「プロになるまでの全て!」Yさん編04

自分はとても単純で調子に乗りやすいのです。

プレッシャーに弱く失敗すると心がへし折れますが、
上手く行くとすぐに調子に乗るというのを
交互に繰り返し始めるのです。

というのも、調子に乗っている自分は必ずと言っていい程
変な所でミスをするのです!!︎

例えばスタジオの場所を時間前に確認して、
別の場所で時間を潰し、
いざスタジオに入る時間になって行こうとすると
場所を確認したのになぜか道に迷ったり

オーディションを受けに行って帰る時、
気に入られたので先方から
もう一度別のオーディションを受けて欲しいという連絡が事務所経由で来るも、
着信に気付かず連絡が遅れたり

いい結果の後に本当にあり得ないミスをしました。

これはちょっと気を付ければ防げた事です。
本当にくだらない。

しかしプロとして仕事をする以上
絶対にやってはいけないとても基本的な事です。

めちゃくちゃ怒られました。
当然ですね。
また当時の自分を殴りたくなってきました。
タイムマシンが欲しい。
今なら腰の入った良いパンチが打てそうです。

あの時、ほんの少し一般常識を身につければ
仕事は多分増えていったでしょう。
このあと起こる大惨事も当然なかった。
どうしていいか分からず五年間もふらふらする事もなかった
という愚痴が溢れてきます。

「プロ」として「仕事」をする以上、
社会人としての一般常識は当然必要です。

確かに昔は破天荒な役者がたくさんいて、
常識からかけ離れた行動を取ることも多かった。
しかしそれは、
それでもその人が必要になる程の腕があったからです。
あとそういう時代だった、というのもあるかもしれません。

自分はセンスがあったと思います。

でもプロの世界は
「センスがある人が集まっている」世界です。
プロになっている人はみんなセンスがあるのです。

だからその世界では、
自分のセンスはそれ程大したものではなかった。
センスはあって当たり前なのです。
当時はこんな当たり前の事が全く分からなかった。

自分はこうしてとても短い間に失敗と成功を繰り返しました。

自分でもこの変なサイクルにはまっている自覚はありました。
そして気を付けようとしていました。

しかしそれでも直せなかった。

事務所からの電話にすぐ出られるよう気を張って気を付けようとする。

しかし、待ち望んでいるのに一ヶ月くらい仕事の電話がないと
「仕事来ないな」
と、ふと気持ちが切れるのです。

その瞬間に電話が来る。

冗談でも何でもなく本当に気持ちが切れた瞬間に電話が来るのです。
それが何度もありました。

自分でも
「なぜこのタイミングで!?︎」
とパニックになる程のパターンになっていました。
苦しかった。

常識が身に付かず、事務所に迷惑をかけ続けました。
そろそろ当時の自分を◯ろしたくなってきました。

しかし!!︎
自分でも不思議ですが
こんな状態でもいざというチャンスの時、
良い結果が出てしまう。

大きいTVCMのオーディションに受かったり、
事務所が外画・アニメに進出するために
ディレクターワークショップを開けば
自分が真っ先に仕事をもらったり。

おかしなサイクルにハマりつつも家での練習は欠かさずやっていました。
こんな仕事がしたい!!︎と借りてきた映画を見ながら
セリフを真似したりする事自体が楽しかった。

だからまだどこか心の中に、
「自分はできるんだ!!︎」
という根拠のない自信が残っていたのでしょう。
この自信自体は必要なものだったのだと後々わかります。

しかし肝心な事が抜けていた。

失敗から学び、それを改善する
という事です。
それができれば、
その先に大きな成功が見えていたのです。

ですから自分は、
やはり失敗するべくして失敗するのです。

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「プロになるまでの全て!」Yさん編03

事務所に所属し、プロ声優としての第一歩を踏み出しました!!︎

さっそく心が折れました!!︎

専門学校を卒業してすぐに、
コンテストで賞をもらった事務所に所属になりました。
当時にしても珍しく、その事務所には養成所がなかったため
いきなり正所属として入る事になりました。

とはいえ自分は専門を出ただけの素人です。
当然ナレーションや演技の技術を求められる仕事はできず、
いわゆる素人っぽさを求められる仕事をもらっていました。

なにせ本物の素人ですから。

それでもちゃんとギャラをもらえました。
1日バイトするより多くです。

今考えればかなり凄いことです。
事務所もある程度期待してくれていたのだと思います。

勘違いしましたね。
人生簡単じゃないか!!︎と。

しかしとあるCMのオーディションテープを事務所で録音した時、
衝撃的な事が起こりました。

ある先輩が、自分がやろうと思っていた事を
自分がやるよりもっと魅力的にやっていたのです。

自分が、こうしたいと考えた事が
自分が考えた以上のものになって
目の前に現れたのです。

ショックでした。

今考えれば当たり前の事です。
先輩が自分より上手いのは当たり前なんです。
それでも当時の自分は根拠のない自信があり、
自分の考えている事は最高だと本当に思っていたのです。

それが簡単に覆された瞬間でした。

結局オーディションは落ちました。
ここから自分は、自分のやる事に疑問を持つようになります。
プロという世界に入ってすぐに自分の力のなさを思い知る事になりました。

前よりもいろいろ考えて、家での練習に精を出すようになりました。

結果的にこのオーディションのお陰で自分はずいぶんましになったように思います。
自宅で録音出来るようにマイクを買い、
当時はカセットテープでしたが何度も何度も何度も録音し聞き直し
自分が納得するまでそれを繰り返し練習していました。

誰かに習ったわけでもないので、
テレビで見た自分の好きな映画・アニメやCMをマネしたものがベースになっていました。
かなり狭い範囲ではありましたが、
その狭い範囲を繰り返し練習し特化していきます。

練習のおかげかぽつりぽつりとオーディションに受かり、
小さなCMのナレーションをやる事ができるようになります。

この時は、ブースの中で原稿を読むことが
以前よりもっと楽しくなっていました。

いわゆるアニメ声優を目指して専門学校に通ったものの、
演技の授業のないラジオパーソナリティー科に行き、
ナレーション系の事務所に入って、と当初の目的とは少し方向が違ってきていました。

しかしディレクターの要求はあるものの、
一人の世界にどっぷりと浸かり絵に合わせて
ナレーションを入れる事はとても楽しく気持ちよかった。

その瞬間は本当にCMの世界に入り込んでいるような感覚でした。
この状態はある種の説得力があったのか、
割と評判が良かったのです。

業界に入ってすぐ自信を砕かれた自分でしたが、
これでまた自分はできる!!︎と思い始めます。

さらに専門を出ただけの自分を鍛えるため、
事務所からの指示で、新設された付属養成所に行く事になりました。
そこでは自分だけ所属した状態で養成所に通うという妙な立ち位置になりました。

他の人達は所属するために自分をアピールしようと必死です。
しかし自分はそれがない。
このプレッシャーのなさがプラスに働き、
自分は伸び伸びと学んだ事を実践していきました。

おかげで評価が良かった。
周りからも、所属という立場と結果で一目置かれるようになります。

だがしかし
これが逆に良くなかった。

「プロになるまでの全て!」Yさん編 記事一覧

「プロになるまでの全て!」Yさん編02

専門学校の授業は発声や朗読など、
科は違えど内容は声優に近いものがけっこうあり
専門学校から斡旋された寮に帰ると毎日滑舌や発声を楽しくやっていました。

しかし、授業はかなりサボりました。

理由は、
・朝までゲームをやっていて眠かったから
・嫌いな授業がある
の二点です。
欠席の連絡をする時、理由は風邪になります。
その時「演技」をしてました。

咳をしてか弱い声を出しクラス担任を騙し、電話が終わると即睡眠です。

寮とは言え実家から出た事で、いろいろタガが外れ
ゲームやCD、漫画を買い漁り
蕎麦屋を巡りどこが美味いだのと言い
今の自分から考えると、死ぬほど遊び回ってました。

この時少しでも貯金していれば…
あんなに蕎麦を食べ歩く必要などなかった。
あの時の自分を殴りたい。

自分はめちゃくちゃ不真面目でした。
そのくせ授業で他の人が先生に褒められると、
やたら対抗意識を燃やしてやっていました。

そしてなぜか、
自分はできる‼︎
と、思い込んでいました。

ほんとなんででしょうか?
根拠は全くないのに自分は才能があり、
できる、できてる‼︎と思ってました。
バカは怖いですね。

自分通ったのは声優科ではないため芝居の授業は全くありませんでしたが、
ラジオパーソナリティー科なのでCM原稿を読んだりしました。

これがやたら楽しかった。
題材は土石流が流れてくる災害映像のナレーションだったりしたのですが、
内容に対して不謹慎なのですが
映像に合わせてナレーションを入れる事が楽しくて仕方なかった。

正直、専門学校の授業自体は特にためになった事はありません。
自分が入ったパーソナリティー科は一クラスだけで
人数は10人というオマケみたいな科で、
当時ブームだった声優科は確か30人10クラスくらいあったと思います。

教室も、声優科は校舎の3~5階にあり広かったのに
パーソナリティー科は半地下の狭い教室でした。
よくクラスメイトと愚痴ってました。

こんな状況でしたが専門学校生活は楽しかった。

当時は知識がなくわかりませんでしたが、
この専門学校はもともと服飾系の学校から規模を拡大してきた所で、
声優科やパーソナリティー科はできたばかりで実績があまりありませんでした。

そのため事務所につながるラインと言えば、
卒業時のオーディションで養成所合格になる程度でした。

つまり始めから養成所に行った方が良かったのです。

そんな事も知らず入った自分は、
「専門学校を卒業したら一年浪人して事務所に入る、て感じか」
と、また「なぜか」思い込んでいました。

これ今考えても意味がわかりません。
どうしてそう思ったのか…うーん

2年目になり、卒業後の事を考え始める頃
クラス担任が声優雑誌に載っていた
あるナレーションコンテストの事を教えてくれました。

別に専門学校とつながりがあるものでもなく、
あくまで外部のコンテストを担任が探して来ただけです。

クラスの何人かと自分が応募してみる事にしましたが、
誰一人真面目に先の事を考えていたわけではありません。

自分は、賞金が欲しかったから応募しました。
確か金賞で10万だったはずです。

カネです。

すると後日「銅賞に入りましたよ」と電話がかかって来ました。
銅賞は3万です。

なんだよ銅賞かよ、と思っていたら
「事務所に入らないか?」
と言われました。

事務所?
どこの?

この時説明されて始めて知ったのですが、
このコンテスト
とある中堅事務所が新人オーディションも兼ねて開いていたのです。

賞金しか見ていなかったので、どういう所が主催か全く知らなかった。

そして、その事務所の事も全くわからなかった。

当時の自分は声優には詳しくても
声優事務所は青二、バオバブ、シグマくらいしか知りませんでした。
ミーハーな人間なんてそんなもんです。

とりあえず後日、その事務所に行って面接する事になったのですが
正直怪しい所ではないかと疑ってました。
急に「事務所に入らないか?」とか言われても
得体の知れない所に入って騙されるのではないかと本気で思ったのです。

声優事務所の事を知らないくせに、やたら警戒したのを覚えています。
しかしクラス担任が事務所の事を調べてくれ正体がわかり驚きました。

なんと自分が大好きだった
とあるアニメのメインキャラを演じた人がいる事務所だったのです‼︎

ビビりました。

自分は臆病な人間です。

注目されないと目立とうと張り切り、妙に良い結果を出したりしますが、
注目され期待されるとビビって失敗するのです。

この時、まさかそんな有名な人がいる事務所だとは思っていなかったので
震えるほどビビりました。

面接の日、自分はスーツを着てガチガチに緊張して行きました。
社長には
「スーツなんか着てこなくて良かったのに」
と笑われました。

自分は終始「はい」「いいえ」くらいしか言えず、
社長が履歴書を見ながらいろいろ質問された事に答えるだけでした。

事務所での面接が終わり数日後、
「専門学校を卒業したらウチに来て下さい」
と連絡が来ました。

こうして自分は、「声優」という業界に足を踏み入れたのです。

ちなみに自分が大好きだった声優さんは、
すでに移籍してその事務所にはいませんでした。

「プロになるまでの全て!」Yさん編 記事一覧

全力新連載「プロになるまでの全て!」Yさん編01

男性声優 Yさんをご紹介します。

全力新連載「プロになるまでの全て!」
第1回に登場してくれるのは、男性声優Yさんです。

彼はいつの間にか「週平均7~9本」もの仕事をこなす
人気声優になってしまいました。

韓流ドラマ吹き替えの主演をこなしたかと思えば、
最近は、様々なシリーズ物に主演し始めています。

また、彼を信頼して仕事を任せるディレクターがすでに数名おり、
そのディレクター達の話しによると
「彼はどんな球を投げても、必ず受け止めてくれる存在」なのだそうです。
それは、たぶん嘘だと私は思っています(笑)

しかし、それが現実なのか、彼の仕事は年々確実に安定してきています。

その結果、各クール事に持つ数本のレギュラー番組をベースにしながら、
新しい仕事を広げて行くという、声優として理想的な環境を手に入れつつあります。

彼は今でこそTOP声優達と素敵なバトルを繰り広げながら、
日々の精進も忘れない、充実した声優ライフを送っています。

しかし、彼がこの場所にたどり着くまでには、
本当に信じられない程の、深い挫折と苦悩がありました。

これはまさに「困難に次ぐ困難を超える」物語です。

「本当にこんな事が、現実の世界で起こるのだろうか?」
「なんだそれは?マンガでも聞いた事がないぞ!?」

そんな事の連続でした。

自分の才能を信じ、あきらめなかったYさんは、
一体どう考え行動したのでしょうか?

彼の経験に耳を傾けながら、一緒に学んで行きましょう。

APH代表 茂 賢治

声優になろうと思いました。

自分は元々絵を描くのが好きでした。
漫画、アニメも大好きで放送しているものはジャンル問わず全て見ていました。
小学生の頃は漫画家になりたいとか考えてましたが、
姉の方が圧倒的に絵が上手く
「コイツには勝てない」
と諦めました。

高校で進路を決める時、
「声優になろう」
と思いました。

別に演劇部ではなかったし、
芝居に興味があったわけではありません。
声優的な要素といえば、
国語の授業で文章を読むのが上手いと先生に褒められた事くらいでした。
とにかく漫画やアニメにかかわる事がしたいと思ったからです。

声優という仕事自体は声優雑誌、アニメなどを見てよく知っていました。
今でも尊敬する神谷明さんをはじめ、
当時の声優なら声を聞いたらすぐに誰かわかるくらいには好きでした。
あとは何となく楽しそうだなくらいの気持ちでした。

声優は自分の顔を出しません。
アニメや海外の俳優の声を当てます。
自分とはまったく違う人間になれる。
当時の自分は、アニメで見て憧れた主人公
ヒーローになりたかったのだと思います。

しかし漠然とした考えで、強い想いがあったわけではありません。

その割には専門学校に行く際に、
親に対して人生初の反抗をしたりと結構強情に押し切りました。
父は大学に入って欲しかったらしく、
強く反対してきたのですが、それに対する反発もあったと思います。

本当に思い付きで何も深い理由はありません。

単純に勉強が嫌いで大学に行きたくなかった、
楽しい仕事がしたい、好きな事がやりたい。

ずいぶんワガママな理由だと今は思います。

そして専門学校に入ろうと考えたのですが、
ちょっと調べて見つけた所に行こうと思いました。
これも今思うと完全にカモになりに行くようなものです。
よく事務所につながったなあと驚きます。

この専門学校にしようと思った決め手は、
夏の体験入学があり、とある超実力派有名声優が講師に来ていて
それに参加したからです。

この人のファンではありませんでしたが、
あるSFアニメの主人公を演じられていて
そのアニメが大好きだったのです。

参加してみた結果、

凄かった。

三時間の特別授業で題材は、
「あめんぼ赤いな~」というヤツです。
参加人数は20人くらい。

三時間の授業で二人しか見てもらえませんでした。

まず話が長い。
30分以上喋ってる。
やっと始まってみると「あめんぼ~」
くらいで「違う‼︎」と止められる。
そこでまた話が始まる。

今ならある程度止める理由も理解できますが、
当時はなぜ止められるのか?全くわかりません。
最初に読んだ生徒はどんどん追い詰められていきました。

教室が異常な緊張に包まれる中、二番目の生徒がカ行を読み「違う‼︎」と止められ
気付いたら生徒二人でア行・カ行を読んで三時間が過ぎました。

自分は全く見てもらえませんでしたが、
「なんかわからんが凄い‼︎」
と妙に強く感じました。
そして「ここに入ってあの人に教わる‼︎」と決めたのです。

しかしいざ声優科に願書を出してみると

落ちた‼︎

高校の先生は、
「推薦があれば入れるだろ」
と言っていたのに…嘘つきやがった。
さすがに焦りました。
受験勉強などしていない。
高校三年の最後の半年はずっと授業中寝ていた。
そもそも高校入学後半年で、成績は下から三番目。
卒業間際のこの時期までそれをキープしてきました。
まずい。

すると専門学校から
「入学金10万安くするからラジオパーソナリティー科入らない?」
と電話が来ました。
もちろん「入ります」と即答しました。

親には「何で⁉︎」と言われました。
そりゃそうですよね。

なんかもう東京に行きたい、家から出たいだけだったような気もします。

声優科ではありませんが一応専門学校に入りました。
あの人に教えてもらえる‼︎と思っていたら、

ご本人主催の養成所を作りやがった‼︎

体験入学は宣伝のためだったらしく
専門学校の廊下に養成所のチラシが置かれていました。

そして特別講師にも来やしねぇ‼︎

騙された‼︎

しばらくテレビであの人の声を聴くと無性に腹が立ちました。

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