「プロになるまでの全て!」Yさん編10

APHに入り、稽古に参加するようになりました。
自分は土曜クラス・ボイスセッションのみ。

とにかく声が細くて弱いのを直したかったのと、
土日両方のフルクラス分の月謝が払えなかったからです。

初めから
APHの稽古は、他の所とは違いました。

声 が 出 せ な い !!

APHのボイスの初級では、
喋るために使う部分を徹底的に知り、そこを徹底的に鍛えます。
独自の方法で。

いわゆる「筋トレ」は一切ありません。

衝撃的でした。
普通、腹筋を数種類・背筋・スクワット・声出し、などでしょうか。
どれも一人10回数えながら400回とかやってました。
今から考えると、よくやってたなと自分で驚きます。
それらが全く存在しません。

声を出さず、ブレスを鍛えるのです。
これが辛かった。
何が辛いかと言うと「声が出せない事」です。
ずっとブレスを鍛える。

フラストレーションが溜まりました。
声を出したくて仕方がない。
仰向けに寝てずっとブレス。
となりの部屋で、他のメンバーが声を出している。
ほんの一文字、「あ」とか「か」とかですが、
部屋の響き、音の違いを確かめながら声を出している。

悔しかった。
声が出したい。
「声優」という仕事は声を出さないと存在できません。
代表から説明されて理由は理解できました。
でも気持ちが収まらない。

早く声が出したい。
早く声が出したい。
しかし今の自分ではちゃんとした音は出せない。
だから今は我慢だ。
ブレスを鍛えるんだ。

でも全く知らなかった稽古法のため、
これで本当に効果があるのか確信がありませんでした。

毎週毎週くやしくてしょうがなかった。
そして不安でした。

音を出せるようになるまでに、段階的にテストがあるのですが
声が出したいので死ぬほど無理して受けてました。

しかし、
「無理して苦しそうだからダメだね」
で終わりです。
まあ当然です。
無理してやってもダメなんです。
それでは現場で使えない。

さらに勝手に間違った稽古をして悪いクセを付けないよう、
初めは自宅での稽古も禁止されていました。
これもフラストレーションが溜まりました。

なので基礎ではなく、セリフやナレーションを家で練習していました。
練習とは言え声を出せる事がこんなに嬉しいと思った事はありませんでした。

この頃の自分はまだまだ不安定で、
APHのセッションをちょこちょこ休んでいました。
体調を崩すことが多かったのですが、
声が出せない事で不満が溜まった事や、
声優としての未来が全く見えない事に対する不安からでした。

要は、仮病です。
当時は本当に体調が悪いと思ってたんです。
今考えるとただ気持ちが沈んでいただけでした。

すいません。

そうして数ヶ月後
ようやく初めの段階をクリアし、セッションで声を出せるようになりました。

本当に嬉しかった。

そして

自分が変化している事に気付いたのです。

声の質が、実感できるくらい変わった。
前より大きな声が出るようになった。
細くて高い音だったのが、落ち着いた力強い音が少し出るようになった。

家で試せなかったので、自分が変化していた事に気付かなかったのです。

たった数ヶ月。
声も出さず、ずっとブレス、ブレス、ブレス。
やっている時はとにかくもどかしくて、
ほかのメンバーが羨ましかった。

それを超えた先に、自分が欲しかった物があったのです。

ここからAPHに対する自分の姿勢が変わっていきました。
言われた通りにやると、結果が出る。
それを実感し始めたのです。
がぜんヤル気が出てきました。

後々、自分をAPHに誘ってくれたTさんに言われたのですが
「結果が出るのはわかってたから、お前を誘うのが怖かった。
実力を抜かれたからどうしようと悩んだ。」
今ならTさんの気持ちがわかります。
それに変なヤツを連れてきてAPHに迷惑をかけ、自分自身の立場を悪くするかもしれません。

それでもTさんは誘ってくれました。
「このまま終わるのは、もったいないと思ったから」
そう言ってくれました。

嬉しかった。
養成所や事務所でも仲良くはしていましたが、
そこまで深い親交があったわけではありませんでした。
養成所の同期、普通の友達くらいでした。

そんな自分を「もったいないから」という理由で、APHに誘ってくれたTさんは
声優としての自分の命の恩人です。

本当に有難う。

Tさんが誘ってくれたAPHで
自分が欲しかったものを
少しずつ
APHの仕組みの稽古を自分自身でやる事で
手に入れる事ができるようになりました。

面接で代表の言葉から感じた、
「確信」と「実感」
それを自分でも少しずつ感じ始めたのです。

「プロになるまでの全て!」Yさん編 記事一覧

「プロになるまでの全て!」Yさん編09

Tさんに紹介された

APH、「アクターズ・プレイ・ハウス」

どこにも行く宛てのなかった自分は興味を持ち、見学してみる事にしました。

当時のAPHは、小さなビルの地下にあり表に看板が出してありました。
地下への階段を降りるといくつかの部屋に分かれていて、その一つでまず面接をしました。

正直な所、特に何かを期待した訳ではありません。
どこにも宛てがなかったのでとにかく何かをしていたかった。
しかしおかしな所には行きたくない。
仕事につながりもしないのにお金を払いたくなかった。

参加した所がことごとくうまく行かなかった事で初めて、
「世の中にはうさん臭い所が沢山ある」
ということを学んだのです。

そのため興味は持ったものの、かなり疑ってもいました。

初めて代表にお会いした時の印象は、
ちょっと書きづらいですが
「怖かった」
です。

見た目がどうとかではなく、
事務所にいた時にお会いした大ベテラン声優と同じで
雰囲気が、「オーラ」とでもいうのでしょうか、
それが一般の人とは明らかに大きく違ったからです。

普段接している人達とは全く違うその雰囲気に、かなりビビりました。
自分が人見知りだったせいもありますが。

壁際にホワイトボード、その横に代表が座り、
その前に自分が座りました。

「初めまして」

挨拶された時、その音圧と雰囲気にとても緊張したのを覚えています。

後々になって他の人の面接を見ていて、
代表は特に意識的に音圧を出していなかった事がわかりました。
むしろ抑えていた。
ただ面接に来た人に真摯に対応していただけでした。

しかし当時の自分にとってはとても迫力があったのです。
今もです。

感じた迫力とは裏腹に、団体についてとても穏やかに丁寧に話して下さいました。

そこでいくらか緊張がほぐれ、
自分が持ってきた芸歴書を見ながら質問されました。

それに答えながら、
自分がどういう経緯でここに来たか、
仕事で失敗して事務所をクビになり、
なんとかしようとアレコレやってみたけど何一つ上手くいかなかった事を話しました。

そして稽古では、Tさんが言っていたように
ボイスの技術、演技の技術、その「仕組み」を教えるのだと言われました。
APHでの初級のボイス技術の説明は、
自分にとってとても分かりやすく
そしてとても正しいと思えるものでした。

当時の自分のレベルで技術が正しいかなど判断できるわけはありません。

しかし今まで通ったワークショップでは、
筋トレや発声を延々とやるだけでした。
腹筋400回!!︎て感じです。
よくある当たり前のトレーニングです。

APHでは、
もっと専門的に、もっと具体的に、どこをどう鍛えて、どう使うのか?
それを教えていると言うのです。

その説明はAPHで教える技術の初級編。
しかもほんの触りだけだったのですが、
「とても説得力があり理にかなっている」
自分にはそう感じられたのです。

だいたいのワークショップでは、
「じゃあこれから稽古して頑張りましょう」
などと言われるのですがAPHは違いました。

そこから、
「自分の精神状態がどうなっているか?」
という説明が始まったのです。

今の自分には、
過去の失敗が汚れた重りのようになって
こびり付いていて本来の力が発揮できていない。
そのこびり付いた重り。
過去の失敗と向き合ってその重りを取り除き、
本来の自分の力、想いを出せるようにする必要がある、と。

文字にすると

大変うさん臭い。

すいません。

しかしうさん臭いと感じながらも、
説明されたその内容は、まさに今の自分の状態そのままだと思えた。

今までいろいろなワークショップでいろいろなトレーニングの説明をされました。
そのどれも間違っているとは思わなかった。
でも「これだ!!︎」という確信も感じられなかった。
霧のようにぼやけて、手応えも実感もなかった。
よく分からない事を分からないままやっていた。
だから不安で仕方なかった。

代表の説明には、
技術についても、精神状態についても「確信」と「実感」がありました。
今はこういう状態で、
ここが間違っていて、
こう直して鍛えればこうなる
という、とても具体的で現実的な説明でした。
それが自分にも感じられた。

そして、
「いろいろやったけど何が正しいのか、どうしたら良いかもわからない」
自分の中にあったどうしようもないこの気持ちをそのまま言い当てられました。

急に涙が出てきました。

人前であんなに大泣きしたのは小学校以来でした。
泣きながら、
今まで通ったワークショップではどうしても上手くいく気がしなかった。
でも何かをやっていないと不安でしょうがなかった。
やっている事に全く自信が持てず迷ってばかりだった。
諦めようかと思ったけど、どうしても諦められなかった。
と、自分が今まで思った事を吐き出していました。

自分でも驚くくらい泣きました。

興味が湧いたのでちょっと話を聞いてみて、
良かったらやろうかな?位のつもりだったのが
いつの間にやら自分の思いを全て吐き出しながら大泣きする事になるとは
全く想像していませんでした。

自分は、
「このAPHで頑張ってみよう」
そう決めました。

事務所をクビになった。
その分岐点になった自分の判断。

Tさんのお陰でたどり着いたAPH。
自分の人生の中で、このAPHに入るという判断は、
一番大きくて一番重要な分岐点になりました。

APHの稽古を見学した帰り。
当時のメンバーの一人に
「いつから来るの?来週?」
と聞かれとても困りました。

そう、

金 が な か っ た の で す。

月謝と入会金が払えない。

入りたくても入れない。

ちゃんとバイトはしていましたが
借金の返済や今までのワークショップ代で貯金など無く、
すぐには払えなかった。
自分が実際にAPHに入るのは二ヶ月後になりました。
頑張ってバイトしました。

「プロになるまでの全て!」Yさん編 記事一覧

「プロになるまでの全て!」Yさん編08

事務所をクビになり劇団も辞め、
ただ生きるためにバイトする生活にも嫌気がさして廃人になっていたのですが
さすがに長くは続きません。

バイトをしてないのでお金がありません。
自分は借金をして食いつなぎました。
そしてSの通っていた専門学校の講師の方がやっていたワークショップに行き始めました。

月2000円というほぼ場所代だけだった事と、
何かをしていないと東京にいる理由がなくなってしまうのが怖かったのです。

そこで何とか芝居に関わり、
あてもなく何かを何とかしようとしました。
本当に何も声優としての仕事につながる道が見えなかったのです。

アマチュアに毛が生えたような所でしたが、
ワークショップ自体は楽しく、やっている気にはなれました。
そこで少し気力が戻り始めます。
しかし先は真っ暗なままです。
ここがプロの仕事につながらない事は当時の自分でもわかっていました。
でもどうすればいいかもわからない。
本当に迷走した時期でした。

そんな時、クビになったはずの事務所から電話が来ました。

ビクビクしながら話を聴くと
何と仕事の連絡でした。

どういう事だろう?
自分はクビになっているのに?
混乱しました。

後でわかったのですが、
自社にイメージに合う役者がいない、ギャラが安いなどの理由で
所属していない人に回す事もあるそうです。
それでもかなり特殊な状況です。

自分は「もしかしたら戻れるかも」と期待しました。
浅はかでしたね。
しかしこれも気力を取り戻す事につながりました。
ようやくバイトをまともにするようになりました。

そして思い付いた事をあれこれやっていました。
Sに紹介してもらった案内係のバイトとコンビニを掛け持ちしたり、
ワークショップで知り合った人が
アニメのディレクターの書く脚本で舞台をやるというので参加したり、
知り合いが自主制作でドラマCDを作るというので参加したり。

全部上手くいきませんでした。

バイトは無理な組み方をしたせいで、次のバイトに遅刻したり、
出勤日を間違えたりしてクビになりました。
アニメディレクターの舞台は、脚本が全く上がって来ず
主催の人がノイローゼになり企画ごとなくなりました。
自主制作ドラマCDも脚本でもめてこれも企画ごとなくなりました。

精神的にも不安定だったのか、
家で気晴らしにゲームをしてもイライラしてゲーム機に八つ当たりしてました。
とあるゲーム機を3台ほど壊しました。
コントローラーを2個。
別のゲーム機を1台。
散財しました。

アパートに引きこもっていた時期よりはマシでしたが、
やる事全て上手くいかず全く前に進めませんでした。

クビになった事務所からもらった仕事に行った時、
収録の合間にアパートの管理会社から家賃の催促の電話が来たりもしました。
その日の収録は内心地獄でした。

家賃を払わないと保証人に連絡が行きます。
親です。
バイトもしてないので借金が膨らみ家賃を半年ほど滞納したところでバレました。
電話口でそれはもうすごい剣幕で怒られました。

当然、「実家に帰ってこい」と言われました。

でも、それでも帰りたくなかった。
諦める事ができませんでした。

当時の自分は、この気持ちが
「本当にやりたいから」なのか
「ただ意地をはっている」のか
「今さら諦めると言えない」からなのか
わかりませんでした。

でもどうしても諦めて帰るという選択ができなかった。
親から、滞納分の家賃に加えて仕送りまでもらい
まともな人間なら諦めて実家に帰っていたのではないかと思います。

本当になぜ諦められないのかわからなかった。

とにかく知り合った人にいろいろ聞いてワークショップ巡りをしました。
5、6個くらいは行ったでしょうか。

そして元ディレクターのやっているというワークショップを見つけ通いました。
そこには少しだけ仕事をしている人もいて何かが見つかりそうな気がしたのです。

しかしその元ディレクターの方は大変高齢で、
半年ほどで入院されワークショップはなくなりました。
元ディレクターのお見舞いに行った帰りに、
あてがなくなり何も考えられなくなって動揺したのを覚えています。

そんな時にTさんからメールが来ました。
Tさんはクビになった事務所の養成所で知り合い、
Tさんも所属になり仲良くなりました。
しかし自分がクビになってから連絡を取らなくなりずいぶん経っていました。

内容は、
「あのゲームのキャラクター。声優が変わったらしいよ。」
でした。

なんでこんな事を連絡してきたのかとても不思議に思いました。
とりあえず
「本当に?残念だね。」
と返しました。

そこからまた数ヶ月連絡はありませんでした。
Tさんからのメールの事など忘れて
自分は何とかバイトをしながらワークショップを探していました。

するとまたTさんからメールが来ました。
「今どうしてる?久しぶりに合わないか?」
池袋で会う事になりました。
やる事全てが上手くいかず気晴らしがしたかったのです。

久しぶりに会ったTさんは以前と同じように気楽に話してくれたので、
自分もクビになってからの事を全て話しました。
何をやっても上手くいかず、どこか通える所を探していると。
するとTさんは
「自分が今通っているワークショップがある。それに来ないか?」
と言ったのです。

養成所時代のTさんは正直あまり印象に残らない人でした。
バイトが忙しくすぐに帰っていましたし、
Tさんの芝居は、当時の自分にとって特に記憶に残らないくらいでした。

久しぶりに会ったTさんは「声」が違った。
一声で以前とは違うとわかるくらいに変化していました。
その変化に驚きました。
別人のようでした。

「所属になれたのはこのワークショップのおかげだ」
とまで、そのTさんが言うのです。
ワークショップ巡りをしていた自分は興味を持ちました。
「そこは本質を教えてくれるところだ」
Tさんはザッと説明をした後、
「ゲームセンターで遊んで行こう」
と言うので一緒にメダルゲームをしました。

外宇宙生命体を題材にしたもので、
Tさんから聞いた攻略法を使い初心者の自分はジャックポットを当てました。
1500枚くらいののメダルを獲得して、
久しぶりに楽しく遊ぶ事ができました。

そのTさんから紹介されたのが

A・P・H、アクターズプレイハウス

でした。

「プロになるまでの全て!」Yさん編 記事一覧

「プロになるまでの全て!」Yさん編07

そしてここから、さらに泥沼にはまって行くのです。

事務所をクビになった自分は、劇団の稽古とバイトしかやる事がありません。
しばらくは劇団で舞台に立ちましたがどうにも良くない。

劇団の座長が声優もやっていたため、
いわゆる声優事務所のように団員に仕事を斡旋しようと頑張っていました。
アテレコレッスンをやったり、
座長の伝手で小さなゲームの端役の声をやったり。
しかし当時の自分でもわかりましたが、

ダメなんです。

ここから発展する気がしない。

さらに目標を見失った事でモチベーションが下がり、
劇団のチケットノルマが苦しくなってきたのです。

小劇団は資金繰りが厳しい。

自分はもともと社交的ではない上に、
事務所をクビになり自信も失いました。
その状態で自分の舞台のチケットノルマを売り切る事は無理でした。

こんな自分の芝居を人に勧められなかった。

借金ができ、資金的にも精神的にも限界でした。

劇団を辞めました。

声優になるために上京してきたのにそれに関わる事を全て失いました。

ただ生活のためにバイトをするだけです。

ここからさらに自分は気力を失っていきました。
父親からの帰ってこいコールに耐えかね
事務所、劇団に続き家族からも離れようとしました。

しだいに父親からの電話を無視するようになりました。

ほんの一握りの、しかも自分の痛い所に触れない
この時の自分にとって「都合の良い人」とだけしか話さなくなりました。

負のスパイラルは止まりません。
自分はどんどん気力をなくし、バイトもサボり、
家賃や光熱費の支払いがとどこおるようになります。

一日中家で寝ていて食事もまともにとらず廃人のような状態でした。

クズです。

今は共に上を目指している、友人「S」
彼をたまに呼び出し愚痴をえんえんと聞かせ
挙句に飯をたかりました。

見事なクズです。

Sはよく自分を見捨てなかったな…
本当に良いヤツです!!︎

有難うS!!︎
今は頑張ってるよ!!︎

自分はどんどん身動きができなくなり腐っていきました。

しかし!!︎
自分は完全には死に絶えてはいなかったのです。

少しづつ

本当に少しづつ

立ち上がろうとし始めるのです。

周りの力を借りながら。

「プロになるまでの全て!」Yさん編 記事一覧

「プロになるまでの全て!」Yさん編06

多少実力が上がってきても結果を出せない。

怖くなっていきました。

現場に行く事が。
事務所に行く事が。
とにかく仕事に関わる人達に会うのが怖くなりました。

こんな自分を見られるのが嫌でした。

事務所に行こうとすると不安になりました。
事務所ビルのエレベーター前で足が止まりました。
事務所内に入っても極度の恐怖と緊張で
スタッフに話しかける事もできませんでした。
ただいただけで一時間もすると耐えきれず帰り、
その時間もどんどん短くなり
やがて事務所に顔を出す回数も減っていきました。

自分は劇団に逃げ道を求めました。
ここなら事務所の人はいない。
お芝居は楽しい。
実力をつける事はできる。

だから自分がここにいる事は間違っていない。
そう考えました。

これ自体は間違ってはいません。
ただし、現場から、事務所から逃げていなければ。

これだけではダメなのです。
失敗した現実から逃げているのですから。

物事は原因に直面しないと本当には解決できないのです。
仕事をナメて失敗した、
自分はプロとして通用しなかったという事実をちゃんと認めなければ。

父親からはずっと「帰ってこい」と言われ続けました。
「声優なんかで食べて行くのは不可能だ!!︎」と。
言葉がきつくなる事も今なら理解できます。

息子である自分の事が心配だったのです。

しかしこの時の自分には本当に辛い言葉でした。
両親が東京に自分の様子を身に来た時に舞台に招待したり、
何とか認めてもらおうとしました。

でも負のスパイラルにはまった自分には、
父親を納得させる事はできませんでした。

原因から逃げつつも何とか実力を付け現場に出ようと自分は足掻きました。

そしてようやく巡ってきた現場でまたくだらない失敗をするのです。

心が折れました。

失敗を繰り返し続けた自分は、
とうとう事務所に顔を出さなくなりました。

完全に行かなくなったのです。

仕事がない上に顔を出すのをやめれば、
事務所に行く理由が存在しなくなります。
一ヶ月に一度も行かない状態でした。

マネージャーや先輩からは、
「週に一回くらいは用事がなくても顔出しとけ」
と言われていました。
飲み会に誘ってくれたり、
メールや電話を下さったりと心配してくれる方々がいたのです。

このままではマズイ、と教えて下さっていたのです。

本当に有難いことです。

しかし怖くて怖くて行けなかった。
いや行かなかった。

そして事務所に行かなくなってだいぶ経ったある日

ふと「事務所に顔を出そうか…」と思う日がありました。
「もうずいぶん顔を出していない。」
「しかし劇団の稽古があるし…」
自分は行くのをやめました。

逃げたのです。
分岐点でした。

劇団の稽古の帰り
ふと携帯を見ると事務所からの着信履歴があり
留守電にメッセージがありました。

嫌な予感がしました。
というよりわかっていたのだと思います。

内容は 今月末でクビ でした。

劇団の座長に勤めて明るく話した事を覚えています。
そしてホッとしたのを覚えています。
もう苦しい思いをしなくて済むと。

こうして自分は事務所をクビになりました。

普通クビになると事務所で最後に挨拶したり、
書類を書いたりと何かしらあると思うのですが正直全く覚えていません。
事務所に行ったかな…?

覚えてない…

と思ったのですが文章書いてたら思い出しました。
行きましたね。

で最後に、
「留守電にクビとメッセージを入れた日に事務所に来てたら残すつもりだった」
と言われました。

まさに分岐点でした。

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「プロになるまでの全て!」Yさん編05

チャンスは来るのに掴めずに失敗する。

自分はこれを繰り返しました。
内容は今思えばすぐに直せたり、フォローできる簡単なことばかりです。

・自分の役を間違えてチェックしていた
・緊張のあまり前日眠れず現場で居眠り
・台本にコーヒーをこぼし、それを言い出せず本番でノイズをたてる
などです。

役を間違えてもセリフは一言しかなかったし現場でやれない事はない。
眠いなら立ってればいいし、
台本汚したら素直に言って変えてもらいましょう。
当然怒られますが本番で迷惑かけるより
周りにとっても自分にとっても100倍マシです。

でも言えなかった。
隠す事ができないほどの事をしているのに、
自分のミス、弱さを自分から言えませんでした。

さすがに危機感を覚え、
先輩主催のワークショップに参加したり
外部の劇団に参加して舞台に立ったりと何とか自分を立て直そうとしました。

この行動自体は自分にとってとても良い経験になりました。

声優は役者の一部とよく言われます。
ここまでの自分は「お芝居」というより
「声優」に意識が向いていて、
この二つが同じものの違う側面である事を全く理解していませんでした。

ここから少しずつ「お芝居」の面白さを感じ始めました。

そして

ここで後々まで自分に大きな影響を与えるある人物

「Tさん」

に出会っていたのです。

Tさんは養成所の同期なのですが、その後Tさんも所属になり同僚になりました。
正直、養成所の時はこれといって印象に残っていません。

所属になり先輩のワークショップでも一緒に稽古をして、
ここでいろいろと話すようになりました。

これは自分にとって奇跡の出会いでした。

しかしTさんの存在が自分に影響を与えるのはもっと後の事です。

この時点での自分は、
とにかくいろいろやって少しでも実力をつけ自信を取り戻そうとしていました。

しかし失敗を繰り返す。

お芝居の実力は確実に付いていきました。
先輩からも褒められました。
それでも失敗する。
お芝居が原因ではないからです。

こういった失敗から現場で、
「自分は間違っているのではないか?」
「何か失敗するのではないか?」
と疑問や不安に囚われるようになりました。

この当時の自分には「理想の自分」がありました。
小さい仕事をもらってバーンと決めて次に大きな役で大抜擢!!︎
みたいな大ざっぱで浅い妄想です。

それは頑張るエネルギーにもなりましたが、
失敗すると「こんなはずはない」と現実逃避するエネルギーにもなったように思います。

それまで前に進むのに使っていたエネルギーで
全力で後退しだすのですからかなりの勢いです。
あっという間に自分は自信をなくし、
やればやるほど不安になっていきました。

原因は自分の間違った考え方なのです。
専門を卒業してすぐに所属になった自分は
「仕事をナメていた」のだと思います。

それに自分が「できない」事を認めたくなかった。
自分は芝居ができる、できていると勘違いしていたのです。
だからもう現場でバンバン仕事ができる!!︎
もう自分はプロだ!!︎
と思い込んでいました。

なのに失敗する。
こんなはずはない。
自分はできるんだ。
これはたまたまだ。
失敗した事実を認める事ができませんでした。

だから失敗は止まりませんでした。

「プロになるまでの全て!」Yさん編 記事一覧

「プロになるまでの全て!」Yさん編04

自分はとても単純で調子に乗りやすいのです。

プレッシャーに弱く失敗すると心がへし折れますが、
上手く行くとすぐに調子に乗るというのを
交互に繰り返し始めるのです。

というのも、調子に乗っている自分は必ずと言っていい程
変な所でミスをするのです!!︎

例えばスタジオの場所を時間前に確認して、
別の場所で時間を潰し、
いざスタジオに入る時間になって行こうとすると
場所を確認したのになぜか道に迷ったり

オーディションを受けに行って帰る時、
気に入られたので先方から
もう一度別のオーディションを受けて欲しいという連絡が事務所経由で来るも、
着信に気付かず連絡が遅れたり

いい結果の後に本当にあり得ないミスをしました。

これはちょっと気を付ければ防げた事です。
本当にくだらない。

しかしプロとして仕事をする以上
絶対にやってはいけないとても基本的な事です。

めちゃくちゃ怒られました。
当然ですね。
また当時の自分を殴りたくなってきました。
タイムマシンが欲しい。
今なら腰の入った良いパンチが打てそうです。

あの時、ほんの少し一般常識を身につければ
仕事は多分増えていったでしょう。
このあと起こる大惨事も当然なかった。
どうしていいか分からず五年間もふらふらする事もなかった
という愚痴が溢れてきます。

「プロ」として「仕事」をする以上、
社会人としての一般常識は当然必要です。

確かに昔は破天荒な役者がたくさんいて、
常識からかけ離れた行動を取ることも多かった。
しかしそれは、
それでもその人が必要になる程の腕があったからです。
あとそういう時代だった、というのもあるかもしれません。

自分はセンスがあったと思います。

でもプロの世界は
「センスがある人が集まっている」世界です。
プロになっている人はみんなセンスがあるのです。

だからその世界では、
自分のセンスはそれ程大したものではなかった。
センスはあって当たり前なのです。
当時はこんな当たり前の事が全く分からなかった。

自分はこうしてとても短い間に失敗と成功を繰り返しました。

自分でもこの変なサイクルにはまっている自覚はありました。
そして気を付けようとしていました。

しかしそれでも直せなかった。

事務所からの電話にすぐ出られるよう気を張って気を付けようとする。

しかし、待ち望んでいるのに一ヶ月くらい仕事の電話がないと
「仕事来ないな」
と、ふと気持ちが切れるのです。

その瞬間に電話が来る。

冗談でも何でもなく本当に気持ちが切れた瞬間に電話が来るのです。
それが何度もありました。

自分でも
「なぜこのタイミングで!?︎」
とパニックになる程のパターンになっていました。
苦しかった。

常識が身に付かず、事務所に迷惑をかけ続けました。
そろそろ当時の自分を◯ろしたくなってきました。

しかし!!︎
自分でも不思議ですが
こんな状態でもいざというチャンスの時、
良い結果が出てしまう。

大きいTVCMのオーディションに受かったり、
事務所が外画・アニメに進出するために
ディレクターワークショップを開けば
自分が真っ先に仕事をもらったり。

おかしなサイクルにハマりつつも家での練習は欠かさずやっていました。
こんな仕事がしたい!!︎と借りてきた映画を見ながら
セリフを真似したりする事自体が楽しかった。

だからまだどこか心の中に、
「自分はできるんだ!!︎」
という根拠のない自信が残っていたのでしょう。
この自信自体は必要なものだったのだと後々わかります。

しかし肝心な事が抜けていた。

失敗から学び、それを改善する
という事です。
それができれば、
その先に大きな成功が見えていたのです。

ですから自分は、
やはり失敗するべくして失敗するのです。

「プロになるまでの全て!」Yさん編 記事一覧

「プロになるまでの全て!」Yさん編03

事務所に所属し、プロ声優としての第一歩を踏み出しました!!︎

さっそく心が折れました!!︎

専門学校を卒業してすぐに、
コンテストで賞をもらった事務所に所属になりました。
当時にしても珍しく、その事務所には養成所がなかったため
いきなり正所属として入る事になりました。

とはいえ自分は専門を出ただけの素人です。
当然ナレーションや演技の技術を求められる仕事はできず、
いわゆる素人っぽさを求められる仕事をもらっていました。

なにせ本物の素人ですから。

それでもちゃんとギャラをもらえました。
1日バイトするより多くです。

今考えればかなり凄いことです。
事務所もある程度期待してくれていたのだと思います。

勘違いしましたね。
人生簡単じゃないか!!︎と。

しかしとあるCMのオーディションテープを事務所で録音した時、
衝撃的な事が起こりました。

ある先輩が、自分がやろうと思っていた事を
自分がやるよりもっと魅力的にやっていたのです。

自分が、こうしたいと考えた事が
自分が考えた以上のものになって
目の前に現れたのです。

ショックでした。

今考えれば当たり前の事です。
先輩が自分より上手いのは当たり前なんです。
それでも当時の自分は根拠のない自信があり、
自分の考えている事は最高だと本当に思っていたのです。

それが簡単に覆された瞬間でした。

結局オーディションは落ちました。
ここから自分は、自分のやる事に疑問を持つようになります。
プロという世界に入ってすぐに自分の力のなさを思い知る事になりました。

前よりもいろいろ考えて、家での練習に精を出すようになりました。

結果的にこのオーディションのお陰で自分はずいぶんましになったように思います。
自宅で録音出来るようにマイクを買い、
当時はカセットテープでしたが何度も何度も何度も録音し聞き直し
自分が納得するまでそれを繰り返し練習していました。

誰かに習ったわけでもないので、
テレビで見た自分の好きな映画・アニメやCMをマネしたものがベースになっていました。
かなり狭い範囲ではありましたが、
その狭い範囲を繰り返し練習し特化していきます。

練習のおかげかぽつりぽつりとオーディションに受かり、
小さなCMのナレーションをやる事ができるようになります。

この時は、ブースの中で原稿を読むことが
以前よりもっと楽しくなっていました。

いわゆるアニメ声優を目指して専門学校に通ったものの、
演技の授業のないラジオパーソナリティー科に行き、
ナレーション系の事務所に入って、と当初の目的とは少し方向が違ってきていました。

しかしディレクターの要求はあるものの、
一人の世界にどっぷりと浸かり絵に合わせて
ナレーションを入れる事はとても楽しく気持ちよかった。

その瞬間は本当にCMの世界に入り込んでいるような感覚でした。
この状態はある種の説得力があったのか、
割と評判が良かったのです。

業界に入ってすぐ自信を砕かれた自分でしたが、
これでまた自分はできる!!︎と思い始めます。

さらに専門を出ただけの自分を鍛えるため、
事務所からの指示で、新設された付属養成所に行く事になりました。
そこでは自分だけ所属した状態で養成所に通うという妙な立ち位置になりました。

他の人達は所属するために自分をアピールしようと必死です。
しかし自分はそれがない。
このプレッシャーのなさがプラスに働き、
自分は伸び伸びと学んだ事を実践していきました。

おかげで評価が良かった。
周りからも、所属という立場と結果で一目置かれるようになります。

だがしかし
これが逆に良くなかった。

「プロになるまでの全て!」Yさん編 記事一覧

「プロになるまでの全て!」Yさん編02

専門学校の授業は発声や朗読など、
科は違えど内容は声優に近いものがけっこうあり
専門学校から斡旋された寮に帰ると毎日滑舌や発声を楽しくやっていました。

しかし、授業はかなりサボりました。

理由は、
・朝までゲームをやっていて眠かったから
・嫌いな授業がある
の二点です。
欠席の連絡をする時、理由は風邪になります。
その時「演技」をしてました。

咳をしてか弱い声を出しクラス担任を騙し、電話が終わると即睡眠です。

寮とは言え実家から出た事で、いろいろタガが外れ
ゲームやCD、漫画を買い漁り
蕎麦屋を巡りどこが美味いだのと言い
今の自分から考えると、死ぬほど遊び回ってました。

この時少しでも貯金していれば…
あんなに蕎麦を食べ歩く必要などなかった。
あの時の自分を殴りたい。

自分はめちゃくちゃ不真面目でした。
そのくせ授業で他の人が先生に褒められると、
やたら対抗意識を燃やしてやっていました。

そしてなぜか、
自分はできる‼︎
と、思い込んでいました。

ほんとなんででしょうか?
根拠は全くないのに自分は才能があり、
できる、できてる‼︎と思ってました。
バカは怖いですね。

自分通ったのは声優科ではないため芝居の授業は全くありませんでしたが、
ラジオパーソナリティー科なのでCM原稿を読んだりしました。

これがやたら楽しかった。
題材は土石流が流れてくる災害映像のナレーションだったりしたのですが、
内容に対して不謹慎なのですが
映像に合わせてナレーションを入れる事が楽しくて仕方なかった。

正直、専門学校の授業自体は特にためになった事はありません。
自分が入ったパーソナリティー科は一クラスだけで
人数は10人というオマケみたいな科で、
当時ブームだった声優科は確か30人10クラスくらいあったと思います。

教室も、声優科は校舎の3~5階にあり広かったのに
パーソナリティー科は半地下の狭い教室でした。
よくクラスメイトと愚痴ってました。

こんな状況でしたが専門学校生活は楽しかった。

当時は知識がなくわかりませんでしたが、
この専門学校はもともと服飾系の学校から規模を拡大してきた所で、
声優科やパーソナリティー科はできたばかりで実績があまりありませんでした。

そのため事務所につながるラインと言えば、
卒業時のオーディションで養成所合格になる程度でした。

つまり始めから養成所に行った方が良かったのです。

そんな事も知らず入った自分は、
「専門学校を卒業したら一年浪人して事務所に入る、て感じか」
と、また「なぜか」思い込んでいました。

これ今考えても意味がわかりません。
どうしてそう思ったのか…うーん

2年目になり、卒業後の事を考え始める頃
クラス担任が声優雑誌に載っていた
あるナレーションコンテストの事を教えてくれました。

別に専門学校とつながりがあるものでもなく、
あくまで外部のコンテストを担任が探して来ただけです。

クラスの何人かと自分が応募してみる事にしましたが、
誰一人真面目に先の事を考えていたわけではありません。

自分は、賞金が欲しかったから応募しました。
確か金賞で10万だったはずです。

カネです。

すると後日「銅賞に入りましたよ」と電話がかかって来ました。
銅賞は3万です。

なんだよ銅賞かよ、と思っていたら
「事務所に入らないか?」
と言われました。

事務所?
どこの?

この時説明されて始めて知ったのですが、
このコンテスト
とある中堅事務所が新人オーディションも兼ねて開いていたのです。

賞金しか見ていなかったので、どういう所が主催か全く知らなかった。

そして、その事務所の事も全くわからなかった。

当時の自分は声優には詳しくても
声優事務所は青二、バオバブ、シグマくらいしか知りませんでした。
ミーハーな人間なんてそんなもんです。

とりあえず後日、その事務所に行って面接する事になったのですが
正直怪しい所ではないかと疑ってました。
急に「事務所に入らないか?」とか言われても
得体の知れない所に入って騙されるのではないかと本気で思ったのです。

声優事務所の事を知らないくせに、やたら警戒したのを覚えています。
しかしクラス担任が事務所の事を調べてくれ正体がわかり驚きました。

なんと自分が大好きだった
とあるアニメのメインキャラを演じた人がいる事務所だったのです‼︎

ビビりました。

自分は臆病な人間です。

注目されないと目立とうと張り切り、妙に良い結果を出したりしますが、
注目され期待されるとビビって失敗するのです。

この時、まさかそんな有名な人がいる事務所だとは思っていなかったので
震えるほどビビりました。

面接の日、自分はスーツを着てガチガチに緊張して行きました。
社長には
「スーツなんか着てこなくて良かったのに」
と笑われました。

自分は終始「はい」「いいえ」くらいしか言えず、
社長が履歴書を見ながらいろいろ質問された事に答えるだけでした。

事務所での面接が終わり数日後、
「専門学校を卒業したらウチに来て下さい」
と連絡が来ました。

こうして自分は、「声優」という業界に足を踏み入れたのです。

ちなみに自分が大好きだった声優さんは、
すでに移籍してその事務所にはいませんでした。

「プロになるまでの全て!」Yさん編 記事一覧

全力新連載「プロになるまでの全て!」Yさん編01

男性声優 Yさんをご紹介します。

全力新連載「プロになるまでの全て!」
第1回に登場してくれるのは、男性声優Yさんです。

彼はいつの間にか「週平均7~9本」もの仕事をこなす
人気声優になってしまいました。

韓流ドラマ吹き替えの主演をこなしたかと思えば、
最近は、様々なシリーズ物に主演し始めています。

また、彼を信頼して仕事を任せるディレクターがすでに数名おり、
そのディレクター達の話しによると
「彼はどんな球を投げても、必ず受け止めてくれる存在」なのだそうです。
それは、たぶん嘘だと私は思っています(笑)

しかし、それが現実なのか、彼の仕事は年々確実に安定してきています。

その結果、各クール事に持つ数本のレギュラー番組をベースにしながら、
新しい仕事を広げて行くという、声優として理想的な環境を手に入れつつあります。

彼は今でこそTOP声優達と素敵なバトルを繰り広げながら、
日々の精進も忘れない、充実した声優ライフを送っています。

しかし、彼がこの場所にたどり着くまでには、
本当に信じられない程の、深い挫折と苦悩がありました。

これはまさに「困難に次ぐ困難を超える」物語です。

「本当にこんな事が、現実の世界で起こるのだろうか?」
「なんだそれは?マンガでも聞いた事がないぞ!?」

そんな事の連続でした。

自分の才能を信じ、あきらめなかったYさんは、
一体どう考え行動したのでしょうか?

彼の経験に耳を傾けながら、一緒に学んで行きましょう。

APH代表 茂 賢治

声優になろうと思いました。

自分は元々絵を描くのが好きでした。
漫画、アニメも大好きで放送しているものはジャンル問わず全て見ていました。
小学生の頃は漫画家になりたいとか考えてましたが、
姉の方が圧倒的に絵が上手く
「コイツには勝てない」
と諦めました。

高校で進路を決める時、
「声優になろう」
と思いました。

別に演劇部ではなかったし、
芝居に興味があったわけではありません。
声優的な要素といえば、
国語の授業で文章を読むのが上手いと先生に褒められた事くらいでした。
とにかく漫画やアニメにかかわる事がしたいと思ったからです。

声優という仕事自体は声優雑誌、アニメなどを見てよく知っていました。
今でも尊敬する神谷明さんをはじめ、
当時の声優なら声を聞いたらすぐに誰かわかるくらいには好きでした。
あとは何となく楽しそうだなくらいの気持ちでした。

声優は自分の顔を出しません。
アニメや海外の俳優の声を当てます。
自分とはまったく違う人間になれる。
当時の自分は、アニメで見て憧れた主人公
ヒーローになりたかったのだと思います。

しかし漠然とした考えで、強い想いがあったわけではありません。

その割には専門学校に行く際に、
親に対して人生初の反抗をしたりと結構強情に押し切りました。
父は大学に入って欲しかったらしく、
強く反対してきたのですが、それに対する反発もあったと思います。

本当に思い付きで何も深い理由はありません。

単純に勉強が嫌いで大学に行きたくなかった、
楽しい仕事がしたい、好きな事がやりたい。

ずいぶんワガママな理由だと今は思います。

そして専門学校に入ろうと考えたのですが、
ちょっと調べて見つけた所に行こうと思いました。
これも今思うと完全にカモになりに行くようなものです。
よく事務所につながったなあと驚きます。

この専門学校にしようと思った決め手は、
夏の体験入学があり、とある超実力派有名声優が講師に来ていて
それに参加したからです。

この人のファンではありませんでしたが、
あるSFアニメの主人公を演じられていて
そのアニメが大好きだったのです。

参加してみた結果、

凄かった。

三時間の特別授業で題材は、
「あめんぼ赤いな~」というヤツです。
参加人数は20人くらい。

三時間の授業で二人しか見てもらえませんでした。

まず話が長い。
30分以上喋ってる。
やっと始まってみると「あめんぼ~」
くらいで「違う‼︎」と止められる。
そこでまた話が始まる。

今ならある程度止める理由も理解できますが、
当時はなぜ止められるのか?全くわかりません。
最初に読んだ生徒はどんどん追い詰められていきました。

教室が異常な緊張に包まれる中、二番目の生徒がカ行を読み「違う‼︎」と止められ
気付いたら生徒二人でア行・カ行を読んで三時間が過ぎました。

自分は全く見てもらえませんでしたが、
「なんかわからんが凄い‼︎」
と妙に強く感じました。
そして「ここに入ってあの人に教わる‼︎」と決めたのです。

しかしいざ声優科に願書を出してみると

落ちた‼︎

高校の先生は、
「推薦があれば入れるだろ」
と言っていたのに…嘘つきやがった。
さすがに焦りました。
受験勉強などしていない。
高校三年の最後の半年はずっと授業中寝ていた。
そもそも高校入学後半年で、成績は下から三番目。
卒業間際のこの時期までそれをキープしてきました。
まずい。

すると専門学校から
「入学金10万安くするからラジオパーソナリティー科入らない?」
と電話が来ました。
もちろん「入ります」と即答しました。

親には「何で⁉︎」と言われました。
そりゃそうですよね。

なんかもう東京に行きたい、家から出たいだけだったような気もします。

声優科ではありませんが一応専門学校に入りました。
あの人に教えてもらえる‼︎と思っていたら、

ご本人主催の養成所を作りやがった‼︎

体験入学は宣伝のためだったらしく
専門学校の廊下に養成所のチラシが置かれていました。

そして特別講師にも来やしねぇ‼︎

騙された‼︎

しばらくテレビであの人の声を聴くと無性に腹が立ちました。

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