まず巡業というステップ1で、そこを越える何かに気づいてもらいたいが、
腹黒い私はまだわからないままだった。

さらにいうと肝心なお芝居の事も何もわからないでいる。
もうワンパターンだった。
だって、求められてるものがあるから、それしかできない。
その台本ができれば、オッケーだった。

だけど、その求められてるものもちゃんとできていたかというと疑問だ。
演出家の言いなりだった。
自分に実力がないから、何も言い返せない。
その上、自分のどうしたい!っていう考えも、曖昧。
何にも考えてない自分は、そこをどうしていいかわからなかった。

人に合わせることで、楽をしてた。
悪く思われたくないから言われたことをそのまま鵜呑みにする。

私はどうしたいの?
それが、ない。
いいこちゃんの典型だ。
「腹黒良子(はらぐろよいこ)」という人間が出来上がった。

腹黒良子は、受け身だった。
まだ何かを誰かに教わろうとしている感じ。
上手くなりたいけど、わかんない。
誰に教わろうか。
そんな視点でしか物事を考えられないようだ。

気持ちは上には行きたいけど、行動と考え方が伴わなかった。
子供たちからサインを求められると、
バカだから調子に乗った。

と同時に、なんかわからないけど、もやもやした。
周りと比べて、何にも考えてない自分が、悔しいくらい何にも考えてない事が嫌だった。
でも、何をどう考えて良いのかも分からず、
途中で諦めて考えるのをやめる。
だから、ずっとバカのままだった。

もっというと、日常に流されていた。
私は、本番をこなしていたのだ。
当時は、こなしてるなんていう考えもない。

なぜやっているのか?
中身を埋めようとした。

子供が好き。
そこから先は行き詰まる。
ただ目立ちたいだけかもしれない。
それではダメだ。
子供たちになにができるか考えてみよう。
そこに、ステキな理由を肉付けしようとしたのだ。
全部、キレイゴトだった。
でもやっぱりこの仕事、やめたくない。
子供たちへの想いがあるから頑張れるんだと思い込んだ。

好きだからやってる。
プロっていったいなんだろうか?
私はこの先、どうするんだろうか?
私はどこへ向かうのか。
どうしてやってるのか。
答えにたどり着かない。

ひとりの力では決して気づくことができなかった「影響力」という言葉の定義。
私には、影響力を持つものとしての責任がある・・・
ということに気づくのは
まだ先。

実感を持って人に感謝をするというのもまだまだ今の私にとっても修業の一部。

この時は、今よりもっと固くて、停滞していた。

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「プロになるまでの全て!」Tさん編07

早朝。

小学校に到着した瞬間、懐かしい気持ちと不安が入り混じる。
目の前に広がる校庭、校舎、体育館。

初めての体育館は、まあまあふつうの体育館。
体育館にも質がある。

舞台の広さ、舞台袖の広さ、入り口から舞台上までの距離(荷物を運ぶ時間が変わる。)
そして稀にある二階の体育館(これは荷物を全部階段で運ぶので、本当にきつい。)
緞帳の有無。暗幕の有無。音の反響具合、電気の量、ほこり。
全部違う。

芝居以外のこともメンバーで行う。
私は暗幕の係。
トラックから体育館へ荷物の搬入が終わると、
腰にガチ袋を付けて、片手に脚立を持ち、暗幕を締めにいく。
稀に、ボタン一個で全てのカーテンが閉まる電動タイプもある。

もともとカーテンが有れば、光が漏れないように
両端を洗濯バサミで止めたり、ガムテープで止める。
カーテンが無かったり、破れている場合は持参している幕を釘で軽く打って止める。
最初は慣れなくて、ナグリで指を打つ事もあった。

役者がそれぞれの役割を持ち、舞台を作る。
本番が終われば元通りにする。

1日があっという間に終わる。
終演後片付けを終え、明日公演する学校近辺のホテルに向かう。
同じ県内の移動は、ほとんどない。

岐阜から大阪、大阪から岡山、岡山から広島、広島から山口、山口から福岡
そして、九州地方で1ヵ月以上滞在をする。
この先、車で何度も関門海峡を行き来することになる。

役者とスタッフさんが交代しながら運転を行う。
一日の移動時間は平均すると4時間くらい。
1年目の私は後ろの席で爆睡だった。

夜ご飯は、サービスエリアで済ませる時もある。
ホテルに着くのがてっぺんを超える時もある。
次の日、朝5時出発だったりする時もある。

土日休みのはずなのに、
土曜日が移動日になり、車中に7時間いることもある。

日曜日は、お昼まで睡眠。
洗濯して、体力が残っていれば散策に繰り出す。

これが私のこれからの日常だ。

サラリーマンには会社があるように、私には毎日舞台があった。
生活と舞台が隣り合わせになると、その日の体調や気分が舞台にひびく。
毎日ベストを尽くしたいけど、波がある。
疲れが取れないまま、舞台に立つ。

正直、しんどい。

でも私は、長く続けることとなる。
今しかできない。今だからできることだった。
そして、本当に好きなことだった。

さて、開場30分前。

初めて完成した舞台とご対面。
照明が入って、そこは別空間だ。
早速、役者はマイクチェックと、場当たりを行う。
スタッフさんは照明チェックをする。

緊張してきた。

体育館に子供たちがクラスごとに入ってきた。
「うわ〜」「すご〜い」「なにあれ〜」
みんな、いつもと違う風景に驚いている。
幕を張った楽屋で化粧をしながら、その子供たちの反応に嬉しくなる。

いよいよ本番が始まった。

セリフも歌詞も間違えなかった。
ダンスもこけなかった。
そして、早替え!大丈夫!間に合った!

本番中に気付いた。
カツラが少し右にずれている。
やばい。私、クビだ。

でもここは耐えるしかない。
最後の変身だ!早替え!
間に合った!髪の毛ボサボサだけどね!

汗が・・・・尋常じゃない・・・
暑すぎる。
きっと、見ている方も暑いだろう。
しかし、この魔女の衣装を見てほしい。
まるでウェディングドレスのような、全身を覆い尽くす、素敵な衣装。
暑いのだ。

最後、カーテンコールでお辞儀をする。

はて・・・・
私は、お芝居をしたのだろうか?
どうしよう。完全にこれ・・段取りだったよね?

ただ、台詞をそれっぽくしゃべることでいっぱいいっぱいだった。
環境の悪条件に飲み込まれ、思い描いた芝居ができない。
正直、もっとできたはずなのに、全然できなかった。

伝わったのだろうか?
拍手は聞こえる。
無事に終わったんだ。

でも、カツラがずれたからクビだ。
最初で最後の舞台だ。
ありがとう。
さようなら。
本気でそう思い込んで、舞台袖で泣いた。

初日はこんな感じだった。

最初の1か月分のお給料は、諸々差し引かれ28万円。
その時のバイトの給料よりも多かった。
でも、ずっと家に帰れない上に、尋常じゃない程の激務なので
今考えるとあまりに安いと思う。

しかし、好きな事でお金を稼ぐという幸せを体感した。
やりたい事だけで暮らせるのは有り難いこと。
夏休みや冬以降の本番がない時だけアルバイトをした。

実力はともあれ、プロになったのだ。

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「プロになるまでの全て!」Tさん編06

小学3年生の時に、芸術鑑賞会が有った。
劇団の人が、体育館で演劇を見せてくれる。

正直、話の内容は全く覚えてないけれど、
その時のウキウキして体育館に向かった気持ち。
まだ観ていたいと思った気持ち。
体育館が、いつもと違う風景になった驚き。
生徒全員が盛り上がって、笑ってる空間。

それは不思議と覚えている。
今度はそれを私が行う立場になった。

残念ながら、世間の巡演の評価は低い。
理由は色々あると思う。

私はというと、
子供向けの作品が好き。
絵本が好き。
子供が好き。
巡演は私にピッタリだった。

けれども、ずっとここにはいないだろう。
いつかはビッグになってやる!という野望を持っていた。

私が入った団体の名前は「星の雫」
実際、団体の知名度はない。
しかし毎日公演があり、恵まれた劇団だった。

元宝塚の人や元四季の役者を使っていたので、
営業しやすかったのかもしれない。
劇団も学校公演は低レベルだという印象を覆そうと必死だった。

舞台設備も、とことん凝っていて、
流れ星や星空を作ったり、雪を降らせることもある。
さらには12キロもある重たい平台を14枚持っていき仮設舞台を作る。

役者はその仮設舞台で動き回り、
子供達の近くで、芝居ができるように創意工夫していた。
だから、うちの劇団の荷物は2トンロングトラックに満杯。
本番当日の搬入と準備には、3時間以上はかかる。

質の高い作品を子供たちに見せるという方針を定めた「星の雫」は、
先に台本をオリジナルで描き、メンバーは全員オーディションで集めた。

1年契約で実力なければ、クビ。
生演奏の作品になり、楽器ができる役者でないとダメという制限ができるまで、
毎回、オーディションがあった。

一年目の私はダブルキャスト。
まず初めはお試し期間。
年間200公演ある本番に穴を開けられない。
何が有ってもいいように備えあれば憂いなし。

私はこのダブルキャスト設定が苦手だった。
比べられたくない。
役をとられてしまう。
不安しかない・・・。

というのも、専門学校の時の苦い記憶が重なってしまうのだ。
いつも比較されて評価をされる。
私は、できの悪い子。
そういう嫌なものが私を刺激してきた。

稽古している時も、周りの目がすごく気になった。
実際、私は他のメンバーから歌がうまいと思われていた。
しかし歌ってみると、「あっそうでもない・・普通じゃん。」みたいな空気になった。
どんどん落ちていった。

実は上手くなかった・・。
そう思われることが、一番怖かったのだ。
結局、自分が良く思われたかっただけの素人だ。

稽古場は、私が私でいられない。
他の人よりダメ出しが多い。
苦痛で、逃げ出したかった。

それに比べて、相方はめちゃくちゃ良い人で、沢山助けてくれた。
それなのに・・・私は感謝をどれだけできたのだろうか?
とにかく、押しつぶされて自分のことしか考えられなかった。
周りがライバルにしか見えない。

もうやめたい。
始まったばかりなのに、すでに弱音を吐いていた。
せっかく、引き抜かれたのに期待に応えられない。
なぜか期待を自分でプレッシャーにしていた。

弱い自分になって、責任から逃れて、周りから同情してほしかったんだろう。
甘えている。

一方で、芝居のこと以外にも、不安要素を感じていた。

不安①完成した舞台設備とは本番当日初めてご対面する。
不安②設備を見てないのに場面転換で、私が動かす道具があるらしい。
不安③マイクをつけること。
超不安④早替え。

稽古場は、文化センター。
大道具や衣装は、レンタル倉庫を借りて保管。
稽古場に道具や衣装を毎回持ち込めない。
リアリティに欠けたまま稽古をすることは、新人の私にとっては酷だった。

この時の自分に、「もっと楽しめばいいのに・・」
なんて言ったところで、響かないんだろうな(笑)

私の初日は、確か・・岐阜県だったかな。
スーツケースに荷物を詰め込んで、東京から岐阜まで車で向かう。
稽古以外は楽しかった。

めったに乗らない車で、高速道路を走り、お昼ご飯はサービスエリアで食べる。
用意されたホテルに泊まる。
シングル部屋で明日の準備をする(昔は大部屋が当たり前だったみたい)
これからはずっとホテル生活だ。

明日は本番初日。
台本ばかり読んでいた。
正直、気が気でない。
だって本番同様の通し稽古は、一回もしてない。

これを面白がれるかどうかがプロと素人の境目なんだけどな・・

「・・・・早替えがちゃんとできますように・・・・
・・・・特に、魔女のカツラが落ちませんように・・・・」

・・・まあ、面白がれる余裕は・・ないか・・

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「プロになるまでの全て!」Tさん編05

居場所を失った私はバイトとレッスンに明け暮れた。
ダンスの先生やメンバーに対しての罪悪感が完全に消えたわけじゃない。
ずっと心に引っかかっている。

どうやったら、それを乗り越えて、完全に抹消できるのだろうか?
むしろ消さずに、生涯ずっと抱えていくべきなのか?
まったくわからないまま小劇場の舞台に参加し、役者として細々と活動していた。

舞台は好きだけど、その行為はプロと言えないことはわかっていた。
本当は子供番組がやりたいけど、
またどこかに通って事務所に所属しようという気が起 きなかった。
今は人とのつながりを大事にして、一個一個やるしかない。

そう思ってオーディション雑誌を片っ端から見て、
気になる舞台のオーディションを受けては落ち、受けては落ちを繰り返した。
だんだんモチベーションが下がった。
だからレッスンに行きまくった。
それしかないと思っていたから。

ある日、長年お世話になっている歌の先生がくすぶってる私を見て、
オーディションを紹介して下さった。
「知り合いが振付をしていて信頼できるから受けてみたら?」
先生が見せてくれたそのチラシには
「子供ミュージカル出演者募集」と書いてある。
子供達と劇団員が楽しそうに交流している写真が掲載されていた。

題名 は「スクラップ」
ゴミ捨て場にあるものを楽器に変えて歌を歌ったり、
ゲタでタップをするというミュージカルだ。

あっ、これ受けよう!
久しぶりにピンときた。
子供達と何かをしたかった。

書類を送ると一次審査通過の合格通知が届いた。
早速歌の先生に報告をして、二次審査を受けに行った。

審査内容は歌、ダンス、リズム感。
会場は、天井が高く、声も響く。
歌は、自分が好きな曲を選んで持っていくのだが、
女子全員が「パート・オブ・ユアワールド」というディズニーの曲を用意してきたので笑える。

とても緊張したけれど、歌もダンスものびのびできた。
久しぶりに良い感覚だった。
無事に審査が終わり 、帰ろうとした時に、
審査員の1人から「一緒に仕事したいです」と言われた。
「ありがとうございます!」とお礼を言うのと同時に、舞い上がった。

確信を突く一言だった。
間違いない。
受かった。
オーディションに受かった!
まだ結果が出てないのに、嬉しくてたまらない帰り道だった。

次の日、バイト中に携帯をポケットに入れて、
今か今かと合格の連絡を待ち構えていた。
合格者には今日中に電話が来る事になっている。
ソワソワして、バイトどころではない。
いらっしゃいませ〜♪♪♪
多分、私の意識はどっかに飛んでいた・・(笑)

もうそろそろ勤務が終わるのに
いつまでたっても電話がかかって来なかった。
いつでも電話対応 できるように、トイレに行く準備もできていた。
それなのに、電話はかかってこない。

「一緒に仕事したい」って言われたのに。
なんでだろう・・。

結局、電話はなかった。
確信を持った分だけ、がっかり度が半端ない。
落ちた。
信じられなかった。

数日後、知らない番号から電話がかかってきた。
確か、留守電メッセージが残っていて折り返した記憶がある。

「この前受けてもらった「スクラップ」とは別の作品に出て頂きたいので、
明日うちの事務所に来れますか?」という内容だった。
断る理由もないので、よくわからないまま「はい!」と即答した。

しかし・・一体、何が起きたのか全くわからない 。
私が受けた団体とは別の所から連絡を受けたのだ。

疑問を持ちつつも歌の先生に報告した。
すると、先生はすでに知り合いの振付家から事情を聞いていたようで私にこう話してくれた。

審査をしていた1人が、私の歌に惚れ込んだらしい。
でもその人は、外部の人間で別の企画を練っていた。
それで私を別の企画に参加させたいと思った。
だから、わざと落としたらしい。
つまり、私は引き抜かれたのだ。

その翌日、電話で話した代表兼演出家と対面した。
今回に至った経緯を聞き、「別の企画」の中身を伝えられた。

「実はTさんには、これをやって頂きたいのです」
DVDが準備され、TVにある映像が流れた。
「Tさんに演じて 頂くのは魔女とお母さんの二役です。」
画面をじっとみた。

お姫様のようなとっても美しい方がその役を演じていた。
ん?おかしいぞ。
私がこの美しい方と同じ役?
間違いだろう。うん。きっと何かの間違いだ。

って思ったけど、話がどんどん進んでいく。
詳細を聞くと、この美しい方は元宝塚の娘役らしい。
なんと、この元宝塚のYさんのポジションに私が入り、
全国の小学校で公演をしてほしいと言ってきた。

私、これ騙されてるかもしれない。詐欺だ。なにかの詐欺だ。
なんだろ。新手のオシツケ詐欺か?
本気で疑った。

しかしよくよく話を聞くと、きちんとギャラは出る。
巡演なので宿泊施設はもちろん劇団側で用意される。
聞く分には条 件も良く、下積みする場所としても良さそうな気がしてきた。

引き抜きなんて、なかなかないことだし。
よし、これを機に前に進んでみようかな。
ここで修業だ!
私は二つ返事で引き受けた。

レッスンとバイトで安定していた日々から一転、
今後は、お金を払ってレッスンをする立場からお金を頂く立場へ変わるのだ。

私はこれまで仕事をするためには、レッスンをしなくてはいけないと決めつけていた。
今考えると・・錯覚だった。
本当に必要なのは、稽古。
考え方1つが私をプロから遠ざけるのだと、APHで学んだ。
でも、それはしばらく先の事。

はじめて手にする仕事の台本に目を通した。
今回参加するミュージカ ル「青い鳥21世紀バージョン」は、オリジナル作品。
モーリス・メーテルリンク作の童話劇「青い鳥」を
面白おかしく現代の小学生に当てはまるように書き換えてある。

「きれいなものを見た時は、きれいだね。
美味しいものを食べたなら美味しいね。
心が響きあう。それが共感。」
「今はいつでも今しかない」
子供向けの台本と言えど、大人にも響く台詞や歌詞が沢山あってワクワクする。

「まさに私が求めていたのは、これかも・・・・。」
自分の原点と繋がっていく感じがした。

「プロになるまでの全て!」Tさん編 記事一覧

「プロになるまでの全て!」Tさん編04

ケッケコーポレーションの預かりになった。
週に一度だけ音響監督のレッスンがあって、
一年後の査定に合格すれば、準所属といった具合だった。

よし、思い描いた通りになっている。

しかし大きな問題があった。
それはアフレコに対する違和感。
口先だけのお芝居が、なんか気持ち悪い。
まだ私はその技術を見抜けなかった。

最初はアイドル声優を目指していたので矛盾しているかもしれないが、
私は、お芝居のできる役者になりたかった。
でも今流行りのアニメは声質に注意がいく。
私が目指しているのはそこじゃないな。とか何 とか言って直面できなかった。
自分も声優ブームの影響を受けたくせに、まったく偉そうだ。

音響監督のレッスンで扱うのは、「アニメ」だった。
声だけで表現することに違和感しかない。
監督は技術的な事は何も教えてくれない。
ディレクションを取るだけだった。
どうやるのか教えてほしい。
これまで習ってきたダンス、歌、芝居が全く役に立たなかった(笑)
目の前にチャンスが来てるのに私は趣味のダンスに逃げた。

夏にダンスフェスティバルというダンス公演のオーディションがあった。
本番は12月前半。
劇団ひまわりでお世話になった大好きなS先生がメインで振付をする。

やりたい!

もはやマイク前よりも舞台に魅力を感じる私は、
そのオー ディションを受けて、見事に合格。
事務所に相談なしで稽古に参加していた。
ここから歯車は狂い始めていたと思う。
この時点で、これまでの人生で1番と言っていいほどの痛みを味わう事になるとは、
知るよしもなかった。

1ヶ月後、事務所の代表に
「お前、年末に有る事務所主催の舞台に出るか?」と誘われた。
純粋にやりたいと思った。
しかし、このタイミングで引き受けてしまったら、稽古が重なり迷惑をかける。
わかっていたはずだった。

しかし、私の脳みそは事務所の預かりの立場として、その誘いを断るべきでないと判断した。
その瞬間、「はい、やります」と即答していた。

時を戻せるなら、戻したい。
もしも過去に戻れるなら正直に言ってほしい 。
「私はダンスの公演が有りますので無理です」
この一言で、S先生を裏切らずに済む。
人生で1番辛い決断をしなくて済む。

でも、もう遅い。
結果的に私は12月に舞台が二つ決まってしまった。
二つの稽古に参加し、両方の舞台を成功させれば問題ない!
そう思い込んだ。
何を根拠にそう思えるのか本当に不思議だが、何ともお気楽すぎる。

最初は上手くバランスが取れていたが、徐々に稽古が被るようになった。
スケジュール調整がまあ、難しい。

事務所主催の舞台では新人として、先輩よりも早く来て掃除をして準備するべきなのに、
遅刻や早退が多い。
なぜならもう一つ舞台を抱えているから・・・。
でも、それは誰も知らない事実。

一方、 ダンス公演の稽古も、本格的になってきた。
衣装や立ち位置が決まり、カッコいいチラシも出来上がっていた。
この頃から稽古場をハシゴできる余裕が無くなってきた。
限界だった。

この日も途中でダンス稽古を抜けた。
他のメンバーに対して、罪悪感が募る。
いまさら、二つの舞台を抱えてるなんて言えない。
「どっちか片方にしたい」
これが私の本心だった。

コントロールできないスケジュールを組んでしまった私のせいだ。
社長を目の前にして断れなかった私のせいだ。
そう・・全部、自分のせいだった。

そして、我欲だけで動いてしまった私にバチが当たった。
この場面にはできるなら遭遇したくなかった。
でももう避け られなかった。
私はダンス公演を辞退したのだ。

あの夜の出来事は今でも忘れない。
S先生に電話で降板すると伝えた。
先生は静かに怒っている。
私を引き止めようと説得してくれているのに、
その想いに応えられない。
結局、自分の我儘を貫き通してしまった。

最後に先生は諦めたように
「みんなの事はどうでもいいの?」と尋ね、
「申し訳有りません」と伝えると
「わかった。もう勝手にしなさい」と言って電話が切れた。

涙が止まらない。
劇団ひまわりに入りたての私を支えてくれた恩師なのに。
ダンス未経験の私を諦めずに指導してくれたのに。
どうして私はダンスを選ばなかったんだろう。
どうして事務所の舞台を選んでしまったんだろう 。

結局私は自分の将来を選んだのだ。
アフレコができないくせに、なぜか準所属を狙っている。
恩師を裏切ってまで入るべきなんだろうか?

ほんとに私の行動は有り得なかった。
こんなんで成功するわけがない。

2ヶ月後、事務所の査定が有った。
私は完全に目的を見失っていた。
それなのに、受かるかもしれないと少し期待していた部分もあった。
わけがわからない。

結果見事に落ちた。
二兎を追う者は一兎をも得ず。
神様はみている。
自分の事しか考えていない罰だった。

何もかも失った。
声優事務所に入るための道も。
そして大好きなS先生も。

これからどうしようって思うのに、
これからが考えられなかった。
どうし てもS先生やメンバーに対して、申し訳ない気持ちが溢れてくる。

その度に「役者なんてやる資格すらない。」と自己否定を始める始末。
役者を目指す事を辞めれば楽になれるかもしれない。
でも、どうしても役者を諦めきれない。

5月。自分の罪悪感を拭うために、S先生に謝罪する事に決めた。
S先生主催のダンス公演に出向いた。
怖かった。無視されたらどうしよう。
足が震えていた。

終演後に直接謝るとS先生は明るく、
「もう気にしないのよ!」
と私の肩をポンポンと叩いて、その場を離れた。
感謝しかなかった。
救われた。

前を向いていいんだ。
その許可をもらった気がした。
もうこんな苦しい思いはしたくない。
それか らの私はいろんな事に慎重になっていったのだ。

さて、これからどうしようか・・・。

(10年以上経った今でもS先生とは年賀状のやり取りをしています。
S先生、本当にありがとうございます。)

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