「プロになるまでの全て!」Yさん編14

後日、代表にその事を報告しました。
すると、

「まだ完全に拒絶されたわけではない。
土下座してでももう一度お願いしてこい!!」

精神的に死にそうでした。

やんわりとは言え、社長のあの言葉は事実上の拒否だと思いました。
しかし、確かに
「もう事務所に来るな」
とは言われていない。

自分はこういう時、必ず諦めてきました。
なんとなく結果は出ていると思っていたからです。
これ以上すがりついても
自分が惨めでカッコ悪くて無駄に苦しい思いをして傷つきたくなかったからです。
それよりは物分かりのいいふりをして、そこでやめていました。

本気でトコトンやり切る事ができなかった。

代表は普段、APHメンバーに何かを強要する事はありません。
強く推奨する事はあっても無理強いはしないのです。
本人がどうしてもやりたくなければ、必ず別の方法を一緒に考え、
提示してくれます。

しかしこの時は、とても強く、
「行け!!」と言いました。

物事は全てやり切らなければ次につながりません。
中途半端に終わらせると、別の何かを始めてもまた中途半端に終わります。
どんな事でも追求していくと必ず誰かとぶつかり合う事があります。
それが深くなればなるほどぶつかり合いも強く激しいものになります。

自分は、そのぶつかり合いを全て避けて逃げてきました。
だから何かを良いところまでやっても
それ以上にはなれなかった。

まあまあ、ほどほど、ぼちぼち、でした。
どれも悪くない、けど良くもない。

それを
自分の意思で
完全に決着が着くまでやり切る。

それが必要だったのです。

今はなんとか仕事をしていますが、
ここに至るまで、お百度詣りの時以上に判断に迷い、相手と意見がぶつかり、
それでも自分の意思をハッキリと伝えなければいけない状況がありました。

代表がずっと強く強く言い続けてくれて、
この後ようやく最後までやれた事で自分は変わりました。
本当に有難うございます。

結果が「ほぼ」見えている所を、
「完全に」ハッキリさせるため
もう一度、社長にお願いしに行く事にしました。

しかし行きたくない。
本当に行きたくない。
心の底から行きたくない。

もう結果はわかってる。
社長は自分を傷つけないように優しく言ってくれたのだと思います。
それなのにまた強引にすがりついてくる。
迷惑以外の何者でもないと思います。

でも、ハッキリさせなければいけない。
今までなんとなくでやって来た事に決着をつけなければいけない。

自分は事務所に向かいました。

が、

やっぱり入れない。

また事務所ビルの区画から隣の区画まで終業時間まで歩き回りました。

夜になり辺りが暗くなったなかで、
街灯とビルの窓の明かりを見上げる景色をよく覚えています。
事務所の入っている階をビルと反対側の道の電柱の陰から見上げていました。

ビル入り口から誰かが出てくるたびに電柱に隠れて見つからないようにしていました。
社長にもう一度必死にお願いする姿を見られるのが嫌だったのです。
自分の情けない姿を見られるのが怖かった。
恥をかきたくなかった。

そうやって事務所に入れずにいるうちに、
社長が出てきました。
隣には以前事務所で自分に話しかけてくれた先輩がいました。

もう他にタイミングはないと思いました。
電柱の陰から飛び出して社長を追いかけました。

 
後ろから呼び止めると社長は物凄くビックリしていました。
それはそうです。
暗がりで後ろから突然大声で呼びかけられたのです。
この時の自分は変質者かストーカーです。

「もう一度、事務所に入れて下さい」

自分がどんな風にこう言ったのかよく覚えていません。
とにかく必死でした。
大きな声で言おうとしても声が出なかったように思います。
目を見開いてこちらを見る社長と、
頭を下げている自分と社長を交互に見て戸惑っている先輩の姿が記憶に残っています。

社長は自分を見ながらも足を止めませんでした。
自分はそれを追いかけながら何度も頭を下げてお願いしました。

社長が足を止めず、それを追いながらだったので土下座はできませんでした。

その時、初めて社長の怒鳴り声を聞きました。

「いい加減にしてくれ!!営業妨害だよ!!もう来ないでくれ!!」

大声でこう言われ、自分は何も言えなくなりました。
社長はそれ以降は振り返らずに遠ざかっていきました。
先輩は何度も自分の方を振り返りながら社長の後を歩いていきました。

そこから駅までどうやって歩いたのか全く記憶がありません。
気付いたら駅前でした。

そして代表に報告しなければと思い電話をかけました。

「ダメでした。頭が真っ白です。」

本当に真っ白でした。
あんなに必死に何かをしたのは人生で初めてだったと思います。
そしてあんなに強烈に拒否をされたのも初めてでした。

「大丈夫だ!!次がある!!次に行こう!!」

代表はとても明るい口調で笑いながらそう言って下さいました。
この時の自分には先の事は何も考えられませんでした。
ただ強烈な重しがなくなった開放感と、唯一の拠り所がなくなった空虚感で
本当にすっからからかんという感じでした。

代表にAPHという団体に支えてもらいながら
始めて
最後の最後までやりきった
このおかげで自分は変わったのです。

この変化は大きかった。
それが次につながって行くのです。
 

「プロになるまでの全て!」Yさん編 記事一覧

「プロになるまでの全て!」Yさん編13

事務所にお百度詣りに行き始め、
初回の手応えからなんとかなりそうな気がしていました。

事務所スタッフの方々が邪険にするでもなく、
普通に接してくれたからです。

週に2、3回くらいのペースで通いました。

その度に掃除をしていましたが、
当然毎日スタッフも掃除をしているのですぐにやる事がなくなりました。

たまにマネージャーやスタッフが休憩に来て、
そこにいる自分に話しかけてくれました。
しかし話は長続きしません。

今思うと、自分はとても邪魔だったと思います。
仕事の息抜きをしに休憩スペースに来ると、
事務所をクビになった部外者が挙動不審で
深刻な顔で緊張しまくってただ座っているのです。
休憩にならない。

せめて楽しく雑談でもできれば良かったのですが、
自分にそんな事は全くできませんでした。
ただただ
「もう一度、事務所に戻して下さい」
と言うタイミングをなんとか見つけようと居座るので精一杯でした。

そうやって事務所に通うようになってしばらくすると、
事務所にいる時間がどんどん短くなっていきました。

掃除はすぐに終わる。
気の利いた会話もできない。
事務所に戻りたいとも言い出せない。
やる事がない。

ただ座っているだけでした。

休憩スペースを通り過ぎるマネージャーやスタッフの視線がとにかく痛かった。
向こうもどう扱っていいか困ったと思います。
邪険にされなかっただけでも本当に有難かった。
本来なら、邪魔だから来ないでくれ、で終わりです。

それでも事務所に行く事は許してくれていました。
とても優しい事務所だったのだと思います。

しかし苦しかった。

たったの5分が物凄く長く感じました。
始めは、30分いようと決めていました。
それが25分、20分、15分とどんどん短くなっていく。

苦しくて居られないのです。

休憩スペースの掃除はすぐ終わる。
休憩に来るスタッフとの会話もほぼなくなりました。
こちらから話しかける事はできませんでした。

事務所に行く事が苦しくてしょうがなくなりました。

するとまた、事務所ビルに入る時に
強烈な恐怖が襲ってきました。

気持ちを落ち着けようとビル周りを歩きました。
一周しても落ち着かない。
もう一周しました。
しかしダメでした。
もう一周したら覚悟を決めて入ろう、そう思い周りました。
それでも怖くて入り口に入れない。

ビル周りを回るのは本当にあっという間でした。
大した距離じゃない。

気持ちを落ち着けるために歩く距離を伸ばすことにしました。
ビル周りではなくビルのある区画を一周するのです。

さすがに距離が伸び、時間がかかるようになりました。
ビル入り口から離れるにつれ気持ちが落ち着いてきました。
小さな個人商店があるのを見つけて、
「こんな所にこんな店があったのか」
などと思ったりしていました。

歩く距離が伸びて時間もかかり、だいぶ気持ちが落ち着きました。

これなら事務所に行ける。

そう思い、事務所ビルに近づいて行きました。

恐怖が襲ってきました。

事務所から離れて落ち着いていた気持ちが、
また恐怖で震えて動揺し始めました。
事務所に近づきたくない。
途中で歩くコースを変え、隣の区画に入り時間を稼ぎました。

どれくらいそうやって歩いていたか正確にはわかりませんが、
事務所の終業時間が近づき
今から入ると迷惑になると思い帰ることにしました。

夕方まだ明るい時間からなので3時間近くは歩き回っていたと思います。

始めは週に2回事務所に行っていたのが、
この頃は週に3~4回行こうとして、
実際に事務所に顔を出せたのは1回あれば良いという状態でした。

事務所に行ける回数がどんどん減って行きました。

反対に事務所近辺を歩き回る時間がどんどん長くなって行きました。
事務所に入るため、心を落ち着けるために歩いていたのが
終業時間まで時間を潰すためになっていたのかもしれません。

それでも何とか週に1回は事務所に顔を出そうとしました。
そうやっているうちによく気に掛けてくれていたマネージャーが、
「何で事務所に来てるの?」
と聞いてきました。

本当に気軽な感じで普通に聞かれて自分はすぐに応えられず、
「ちょっと顔を出したくて」
と答えた記憶があります。

「そっか」
とマネージャーは軽く行って仕事に戻って行きました。

どうしても本題を切り出せませんでした。

通い始めてからどれくらい経ったのか正確には覚えていない、
というか記憶が飛んでいるのですが
多分2、3ヶ月…3か月くらいだったかな?

ある日、とある先輩が事務所に来ていて自分と話してくれていました。
すると社長が休憩スペースに来て
「君はなんで来てるの?」
と聞いてきました。

これ以前にも社長が休憩スペースに来て
タバコを吸いながら話しかけてくれたりしていました。
しかし雑談だけで本題を話せずに終わってばかりでした。

それが向こうから聞いてくれたのです。
今しかないと思いました。

「…もう一度、事務所に戻してもらいたいと思いまして…」

絞り出すように、必死に答えました。
社長はちょっと考えて、

「うーん、でもウチはクビになった人が出戻りした例がないんだよねぇ」

そう軽い感じで答えました。
自分と話してくれていた先輩はなんとも言えない強張った表情をしていました。
話はそこで終わり自分は帰りました。

「プロになるまでの全て!」Yさん編 記事一覧

「プロになるまでの全て!」Yさん編12

代表から自分の一番痛い所を突かれ、
それを変え、今までの中途半端な自分に決着をつけるため。

クビになった事務所に御百度参りをする事にしました。

APHにある仕組みが正しいとは言え、
正直やりたくなかった。
でもやらなければ前に進めないと自分でも理解できました。

御百度参り初日。
予想はしていました。
しかし予想を遥かに超える恐怖が襲ってきました。

最寄駅に降りた時点で、事務所の方角に向かうのに抵抗がある。
足が重い。
見覚えのある風景が全て怖くて、誰か元事務所のスタッフに、先輩に、会ってしまうのではないか。
道を変え、遠回りをして裏道を通ろうか。
いやどうせ事務所に行けばスタッフや先輩はいる。
道を変えても結果は同じだ。
でも裏道を通って知っている人に合わないように事務所ビルまで行きました。

ビルの入り口まで来ると、全身から汗が吹き出し、胃の調子が悪くなってきました。
口の中から水分がなくなり乾いてくる。
奥に見えるエレベーターに乗らないと事務所のフロアには行けない。

入り口に入らず、通り過ぎました。
とりあえず外周を回って気持ちを落ち着けよう。
とにかくゆっくりと歩きました。
気持ちが落ち着くまでゆっくりと。
そんなに大きなビルではないので外周を回っても五分もかかりません。
あっという間に入り口に戻ってきました。

気持ちは全く落ち着きません。
しかし行かなければしょうがない。
心臓をバクバク言わせながらビル入り口奥のエレベーター前に向かいました。
そして震える指でエレベーターのボタンを押します。

エレベーターの階数表示が移動し始めます。
一階に来て欲しくない。
乗りたくない。
小さな雑居ビルなのですぐに来ました。
もう乗るしかない。

エレベーター内に入り、階数ボタンを押しました。
普段ならすぐに閉ボタンを押すのですが押せない。
でも勝手に閉まる。

エレベーターが移動し始めました。

事務所に入ったらどう動くのか?
どう挨拶をするのか?
事務所フロアに着くまでずっとシミュレーションをしました。
時間感覚がおかしくなっているのか、
やたらと長く感じました。
実際は一分もなかったと思います。

事務所フロアに着くと、目の前に事務所入り口がありました。

とても見慣れた入り口でしたが、
取っ手を握るのに随分と時間がかかる。
曇りガラスの向こうに人影が通るたびに、
入り口横にあるトイレに逃げ込む。

どれくらいそうやってウロウロしていたかわかりません。
しかしようやく入り口ドアを開ける事ができました。

「おはようございます」

挨拶をして一歩中に入りました。

「あれ?どうしたの?なんか台本あったっけ?」

お世話になったマネージャーが自分に気付き声をかけてくれました。
そこには悪い感情はなく、少しホッとしました。

「ちょっと顔を出しに来ました」

事務所在籍中にやるべき事をクビになってからやっている。
情けない限りです。

「そう、じゃその辺にいて良いよ」

そう言って、事務所に入ってすぐの休憩スペースを勧められました。
そこには灰皿や週刊誌、新聞などがやや乱雑に置かれていました。

ここで代表から頂いたアドバイス通り、
灰皿の吸い殻を捨てたり、雑誌・新聞を綺麗に整理したりしました。

「そんな事しなくてもいいよ」

事務所スタッフに言われますが、

「いや、暇なんで」

と言ってやりきりました。
思ったより普通に会話できている。
これならちゃんと話しができるかもしれない。
しかし、初日からいきなり本題に入る事はできませんでした。
30分ほどいて挨拶や少しの雑談をして帰りました。

こうやって慣れていってから社長と話をしよう。
今日の感じならなんとかなりそうだ。
自分はこんな風に考えていました。

しかしこれはとんでもない勘違いでした。
自分はまだまだ死ぬほど甘く考えていたのです。

「プロになるまでの全て!」Yさん編 記事一覧

「プロになるまでの全て!」Yさん編11

自宅での稽古が解禁され、セッションでも声が出せるようになり
自分の中に、完全に無くしていた「自信」が
本当に少しずつですが芽生え始めました。

外から見たら、ワークショップに通うただの素人。
しかし自分の中には「希望」が生まれました。

現場に出るために必ず必要なもの。
自分が持たずに現場に出て失敗した原因。
「実力」というものが少しずつ身に付き始めました。

「確信」と「実感」を得て「希望」が生まれた自分は、
その稽古を自分にしては珍しいくらい必死にやりました。
「これをやれば憧れたあの有名声優のような声が出せる!!︎」
そう思えたからです。

APHでの稽古に手応え・充実感を感じるようになってセッションが楽しくなっていきました。
それ自体は良い。
しかし目先の事ばかりで、もっと先の事を考えてなかった。
肝心の現場に出る道は見えていないのです。

正直、自分ではどうすればいいのか全くわかりませんでした。
無意識に考えるのを避けていたのかも知れません。

そんなある日、前事務所から仕事が来ました。
ごくたま~に仕事をもらっていましたが、この時は違いました。

アニメのレギュラーだったのです。

信じられませんでした。
クビなった人間になんで?
なんとクビになる前に自作して持って行っていたボイスサンプルを
事務所がしっかりと営業で活用してくれていたのです。

それがクビになってずいぶん経ったこの時、仕事に繋がったのです

APHでは、
仕組みに沿ってやれば結果は出る
と言われます。
サンプルを作って持っていくのは、ありきたりでしたが仕組みに沿っていたのです。
まさかこんな形で結果が出るとは思ってもいませんでした。

そしてもう一つ。
自分をAPHに誘ってくれたTさんも
同じアニメに出演しました。

二人とも、APHのメンバーとして、同じ現場で、マイクの前に立ったのです。
本当に嬉しかった。

この仕事は自分の中でとても大きなものでした。
念願の初アニメレギュラー。
Tさんとの共演。
そして自分の力の無さ。

APHで稽古し始めたとは言え、まだまだ小さな変化です。
実力が追いつかなかった。
それを痛感した現場でもありました。

毎回毎回、自分の理想と現実のギャップに打ちのめされました。
楽しかったけど、苦しかった。

APHで稽古を始め、少しずつ変化して、本当の実力というものを少しだけ理解した事で
自分の力の無さも感じられるようになったのです。
前事務所にいた頃の「自分はできる!!︎」という勘違いから抜け出し始めました。

このアニメレギュラーが終わった後、
「前いた事務所に御百度参りをするといい」
と代表に言われました。

耳を疑いました。
クビになってかなり経っていたのですが、
まだちょこちょこと前の事務所から仕事をもらっていました。
アニメレギュラーまで来ました。

しかしクビになってから、「自分から」事務所に連絡をした事はありませんでした。
ましてや事務所に顔を出すなんて事はできないと思っていたのです。

しかし代表は、
「まだ仕事を振ってくるという事は戻れる望みがゼロではない」
「他を探すにしても、前の事務所との関係を中途半端なままで次に気持ちを切り替えられるのか?」

「白黒ハッキリつけて来い!!︎」

とても痛い所を突かれました。

事務所をクビになって終わりかと思っていたら、少し仕事をもらえる。
自分は「いつか事務所に戻れるかも?」という希望を抱いていました。
しかし自分から言う勇気はない。
もし戻れないとハッキリわかったら?
怖くてできませんでした。

それでも、いつか、頑張っていれば、いつか。
そう考えていました。

それを「自分から」ハッキリさせに行く。
今までほとんどしてこなかった事です。
なんとなく、流れで、結論を自分でハッキリ出す事をしてこなかった。
避けてきました。
そうとう追い詰められないとできない。

そして追い詰められている事にも気付けない。

代表から、
お前はもうとっくに追い詰められている。
自分でしっかりと結論を出して来い。
そう言われたのです。

恐ろしかった。
クビになる前に多少自分でやりましたが、
自分にとって、用もないのに事務所に顔を出すのは本当に苦痛でした。

なにをしていたらいいのかわからない。
事務所スタッフが仕事をしている中、自分はなにをしていたらいいのか?
全く分からずただ座っていた。
いづらくてしょうがなかった。

それを今度は、クビになった部外者という立場でやるのです。
ハッキリ言ってやりたくなかった。

でも、
「中途半端なままで次に気持ちを切り替えられるのか?」
これは本当にその通りでした。

大失敗をしてクビになって最寄駅に着くだけで苦しくなる事務所に行きたくない。
しかし、前の事務所に怯えたまま次に行く事もできない。
やりたくなかったけど、やらなければいけないと思いました。

自分の失敗と向き合わずに前に進む事はできないのです。

ここからもう一度、声優として仕事をするために
APHにある「仕組み」に沿って行動するのです。

「プロになるまでの全て!」Yさん編 記事一覧

「プロになるまでの全て!」Yさん編10

APHに入り、稽古に参加するようになりました。
自分は土曜クラス・ボイスセッションのみ。

とにかく声が細くて弱いのを直したかったのと、
土日両方のフルクラス分の月謝が払えなかったからです。

初めから
APHの稽古は、他の所とは違いました。

声 が 出 せ な い !!

APHのボイスの初級では、
喋るために使う部分を徹底的に知り、そこを徹底的に鍛えます。
独自の方法で。

いわゆる「筋トレ」は一切ありません。

衝撃的でした。
普通、腹筋を数種類・背筋・スクワット・声出し、などでしょうか。
どれも一人10回数えながら400回とかやってました。
今から考えると、よくやってたなと自分で驚きます。
それらが全く存在しません。

声を出さず、ブレスを鍛えるのです。
これが辛かった。
何が辛いかと言うと「声が出せない事」です。
ずっとブレスを鍛える。

フラストレーションが溜まりました。
声を出したくて仕方がない。
仰向けに寝てずっとブレス。
となりの部屋で、他のメンバーが声を出している。
ほんの一文字、「あ」とか「か」とかですが、
部屋の響き、音の違いを確かめながら声を出している。

悔しかった。
声が出したい。
「声優」という仕事は声を出さないと存在できません。
代表から説明されて理由は理解できました。
でも気持ちが収まらない。

早く声が出したい。
早く声が出したい。
しかし今の自分ではちゃんとした音は出せない。
だから今は我慢だ。
ブレスを鍛えるんだ。

でも全く知らなかった稽古法のため、
これで本当に効果があるのか確信がありませんでした。

毎週毎週くやしくてしょうがなかった。
そして不安でした。

音を出せるようになるまでに、段階的にテストがあるのですが
声が出したいので死ぬほど無理して受けてました。

しかし、
「無理して苦しそうだからダメだね」
で終わりです。
まあ当然です。
無理してやってもダメなんです。
それでは現場で使えない。

さらに勝手に間違った稽古をして悪いクセを付けないよう、
初めは自宅での稽古も禁止されていました。
これもフラストレーションが溜まりました。

なので基礎ではなく、セリフやナレーションを家で練習していました。
練習とは言え声を出せる事がこんなに嬉しいと思った事はありませんでした。

この頃の自分はまだまだ不安定で、
APHのセッションをちょこちょこ休んでいました。
体調を崩すことが多かったのですが、
声が出せない事で不満が溜まった事や、
声優としての未来が全く見えない事に対する不安からでした。

要は、仮病です。
当時は本当に体調が悪いと思ってたんです。
今考えるとただ気持ちが沈んでいただけでした。

すいません。

そうして数ヶ月後
ようやく初めの段階をクリアし、セッションで声を出せるようになりました。

本当に嬉しかった。

そして

自分が変化している事に気付いたのです。

声の質が、実感できるくらい変わった。
前より大きな声が出るようになった。
細くて高い音だったのが、落ち着いた力強い音が少し出るようになった。

家で試せなかったので、自分が変化していた事に気付かなかったのです。

たった数ヶ月。
声も出さず、ずっとブレス、ブレス、ブレス。
やっている時はとにかくもどかしくて、
ほかのメンバーが羨ましかった。

それを超えた先に、自分が欲しかった物があったのです。

ここからAPHに対する自分の姿勢が変わっていきました。
言われた通りにやると、結果が出る。
それを実感し始めたのです。
がぜんヤル気が出てきました。

後々、自分をAPHに誘ってくれたTさんに言われたのですが
「結果が出るのはわかってたから、お前を誘うのが怖かった。
実力を抜かれたからどうしようと悩んだ。」
今ならTさんの気持ちがわかります。
それに変なヤツを連れてきてAPHに迷惑をかけ、自分自身の立場を悪くするかもしれません。

それでもTさんは誘ってくれました。
「このまま終わるのは、もったいないと思ったから」
そう言ってくれました。

嬉しかった。
養成所や事務所でも仲良くはしていましたが、
そこまで深い親交があったわけではありませんでした。
養成所の同期、普通の友達くらいでした。

そんな自分を「もったいないから」という理由で、APHに誘ってくれたTさんは
声優としての自分の命の恩人です。

本当に有難う。

Tさんが誘ってくれたAPHで
自分が欲しかったものを
少しずつ
APHの仕組みの稽古を自分自身でやる事で
手に入れる事ができるようになりました。

面接で代表の言葉から感じた、
「確信」と「実感」
それを自分でも少しずつ感じ始めたのです。

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「プロになるまでの全て!」Yさん編09

Tさんに紹介された

APH、「アクターズ・プレイ・ハウス」

どこにも行く宛てのなかった自分は興味を持ち、見学してみる事にしました。

当時のAPHは、小さなビルの地下にあり表に看板が出してありました。
地下への階段を降りるといくつかの部屋に分かれていて、その一つでまず面接をしました。

正直な所、特に何かを期待した訳ではありません。
どこにも宛てがなかったのでとにかく何かをしていたかった。
しかしおかしな所には行きたくない。
仕事につながりもしないのにお金を払いたくなかった。

参加した所がことごとくうまく行かなかった事で初めて、
「世の中にはうさん臭い所が沢山ある」
ということを学んだのです。

そのため興味は持ったものの、かなり疑ってもいました。

初めて代表にお会いした時の印象は、
ちょっと書きづらいですが
「怖かった」
です。

見た目がどうとかではなく、
事務所にいた時にお会いした大ベテラン声優と同じで
雰囲気が、「オーラ」とでもいうのでしょうか、
それが一般の人とは明らかに大きく違ったからです。

普段接している人達とは全く違うその雰囲気に、かなりビビりました。
自分が人見知りだったせいもありますが。

壁際にホワイトボード、その横に代表が座り、
その前に自分が座りました。

「初めまして」

挨拶された時、その音圧と雰囲気にとても緊張したのを覚えています。

後々になって他の人の面接を見ていて、
代表は特に意識的に音圧を出していなかった事がわかりました。
むしろ抑えていた。
ただ面接に来た人に真摯に対応していただけでした。

しかし当時の自分にとってはとても迫力があったのです。
今もです。

感じた迫力とは裏腹に、団体についてとても穏やかに丁寧に話して下さいました。

そこでいくらか緊張がほぐれ、
自分が持ってきた芸歴書を見ながら質問されました。

それに答えながら、
自分がどういう経緯でここに来たか、
仕事で失敗して事務所をクビになり、
なんとかしようとアレコレやってみたけど何一つ上手くいかなかった事を話しました。

そして稽古では、Tさんが言っていたように
ボイスの技術、演技の技術、その「仕組み」を教えるのだと言われました。
APHでの初級のボイス技術の説明は、
自分にとってとても分かりやすく
そしてとても正しいと思えるものでした。

当時の自分のレベルで技術が正しいかなど判断できるわけはありません。

しかし今まで通ったワークショップでは、
筋トレや発声を延々とやるだけでした。
腹筋400回!!︎て感じです。
よくある当たり前のトレーニングです。

APHでは、
もっと専門的に、もっと具体的に、どこをどう鍛えて、どう使うのか?
それを教えていると言うのです。

その説明はAPHで教える技術の初級編。
しかもほんの触りだけだったのですが、
「とても説得力があり理にかなっている」
自分にはそう感じられたのです。

だいたいのワークショップでは、
「じゃあこれから稽古して頑張りましょう」
などと言われるのですがAPHは違いました。

そこから、
「自分の精神状態がどうなっているか?」
という説明が始まったのです。

今の自分には、
過去の失敗が汚れた重りのようになって
こびり付いていて本来の力が発揮できていない。
そのこびり付いた重り。
過去の失敗と向き合ってその重りを取り除き、
本来の自分の力、想いを出せるようにする必要がある、と。

文字にすると

大変うさん臭い。

すいません。

しかしうさん臭いと感じながらも、
説明されたその内容は、まさに今の自分の状態そのままだと思えた。

今までいろいろなワークショップでいろいろなトレーニングの説明をされました。
そのどれも間違っているとは思わなかった。
でも「これだ!!︎」という確信も感じられなかった。
霧のようにぼやけて、手応えも実感もなかった。
よく分からない事を分からないままやっていた。
だから不安で仕方なかった。

代表の説明には、
技術についても、精神状態についても「確信」と「実感」がありました。
今はこういう状態で、
ここが間違っていて、
こう直して鍛えればこうなる
という、とても具体的で現実的な説明でした。
それが自分にも感じられた。

そして、
「いろいろやったけど何が正しいのか、どうしたら良いかもわからない」
自分の中にあったどうしようもないこの気持ちをそのまま言い当てられました。

急に涙が出てきました。

人前であんなに大泣きしたのは小学校以来でした。
泣きながら、
今まで通ったワークショップではどうしても上手くいく気がしなかった。
でも何かをやっていないと不安でしょうがなかった。
やっている事に全く自信が持てず迷ってばかりだった。
諦めようかと思ったけど、どうしても諦められなかった。
と、自分が今まで思った事を吐き出していました。

自分でも驚くくらい泣きました。

興味が湧いたのでちょっと話を聞いてみて、
良かったらやろうかな?位のつもりだったのが
いつの間にやら自分の思いを全て吐き出しながら大泣きする事になるとは
全く想像していませんでした。

自分は、
「このAPHで頑張ってみよう」
そう決めました。

事務所をクビになった。
その分岐点になった自分の判断。

Tさんのお陰でたどり着いたAPH。
自分の人生の中で、このAPHに入るという判断は、
一番大きくて一番重要な分岐点になりました。

APHの稽古を見学した帰り。
当時のメンバーの一人に
「いつから来るの?来週?」
と聞かれとても困りました。

そう、

金 が な か っ た の で す。

月謝と入会金が払えない。

入りたくても入れない。

ちゃんとバイトはしていましたが
借金の返済や今までのワークショップ代で貯金など無く、
すぐには払えなかった。
自分が実際にAPHに入るのは二ヶ月後になりました。
頑張ってバイトしました。

「プロになるまでの全て!」Yさん編 記事一覧

「プロになるまでの全て!」Yさん編08

事務所をクビになり劇団も辞め、
ただ生きるためにバイトする生活にも嫌気がさして廃人になっていたのですが
さすがに長くは続きません。

バイトをしてないのでお金がありません。
自分は借金をして食いつなぎました。
そしてSの通っていた専門学校の講師の方がやっていたワークショップに行き始めました。

月2000円というほぼ場所代だけだった事と、
何かをしていないと東京にいる理由がなくなってしまうのが怖かったのです。

そこで何とか芝居に関わり、
あてもなく何かを何とかしようとしました。
本当に何も声優としての仕事につながる道が見えなかったのです。

アマチュアに毛が生えたような所でしたが、
ワークショップ自体は楽しく、やっている気にはなれました。
そこで少し気力が戻り始めます。
しかし先は真っ暗なままです。
ここがプロの仕事につながらない事は当時の自分でもわかっていました。
でもどうすればいいかもわからない。
本当に迷走した時期でした。

そんな時、クビになったはずの事務所から電話が来ました。

ビクビクしながら話を聴くと
何と仕事の連絡でした。

どういう事だろう?
自分はクビになっているのに?
混乱しました。

後でわかったのですが、
自社にイメージに合う役者がいない、ギャラが安いなどの理由で
所属していない人に回す事もあるそうです。
それでもかなり特殊な状況です。

自分は「もしかしたら戻れるかも」と期待しました。
浅はかでしたね。
しかしこれも気力を取り戻す事につながりました。
ようやくバイトをまともにするようになりました。

そして思い付いた事をあれこれやっていました。
Sに紹介してもらった案内係のバイトとコンビニを掛け持ちしたり、
ワークショップで知り合った人が
アニメのディレクターの書く脚本で舞台をやるというので参加したり、
知り合いが自主制作でドラマCDを作るというので参加したり。

全部上手くいきませんでした。

バイトは無理な組み方をしたせいで、次のバイトに遅刻したり、
出勤日を間違えたりしてクビになりました。
アニメディレクターの舞台は、脚本が全く上がって来ず
主催の人がノイローゼになり企画ごとなくなりました。
自主制作ドラマCDも脚本でもめてこれも企画ごとなくなりました。

精神的にも不安定だったのか、
家で気晴らしにゲームをしてもイライラしてゲーム機に八つ当たりしてました。
とあるゲーム機を3台ほど壊しました。
コントローラーを2個。
別のゲーム機を1台。
散財しました。

アパートに引きこもっていた時期よりはマシでしたが、
やる事全て上手くいかず全く前に進めませんでした。

クビになった事務所からもらった仕事に行った時、
収録の合間にアパートの管理会社から家賃の催促の電話が来たりもしました。
その日の収録は内心地獄でした。

家賃を払わないと保証人に連絡が行きます。
親です。
バイトもしてないので借金が膨らみ家賃を半年ほど滞納したところでバレました。
電話口でそれはもうすごい剣幕で怒られました。

当然、「実家に帰ってこい」と言われました。

でも、それでも帰りたくなかった。
諦める事ができませんでした。

当時の自分は、この気持ちが
「本当にやりたいから」なのか
「ただ意地をはっている」のか
「今さら諦めると言えない」からなのか
わかりませんでした。

でもどうしても諦めて帰るという選択ができなかった。
親から、滞納分の家賃に加えて仕送りまでもらい
まともな人間なら諦めて実家に帰っていたのではないかと思います。

本当になぜ諦められないのかわからなかった。

とにかく知り合った人にいろいろ聞いてワークショップ巡りをしました。
5、6個くらいは行ったでしょうか。

そして元ディレクターのやっているというワークショップを見つけ通いました。
そこには少しだけ仕事をしている人もいて何かが見つかりそうな気がしたのです。

しかしその元ディレクターの方は大変高齢で、
半年ほどで入院されワークショップはなくなりました。
元ディレクターのお見舞いに行った帰りに、
あてがなくなり何も考えられなくなって動揺したのを覚えています。

そんな時にTさんからメールが来ました。
Tさんはクビになった事務所の養成所で知り合い、
Tさんも所属になり仲良くなりました。
しかし自分がクビになってから連絡を取らなくなりずいぶん経っていました。

内容は、
「あのゲームのキャラクター。声優が変わったらしいよ。」
でした。

なんでこんな事を連絡してきたのかとても不思議に思いました。
とりあえず
「本当に?残念だね。」
と返しました。

そこからまた数ヶ月連絡はありませんでした。
Tさんからのメールの事など忘れて
自分は何とかバイトをしながらワークショップを探していました。

するとまたTさんからメールが来ました。
「今どうしてる?久しぶりに合わないか?」
池袋で会う事になりました。
やる事全てが上手くいかず気晴らしがしたかったのです。

久しぶりに会ったTさんは以前と同じように気楽に話してくれたので、
自分もクビになってからの事を全て話しました。
何をやっても上手くいかず、どこか通える所を探していると。
するとTさんは
「自分が今通っているワークショップがある。それに来ないか?」
と言ったのです。

養成所時代のTさんは正直あまり印象に残らない人でした。
バイトが忙しくすぐに帰っていましたし、
Tさんの芝居は、当時の自分にとって特に記憶に残らないくらいでした。

久しぶりに会ったTさんは「声」が違った。
一声で以前とは違うとわかるくらいに変化していました。
その変化に驚きました。
別人のようでした。

「所属になれたのはこのワークショップのおかげだ」
とまで、そのTさんが言うのです。
ワークショップ巡りをしていた自分は興味を持ちました。
「そこは本質を教えてくれるところだ」
Tさんはザッと説明をした後、
「ゲームセンターで遊んで行こう」
と言うので一緒にメダルゲームをしました。

外宇宙生命体を題材にしたもので、
Tさんから聞いた攻略法を使い初心者の自分はジャックポットを当てました。
1500枚くらいののメダルを獲得して、
久しぶりに楽しく遊ぶ事ができました。

そのTさんから紹介されたのが

A・P・H、アクターズプレイハウス

でした。

「プロになるまでの全て!」Yさん編 記事一覧

「プロになるまでの全て!」Yさん編07

そしてここから、さらに泥沼にはまって行くのです。

事務所をクビになった自分は、劇団の稽古とバイトしかやる事がありません。
しばらくは劇団で舞台に立ちましたがどうにも良くない。

劇団の座長が声優もやっていたため、
いわゆる声優事務所のように団員に仕事を斡旋しようと頑張っていました。
アテレコレッスンをやったり、
座長の伝手で小さなゲームの端役の声をやったり。
しかし当時の自分でもわかりましたが、

ダメなんです。

ここから発展する気がしない。

さらに目標を見失った事でモチベーションが下がり、
劇団のチケットノルマが苦しくなってきたのです。

小劇団は資金繰りが厳しい。

自分はもともと社交的ではない上に、
事務所をクビになり自信も失いました。
その状態で自分の舞台のチケットノルマを売り切る事は無理でした。

こんな自分の芝居を人に勧められなかった。

借金ができ、資金的にも精神的にも限界でした。

劇団を辞めました。

声優になるために上京してきたのにそれに関わる事を全て失いました。

ただ生活のためにバイトをするだけです。

ここからさらに自分は気力を失っていきました。
父親からの帰ってこいコールに耐えかね
事務所、劇団に続き家族からも離れようとしました。

しだいに父親からの電話を無視するようになりました。

ほんの一握りの、しかも自分の痛い所に触れない
この時の自分にとって「都合の良い人」とだけしか話さなくなりました。

負のスパイラルは止まりません。
自分はどんどん気力をなくし、バイトもサボり、
家賃や光熱費の支払いがとどこおるようになります。

一日中家で寝ていて食事もまともにとらず廃人のような状態でした。

クズです。

今は共に上を目指している、友人「S」
彼をたまに呼び出し愚痴をえんえんと聞かせ
挙句に飯をたかりました。

見事なクズです。

Sはよく自分を見捨てなかったな…
本当に良いヤツです!!︎

有難うS!!︎
今は頑張ってるよ!!︎

自分はどんどん身動きができなくなり腐っていきました。

しかし!!︎
自分は完全には死に絶えてはいなかったのです。

少しづつ

本当に少しづつ

立ち上がろうとし始めるのです。

周りの力を借りながら。

「プロになるまでの全て!」Yさん編 記事一覧

「プロになるまでの全て!」Yさん編06

多少実力が上がってきても結果を出せない。

怖くなっていきました。

現場に行く事が。
事務所に行く事が。
とにかく仕事に関わる人達に会うのが怖くなりました。

こんな自分を見られるのが嫌でした。

事務所に行こうとすると不安になりました。
事務所ビルのエレベーター前で足が止まりました。
事務所内に入っても極度の恐怖と緊張で
スタッフに話しかける事もできませんでした。
ただいただけで一時間もすると耐えきれず帰り、
その時間もどんどん短くなり
やがて事務所に顔を出す回数も減っていきました。

自分は劇団に逃げ道を求めました。
ここなら事務所の人はいない。
お芝居は楽しい。
実力をつける事はできる。

だから自分がここにいる事は間違っていない。
そう考えました。

これ自体は間違ってはいません。
ただし、現場から、事務所から逃げていなければ。

これだけではダメなのです。
失敗した現実から逃げているのですから。

物事は原因に直面しないと本当には解決できないのです。
仕事をナメて失敗した、
自分はプロとして通用しなかったという事実をちゃんと認めなければ。

父親からはずっと「帰ってこい」と言われ続けました。
「声優なんかで食べて行くのは不可能だ!!︎」と。
言葉がきつくなる事も今なら理解できます。

息子である自分の事が心配だったのです。

しかしこの時の自分には本当に辛い言葉でした。
両親が東京に自分の様子を身に来た時に舞台に招待したり、
何とか認めてもらおうとしました。

でも負のスパイラルにはまった自分には、
父親を納得させる事はできませんでした。

原因から逃げつつも何とか実力を付け現場に出ようと自分は足掻きました。

そしてようやく巡ってきた現場でまたくだらない失敗をするのです。

心が折れました。

失敗を繰り返し続けた自分は、
とうとう事務所に顔を出さなくなりました。

完全に行かなくなったのです。

仕事がない上に顔を出すのをやめれば、
事務所に行く理由が存在しなくなります。
一ヶ月に一度も行かない状態でした。

マネージャーや先輩からは、
「週に一回くらいは用事がなくても顔出しとけ」
と言われていました。
飲み会に誘ってくれたり、
メールや電話を下さったりと心配してくれる方々がいたのです。

このままではマズイ、と教えて下さっていたのです。

本当に有難いことです。

しかし怖くて怖くて行けなかった。
いや行かなかった。

そして事務所に行かなくなってだいぶ経ったある日

ふと「事務所に顔を出そうか…」と思う日がありました。
「もうずいぶん顔を出していない。」
「しかし劇団の稽古があるし…」
自分は行くのをやめました。

逃げたのです。
分岐点でした。

劇団の稽古の帰り
ふと携帯を見ると事務所からの着信履歴があり
留守電にメッセージがありました。

嫌な予感がしました。
というよりわかっていたのだと思います。

内容は 今月末でクビ でした。

劇団の座長に勤めて明るく話した事を覚えています。
そしてホッとしたのを覚えています。
もう苦しい思いをしなくて済むと。

こうして自分は事務所をクビになりました。

普通クビになると事務所で最後に挨拶したり、
書類を書いたりと何かしらあると思うのですが正直全く覚えていません。
事務所に行ったかな…?

覚えてない…

と思ったのですが文章書いてたら思い出しました。
行きましたね。

で最後に、
「留守電にクビとメッセージを入れた日に事務所に来てたら残すつもりだった」
と言われました。

まさに分岐点でした。

「プロになるまでの全て!」Yさん編 記事一覧

「プロになるまでの全て!」Yさん編05

チャンスは来るのに掴めずに失敗する。

自分はこれを繰り返しました。
内容は今思えばすぐに直せたり、フォローできる簡単なことばかりです。

・自分の役を間違えてチェックしていた
・緊張のあまり前日眠れず現場で居眠り
・台本にコーヒーをこぼし、それを言い出せず本番でノイズをたてる
などです。

役を間違えてもセリフは一言しかなかったし現場でやれない事はない。
眠いなら立ってればいいし、
台本汚したら素直に言って変えてもらいましょう。
当然怒られますが本番で迷惑かけるより
周りにとっても自分にとっても100倍マシです。

でも言えなかった。
隠す事ができないほどの事をしているのに、
自分のミス、弱さを自分から言えませんでした。

さすがに危機感を覚え、
先輩主催のワークショップに参加したり
外部の劇団に参加して舞台に立ったりと何とか自分を立て直そうとしました。

この行動自体は自分にとってとても良い経験になりました。

声優は役者の一部とよく言われます。
ここまでの自分は「お芝居」というより
「声優」に意識が向いていて、
この二つが同じものの違う側面である事を全く理解していませんでした。

ここから少しずつ「お芝居」の面白さを感じ始めました。

そして

ここで後々まで自分に大きな影響を与えるある人物

「Tさん」

に出会っていたのです。

Tさんは養成所の同期なのですが、その後Tさんも所属になり同僚になりました。
正直、養成所の時はこれといって印象に残っていません。

所属になり先輩のワークショップでも一緒に稽古をして、
ここでいろいろと話すようになりました。

これは自分にとって奇跡の出会いでした。

しかしTさんの存在が自分に影響を与えるのはもっと後の事です。

この時点での自分は、
とにかくいろいろやって少しでも実力をつけ自信を取り戻そうとしていました。

しかし失敗を繰り返す。

お芝居の実力は確実に付いていきました。
先輩からも褒められました。
それでも失敗する。
お芝居が原因ではないからです。

こういった失敗から現場で、
「自分は間違っているのではないか?」
「何か失敗するのではないか?」
と疑問や不安に囚われるようになりました。

この当時の自分には「理想の自分」がありました。
小さい仕事をもらってバーンと決めて次に大きな役で大抜擢!!︎
みたいな大ざっぱで浅い妄想です。

それは頑張るエネルギーにもなりましたが、
失敗すると「こんなはずはない」と現実逃避するエネルギーにもなったように思います。

それまで前に進むのに使っていたエネルギーで
全力で後退しだすのですからかなりの勢いです。
あっという間に自分は自信をなくし、
やればやるほど不安になっていきました。

原因は自分の間違った考え方なのです。
専門を卒業してすぐに所属になった自分は
「仕事をナメていた」のだと思います。

それに自分が「できない」事を認めたくなかった。
自分は芝居ができる、できていると勘違いしていたのです。
だからもう現場でバンバン仕事ができる!!︎
もう自分はプロだ!!︎
と思い込んでいました。

なのに失敗する。
こんなはずはない。
自分はできるんだ。
これはたまたまだ。
失敗した事実を認める事ができませんでした。

だから失敗は止まりませんでした。

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