「プロになるまでの全て!」Yさん編20

「何だ?」

するとまた揺れが始まりました。
まるで船が揺れるようなゆっくりとした大きな揺れでした。
周りの客も店員さんも携帯やテレビを見ながら動揺しています。

これはただの地震ではありませんでした。
東日本大震災です。

テレビで流れるあまりの被害状況に

「実家は大丈夫か!?」

と慌てて地上に出て電話をかけました。
実家は繋がらない。
何かあったのか?
父の携帯にかけました。

「どうした?」

拍子抜けするほど呑気な声で父が電話に出ました。

幸いな事に実家のある県はほとんど被害がなかったのです。
父は自分から地震の事を聞いて驚いていました。

とりあえず実家が無事だったので安心しましたが

サンプルが録れない。

これは不味い。
とにかく揺れが収まるのを待って何とか収録を終えました。

アパートに帰るとテレビ台の上のCDが床に散乱していましたが、
他に被害はありませんでした。
しかし切羽詰まっていた自分の精神には大きな影響があったのです。

数日後、必死に仕上げたサンプルを持ち待ち合わせの場所に向かいました。

その時

「こんな日本全体が大変な事になっている時に自分はこんな事をしていて良いのか?」

という考えが浮かんできました。

なぜか不謹慎な事をしているような気がして突然不安になったのです。
大地震による被害をテレビで見てショックを受け精神的に揺らいだ所に、
新しい未知の領域に入る時の不安が襲ってきたのだと思います。

自分がとてもおかしな事をしているような気になり急にとても怖くなりました。
しかしここで
以前台風の時に代表が言った言葉が急に浮かんできました。

「俺達は大変な目にあってる人がいるこんな時にも芝居をするんだ。
せめて恥ずかしくないよう精一杯やろう」

「ああ、そうだ」
自分は腹が決まりました。
大変な時だろうが何だろうがやりたいんだ。
大災害が来ているのに自分のやりたい事をやろうとしてるのだから、
せめてやれる事を全て全身全霊で精一杯やろうと。
気持ちを何とか持ち直し、待ち合わせの場所に向かう事ができました。

B社長との面接場所は新宿のコーヒースタンドでした。

B社長の前に自分が座り、その横にDさんがついてくれました。
APHメンバーにCDプレイヤーを借りその場でサンプルを聞いてもらいました。
B社長は最後まで無言で聞いていましたが、
終わった後に「なるほど」と言ってタバコを吸い始めました。

自分は何も言えずジリジリと焦っていました。
事務所に入れるのかどうか?聞きたくてしょうがない。
しかし言葉が出ない。

そんな時、Dさんが口を開きました。

「で、コイツはいつから入れるの?」

「あぁ、そうだなぁ…4月からかな」

B社長が答えました。

ん?
入所が決まった?
すぐには理解できませんでした。
あまりにもアッサリとした会話でピンときませんでした。

そこからDさんとB社長との世間話が始まり、
それを聞いているうちにジワジワと実感が出てきました。

所属が決まった。

声優事務所に入ったのです。

何も言えない自分をDさんが押し込んでくれたのです。
本当に感謝してもしきれません。

養成所に入ると決めた時から奇跡の連続で綱渡りのように、
代表、両親、Dさんの力を借りて
ようやく声優として新しいスタートラインである事務所所属まで辿り着きました。

今思い出しても本当に有り得ない事の連続でした。
自分の力だけでは到底無理だったと思います。

APHでは芝居・物事の仕組みを教わります。
この仕組み通りに全力でやっていくと必ずどこかで道が開けるのだと強く実感した瞬間でした。

「プロになるまでの全て!」Yさん編 記事一覧

「プロになるまでの全て!」Yさん編19

親に土下座をしてお金を出してもらい、
APHで代表、メンバーにたくさん助けてもらった結果が不合格。
自分は終わったと思いました。
実家に帰って何をしようか。
30からできる仕事はあるのか。
でも芝居以外何の技術もない自分がどうやって。
などと考え始めていました。
しかし

「俺はどうしても終わったとは思えないんだよな」

「まだ何かある気がするんだ。思い当たる事はないか?」

と代表に聞かれました。

行くあてがなくて養成所からやり直し不合格になった自分に聞かれても…と思っていましたが、
ふと元講師Dさんの言葉を思い出しました。

「そう言えば講師だったDさんからこんな事を言われました。
結果だけでも教えてくれ、と」

「それだ!!!!!!」

電話口から代表の力強い声が響き自分の耳に突き刺さりました。

「それだ!!今すぐ連絡しろ!!早くしろ!!」

Dさんからはただ結果を教えてくれと言われただけです。
なんで代表がこんなに急かすのか全くわかりませんでしたがとにかく連絡してみる事にしました。

時間は夜の7時か8時くらいだったでしょうか。
Dさんはすぐに電話に出てくれました。

「お~久しぶりだな。どうした?」

自分は以前にDさんに言われた通り結果を伝えるために電話した事を伝えました。

「ああそうか、結果出たか。どうだった?」

「ダメでした」

「え!?…そうか~俺はお前なら行けると思ったんだけどなぁ」

「申し訳ありません…」

「ならBが新しく作った事務所に行くか?
できたばっかりで上手く行くかはわからないんだけど」

 
Bとは通っていた養成所を運営していた事務所の元社長。
養成所二年目に入る時、所属声優半分と一緒に辞めていったB社長の事です。
そのB社長が辞めた声優の一部と一緒に新しく事務所を立ち上げていたのです。

「そこはまだ所属人数が少なくて役者を探してるから良ければ俺が紹介するよ」

思いもよらない展開になりました。

結果を報告するだけのはずが新しい道が開けたのです。

「Bに聞かせるサンプルを用意しといてくれ。Bに会う日が決まったら連絡するから」

Dさんとの電話が終わった後、代表に報告しました。

「な!言った通りだろ!!」

まさかこんな事になるとは思ってもみませんでした。
しかし代表は今までの経験から必ず道はあると感じていたそうです。

こうして実家に帰る寸前から
代表のアドバイスとDさんの力によって
事務所に入るための新たな道を見つける事ができたのです。

所属試験に落ちたドン底から新しい道は開けましたが、
まだ決まったわけではありません。

B社長に聞いてもらうサンプル作りを必死に始めました。

B社長に会う日も決まり、サンプル製作も終わりに差し掛かった頃
思いもよらない大事件が起きました。

その日、自分はとある地下の貸しスタジオでサンプルの収録をしていました。
するとギィ~っと軋むような音と共にブースが揺れ出しました。

「録音中に地震か!?ノイズが入る!!」

揺れが収まったので収録を再開するとまた揺れ出しました。

イライラしました。
今自分は大事な時なのにこんな邪魔が入るなんて!!
揺れが収まるのを待っているとブースのドアが開き店員さんが来ました。

「一旦ブースを出て避難してください!!」

かなり慌てた様子でした。

「大きな地震だったのかな?」

ロビーに出ると、そこにあったテレビに映っていたのは黒煙を上げているどこかの施設でした。

「プロになるまでの全て!」Yさん編 記事一覧

「プロになるまでの全て!」Yさん編18

養成所は基礎科と本科の二年制。
一年はあっという間に過ぎました。

そして本科に上がった直後、思いもかけない事が起こりました。

なんと養成所を運営している事務所の所属声優の半分が辞めたのです。

しかも

自分がこの養成所を選んだ理由でもあった有名声優やベテラン声優達が、
さらに事務所の社長までも辞めたのです。

耳を疑いました。
そして激しく動揺しました。

なぜこんな事になったのか?
社長が辞めたってどう言う事?
この事務所は大丈夫なのか?
養成所に影響は?

今さら別の所にも行けません。
自分はもう一年頑張るしかない。

ここで自分を褒めてくれていた講師の一人である現役声優Dさんも辞めたため、
担当の講師が変わりました。
この時Dさんから、
「最後まで面倒見れなくてすまない。結果だけでも教えてくれ」
と言われ連絡先を渡されました。

ここまで気にかけてくれるのを有り難いと思いつつ、
自分を評価してくれていた人がいなくなる事に大きな不安を感じました。

このDさんの言葉が後々大きな意味を持ってきます。

しかしこの時は、
「またゼロからアピールし直しか!?」
と残りの授業と新講師を攻略する事で頭がいっぱいでした。

幸いというか当たり前というか、
APHで教わった事は新しい講師にも同じように評価されました。
自分は本科の一年も圧倒的、ダントツのトップで居続けたのです。

養成所の二年目も終わりに近づき、
所属試験が間近に迫りました。
養成所内でも誰が有力かという話題が尽きませんでした。

生徒の中でも、自分は所属有力候補のトップという扱いでした。
自分自身もそう思っていました。

しかし所属試験が終わり結果が封書で届くまで、
とてもとても不安でした。

確かに圧倒的、ダントツのトップで居続けました。
でも年齢がもう30になる。
それを事務所側がどう捉えるか。

毎日ポストを覗く時、汗がドッと溢れました。

そしてとうとう
結果が届きました。

自分はどうしても落ち着かず、
部屋を出て駅までの道を歩きながら封筒を開けました。
何か悪い予感がしたのか、ただの不安かはわかりません。
とにかく部屋では息が詰まりそうだった。

封筒の中には紙が一枚入っていました。
厳正な審査の結果とかよくある言葉が並んだ後

「不合格」

と書かれていました。

頭が真っ白になりました。
何も考えられませんでした。
前の事務所に戻るために夜の道端で社長に頭を下げた時と同じ感覚です。
しばらく記憶が飛びました。
そうやって道端で呆然としていましたが、
代表に報告する事を思い出し電話をかけました。

「ダメでした。申し訳ありません」

代表に自分の言葉で伝えた事でようやく実感が湧いてきました。

落ちた。

ダメだった。
 

「プロになるまでの全て!」Yさん編 記事一覧

「プロになるまでの全て!」Yさん編17

実家に戻る道中の事はとにかく緊張していたのを覚えています。

父に真剣に頼み事をする事自体初めてでしたし、
断られたらどうしようかという不安もありました。

実家に着くと、いつもの通り母が迎えてくれました。
父は厳しい顔をしていました。

どう切り出したらいいのか?
悩みました。

スムーズに話を持っていく話術は自分にはありません。
APHに来るまでは反発していただけです。
考えても何も良い方法は出てきません。

正面から、正直に、
誠心誠意頼むしかない。

自分は父の前で人生初の土下座をしながら言いました。

「養成所に行くためのお金を貸して下さい」

父は驚いた後、
「もう諦めて帰って来い」
と言いました。

「まだ自分はやり切ってない」
「今のままでは終われない」
「最後のチャンスを下さい」

自分はそんな事を言ったと思います。

自分の言った事はうろ覚えですが、
その時に見た父の顔は今でもよく覚えています。

厳しい表情ではありますが怒っているのではなく、
困ったような顔をしていました。
その表情は忘れられません。

しばらく黙った後、父は

「どうせダメだろうし、これで無理なら諦めもつくだろう」

と言ってお金を出すと言ってくれました。
母は「良かったね」と言ってくれました。
この時、代表が言っていた事を実感しました。

父は本当に自分の事を心配してくれていると、
初めて自分で感じる事ができたのです。

お金を貸してくれるまで頼み込むつもりではいました。
しかし父が徹底して拒否して借りられないかもしれない。
そうなったらどうしよう。
どうやって養成所に行けばいいのか。

ずっと自分の事ばかり考えていた自分は、
代表に説明され、実際に父の想いを感じた事で、
少しだけ自分以外の人の事を考えるようになりました。

自分のやりたい事を諦められない。
でも両親を心配させたくない。
それを両立するには声優として食べていけるようになるしかない。
先ずは何としても養成所に入らなくては。
そう強く思いました。

こうして養成所の資金を用意する事ができ、
入所試験を受けた結果、
自分でネットで探してきた養成所に合格しました。

自分のバカな行動で失敗し所属事務所をクビになり、
諦めきれずまた当てもなくさまよってTさんのおかげでAPHに辿り着き、
代表、メンバーの励ましやアドバイス、
そして両親の力も借りてようやく、
やり直すための一歩を踏み出す事ができたのです。

さて、わかってはいましたが養成所に入ってみると若い子達ばかりでした。

自分と10歳も違う。
ほとんどが18から20代前半。

若い!!

養成所の授業で強烈な場違い感を味わいました。
しかしこんな事は初めからわかり切っていたのです。
怯んでなどいられません。

自分は授業で誰より積極的にアピールして行きました。

代表からの指示は

「圧倒的、ダントツのトップでいる事」

それを実践するためAPHで教わった事を全て注ぎ込みました。

APHで教わった事は面白いくらい効果を発揮しました。
自分のクラスを担当してくれたのは現役の声優二人でした。

そのどちらもがAPHで教わった事を実践すると

「面白い!!良いね!!」

と言ってくれるのです。
自分は代表の指示通り、
圧倒的、ダントツのトップになりました。
全くの未経験か、小劇団にいたくらいの人達です。
APHで教わった自分には負けると思う相手はいませんでした。

「プロになるまでの全て!」Yさん編 記事一覧

「プロになるまでの全て!」Yさん編16

事務所の養成所と
ネットで探した養成所の二箇所に絞り込み試験を受ける事にしました。

さて
養成所に行くと決めたものの、
そのためには大きな大きな問題がありました。

そうお金です。

お金を払わないとどこにも入れません。

本気で声優になる為に養成所に行くなら、
選択肢は

・バイトして貯める

年齢的に時間の余裕がないのです。

・消費者金融からの借金

これ以上増やせません。

もう自分にとって最後の手段しかありませんでした。

親からの借金です。

この方法は選びたくなかった。
別に親に迷惑をかけたくないとか、そんな良い理由ではありません。

この頃の自分は、
父親と死ぬほど仲が悪かったのです。
というか自分が徹底的に父親を拒否していました。
だから意識的にこの選択肢を排除していました。

自分の父はサラリーマンでした。
父は大学に行きたかったらしいのですが、それを諦め就職し家庭を持ちました。
そういった経験からか、
自分が子供の頃には漫画家という夢を
高校卒業、専門を出た後からこの時点まで声優という仕事を

「そんな夢みたいな事を言ってないでちゃんとした仕事をしろ」

と父は全否定してきました。

専門に行く時は、
勉強を放棄して現実的に大学に行く点数を取れない状態になる
と言う恐ろしく後ろ向きな方法で、
専門しか行き先がないと父を諦めさせました。

ちなみに姉は、父の出した厳しい条件を全てクリアして好きな道に進みました。
えらい差です。

自分はこの時からずっと父に反抗して反発してきたのです。
借金も父に弱みを見せたくなくて作ってしまいました。
父に頼るくらいなら借金した方がマシだと思ったのです。
本当にバカです。

他の選択肢は今までの自分の行動で潰してしまったので他に現実的な手がありません。
声優になるためにどうしても今養成所に行きたい。
しかし自分の夢を全否定してくるような父に、
「頭を下げて頼む」というのが嫌で嫌でしょうがない。
でも養成所に行きたい。

そこから良い考えが浮かばず行き止まりになってしまいました。

その気持ちを代表に話すと、
「お父さんがどんな気持ちで反対しているのか考えた事があるのか!!」
と叱られました。

代表にこう言われても自分ではハッキリ理由がわかりません。
自分は真面目に考えた事がなかったのです。
反抗する息子に対する嫌がらせか制裁かくらいにしか思えなかった。

「お前の事が心配だから安定した仕事についてもらいたいと思ってるんだろ。
お父さんはなにも間違った事は言っていない。」

自分はこの時まで、父を敵だと思っていました。
自分の夢を潰そうとする敵だと。

しかし代表から、
なぜ父が強く反対するのかと懇々と丁寧に説明されて初めて理解しました。

「反対してても専門学校のお金を出したのは誰だ?」

確かにそうです。
本当に夢を潰そうとするならお金を出さなければいい。
しかし父はお金を出してくれました。
当時は進学のお金を親が出すのは当たり前だとしか思っていなかった。

父は電話をかけてきては、
「風邪ひいてないか?飯は食べてるか?」
と心配してくれました。

電話の度に「諦めて帰って来い」と言ってはいても、
いつも自分の事を心配する言葉が必ずありました。
それをずっと聴いていたのですが、
父を敵だと思っていた自分はその心配の言葉をすっかりなかった事にしていました。

「親が子供の心配をするのは当たり前だろ」

自分は代表に言われて初めて、
父がどんな気持ちでいたのか理解し始めたのです。
ここで初めて、親に借りるという選択肢が生まれました。

代表から、
プロになって利子を付けて返す覚悟で頼んでみては?
と提案されました。

今、他の選択肢はない。
代表の言葉で父への考え方が変わった自分は、
親からお金を借りるために実家に戻る事を決めました。

実家に戻る道中の事はとにかく緊張していたのを覚えています。

「プロになるまでの全て!」Yさん編 記事一覧

「プロになるまでの全て!」Yさん編15

クビになった事務所への未練を完全に断ち切った事で、
自分の意識はかなりスッキリしました。

とてもショックで落ち込みましたが、
新しい事務所を探そうか?まだ戻れるのか?
と迷う事は完全になくなりました。

ハッキリと結果が出たからです。

そこで新しい事務所を探す事にしました。
代表から教わった、昔から沢山の人がやってきた方法で。

入りたい事務所にプロフィールを送るのです。

今だから言えますが、この方法は自信がありませんでした。
自分の芸歴がとても薄っぺらく、実力にもアピールできるほどの自信がなかったからです。

しかし他の方法と言えば、
養成所、知り合いの紹介、くらいしかありません。
この段階では資金的な問題で養成所は避けたかった。
自分で作った借金もありました。
事務所を紹介してもらえるような知り合いもいません。
とにかくやってみるしかありませんでした。

APHの顔出しをやってるメンバーも使っている写真スタジオを教えてもらい、
初めて自分で宣材写真を撮りました。
今思えば衣装は割とキレイなただの普段着だし、
写真を撮られる事に慣れていなくてこわばってるしで酷い出来です。

ファイル、封筒を必死に選び飾り付け、
十数社にプロフィールを送りました。
こうやってプロフィールを作って送っていると、
自分が今どんな状態でどんな状況なのかがとてもよくわかりました。

本当に何もないんだな、と。
結果はダメでした。

ほとんどが反応もなく、電話してもサンプルも聞いてないと言われる。
何社か話を聞いてくれましたが事務所に入るまでにはなりません。
その時の総合的な自分を考えると妥当だったのかもしれません。

ヤッパリダメか。

そう思いました。
そして
もうこれしかない、と思いました。

養成所からやり直す。
 

 
プロフィールを送った結果が全て出た後、
代表に相談に乗って頂いている時、
「養成所からやり直そうと思います」
と伝えました。

代表はとても驚いていました。
「養成所からと言うのは、私の考えの中に全くなかったけど、
本当にやるのか???」とも言われました。

しかしこの時自分は、
もう養成所からやり直すと腹は決まっていました。
今の自分では他に道はないと。
さんざん有り得ない失敗を繰り返した自分は、
一からやり直さないと無理だと思ったのかもしれません。

ここで代表から一つの条件を提示されました。

「養成所からやり直すなら常に圧倒的、ダントツのトップでいてくれ」

と。

APHで学んでいる以上、養成所にいる素人とは違う。
それを養成所卒業までダントツのトップの評価を得続けることで示す。
そして年齢を考えればこれくらいできないと先はない。
養成所から所属になるための最低限の条件だったのだと思います。

自分はこれを実践すると代表に伝えました。
そうでないと先はない事は自分にもよくわかりました。

この時、養成所に入るにはギリギリの時期になっていました。
お金はありませんでしたがバイトして貯金して来年という訳にもいかない。
年齢を重ねれば重ねるほど不利になる。
そんな時間の猶予は自分にはないのです。

先ずはAPHのメンバーに手伝ってもらいながら、
セッションが終わった後の深夜に漫画喫茶に行き、
慣れないネット検索で必死に養成所を探す所から始めました。

事務所に所属していた経験から、
各事務所のHPを見ながら自分が少しでも有利になる要素を探しました。
その中で何とか「ココなら」と思える養成所を選び出したのです。

必死で選んだ養成所の情報を持って、
また代表に相談に乗って頂きました。

自分がどうしてこの養成所を選んできたかを説明した所、
その事務所に自分と声やキャラがかぶる役者はいるか?
仕事の流れはあるのか?
どの仕事のジャンルに強いのか?
養成所からどれくらい所属になっているのか?
などいろいろな質問をされました。

これらに自分がどう考えたかを答えているうちに、
さらに自分の考えがまとまり選択肢が絞られていきました。

結果、当時APHにいたメンバーが所属する事務所の養成所と
ネットで探した養成所の二つに絞り込み試験を受ける事にしました。

「プロになるまでの全て!」Yさん編 記事一覧

「プロになるまでの全て!」Yさん編14

後日、代表にその事を報告しました。
すると、

「まだ完全に拒絶されたわけではない。
土下座してでももう一度お願いしてこい!!」

精神的に死にそうでした。

やんわりとは言え、社長のあの言葉は事実上の拒否だと思いました。
しかし、確かに
「もう事務所に来るな」
とは言われていない。

自分はこういう時、必ず諦めてきました。
なんとなく結果は出ていると思っていたからです。
これ以上すがりついても
自分が惨めでカッコ悪くて無駄に苦しい思いをして傷つきたくなかったからです。
それよりは物分かりのいいふりをして、そこでやめていました。

本気でトコトンやり切る事ができなかった。

代表は普段、APHメンバーに何かを強要する事はありません。
強く推奨する事はあっても無理強いはしないのです。
本人がどうしてもやりたくなければ、必ず別の方法を一緒に考え、
提示してくれます。

しかしこの時は、とても強く、
「行け!!」と言いました。

物事は全てやり切らなければ次につながりません。
中途半端に終わらせると、別の何かを始めてもまた中途半端に終わります。
どんな事でも追求していくと必ず誰かとぶつかり合う事があります。
それが深くなればなるほどぶつかり合いも強く激しいものになります。

自分は、そのぶつかり合いを全て避けて逃げてきました。
だから何かを良いところまでやっても
それ以上にはなれなかった。

まあまあ、ほどほど、ぼちぼち、でした。
どれも悪くない、けど良くもない。

それを
自分の意思で
完全に決着が着くまでやり切る。

それが必要だったのです。

今はなんとか仕事をしていますが、
ここに至るまで、お百度詣りの時以上に判断に迷い、相手と意見がぶつかり、
それでも自分の意思をハッキリと伝えなければいけない状況がありました。

代表がずっと強く強く言い続けてくれて、
この後ようやく最後までやれた事で自分は変わりました。
本当に有難うございます。

結果が「ほぼ」見えている所を、
「完全に」ハッキリさせるため
もう一度、社長にお願いしに行く事にしました。

しかし行きたくない。
本当に行きたくない。
心の底から行きたくない。

もう結果はわかってる。
社長は自分を傷つけないように優しく言ってくれたのだと思います。
それなのにまた強引にすがりついてくる。
迷惑以外の何者でもないと思います。

でも、ハッキリさせなければいけない。
今までなんとなくでやって来た事に決着をつけなければいけない。

自分は事務所に向かいました。

が、

やっぱり入れない。

また事務所ビルの区画から隣の区画まで終業時間まで歩き回りました。

夜になり辺りが暗くなったなかで、
街灯とビルの窓の明かりを見上げる景色をよく覚えています。
事務所の入っている階をビルと反対側の道の電柱の陰から見上げていました。

ビル入り口から誰かが出てくるたびに電柱に隠れて見つからないようにしていました。
社長にもう一度必死にお願いする姿を見られるのが嫌だったのです。
自分の情けない姿を見られるのが怖かった。
恥をかきたくなかった。

そうやって事務所に入れずにいるうちに、
社長が出てきました。
隣には以前事務所で自分に話しかけてくれた先輩がいました。

もう他にタイミングはないと思いました。
電柱の陰から飛び出して社長を追いかけました。

 
後ろから呼び止めると社長は物凄くビックリしていました。
それはそうです。
暗がりで後ろから突然大声で呼びかけられたのです。
この時の自分は変質者かストーカーです。

「もう一度、事務所に入れて下さい」

自分がどんな風にこう言ったのかよく覚えていません。
とにかく必死でした。
大きな声で言おうとしても声が出なかったように思います。
目を見開いてこちらを見る社長と、
頭を下げている自分と社長を交互に見て戸惑っている先輩の姿が記憶に残っています。

社長は自分を見ながらも足を止めませんでした。
自分はそれを追いかけながら何度も頭を下げてお願いしました。

社長が足を止めず、それを追いながらだったので土下座はできませんでした。

その時、初めて社長の怒鳴り声を聞きました。

「いい加減にしてくれ!!営業妨害だよ!!もう来ないでくれ!!」

大声でこう言われ、自分は何も言えなくなりました。
社長はそれ以降は振り返らずに遠ざかっていきました。
先輩は何度も自分の方を振り返りながら社長の後を歩いていきました。

そこから駅までどうやって歩いたのか全く記憶がありません。
気付いたら駅前でした。

そして代表に報告しなければと思い電話をかけました。

「ダメでした。頭が真っ白です。」

本当に真っ白でした。
あんなに必死に何かをしたのは人生で初めてだったと思います。
そしてあんなに強烈に拒否をされたのも初めてでした。

「大丈夫だ!!次がある!!次に行こう!!」

代表はとても明るい口調で笑いながらそう言って下さいました。
この時の自分には先の事は何も考えられませんでした。
ただ強烈な重しがなくなった開放感と、唯一の拠り所がなくなった空虚感で
本当にすっからからかんという感じでした。

代表にAPHという団体に支えてもらいながら
始めて
最後の最後までやりきった
このおかげで自分は変わったのです。

この変化は大きかった。
それが次につながって行くのです。
 

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「プロになるまでの全て!」Yさん編13

事務所にお百度詣りに行き始め、
初回の手応えからなんとかなりそうな気がしていました。

事務所スタッフの方々が邪険にするでもなく、
普通に接してくれたからです。

週に2、3回くらいのペースで通いました。

その度に掃除をしていましたが、
当然毎日スタッフも掃除をしているのですぐにやる事がなくなりました。

たまにマネージャーやスタッフが休憩に来て、
そこにいる自分に話しかけてくれました。
しかし話は長続きしません。

今思うと、自分はとても邪魔だったと思います。
仕事の息抜きをしに休憩スペースに来ると、
事務所をクビになった部外者が挙動不審で
深刻な顔で緊張しまくってただ座っているのです。
休憩にならない。

せめて楽しく雑談でもできれば良かったのですが、
自分にそんな事は全くできませんでした。
ただただ
「もう一度、事務所に戻して下さい」
と言うタイミングをなんとか見つけようと居座るので精一杯でした。

そうやって事務所に通うようになってしばらくすると、
事務所にいる時間がどんどん短くなっていきました。

掃除はすぐに終わる。
気の利いた会話もできない。
事務所に戻りたいとも言い出せない。
やる事がない。

ただ座っているだけでした。

休憩スペースを通り過ぎるマネージャーやスタッフの視線がとにかく痛かった。
向こうもどう扱っていいか困ったと思います。
邪険にされなかっただけでも本当に有難かった。
本来なら、邪魔だから来ないでくれ、で終わりです。

それでも事務所に行く事は許してくれていました。
とても優しい事務所だったのだと思います。

しかし苦しかった。

たったの5分が物凄く長く感じました。
始めは、30分いようと決めていました。
それが25分、20分、15分とどんどん短くなっていく。

苦しくて居られないのです。

休憩スペースの掃除はすぐ終わる。
休憩に来るスタッフとの会話もほぼなくなりました。
こちらから話しかける事はできませんでした。

事務所に行く事が苦しくてしょうがなくなりました。

するとまた、事務所ビルに入る時に
強烈な恐怖が襲ってきました。

気持ちを落ち着けようとビル周りを歩きました。
一周しても落ち着かない。
もう一周しました。
しかしダメでした。
もう一周したら覚悟を決めて入ろう、そう思い周りました。
それでも怖くて入り口に入れない。

ビル周りを回るのは本当にあっという間でした。
大した距離じゃない。

気持ちを落ち着けるために歩く距離を伸ばすことにしました。
ビル周りではなくビルのある区画を一周するのです。

さすがに距離が伸び、時間がかかるようになりました。
ビル入り口から離れるにつれ気持ちが落ち着いてきました。
小さな個人商店があるのを見つけて、
「こんな所にこんな店があったのか」
などと思ったりしていました。

歩く距離が伸びて時間もかかり、だいぶ気持ちが落ち着きました。

これなら事務所に行ける。

そう思い、事務所ビルに近づいて行きました。

恐怖が襲ってきました。

事務所から離れて落ち着いていた気持ちが、
また恐怖で震えて動揺し始めました。
事務所に近づきたくない。
途中で歩くコースを変え、隣の区画に入り時間を稼ぎました。

どれくらいそうやって歩いていたか正確にはわかりませんが、
事務所の終業時間が近づき
今から入ると迷惑になると思い帰ることにしました。

夕方まだ明るい時間からなので3時間近くは歩き回っていたと思います。

始めは週に2回事務所に行っていたのが、
この頃は週に3~4回行こうとして、
実際に事務所に顔を出せたのは1回あれば良いという状態でした。

事務所に行ける回数がどんどん減って行きました。

反対に事務所近辺を歩き回る時間がどんどん長くなって行きました。
事務所に入るため、心を落ち着けるために歩いていたのが
終業時間まで時間を潰すためになっていたのかもしれません。

それでも何とか週に1回は事務所に顔を出そうとしました。
そうやっているうちによく気に掛けてくれていたマネージャーが、
「何で事務所に来てるの?」
と聞いてきました。

本当に気軽な感じで普通に聞かれて自分はすぐに応えられず、
「ちょっと顔を出したくて」
と答えた記憶があります。

「そっか」
とマネージャーは軽く行って仕事に戻って行きました。

どうしても本題を切り出せませんでした。

通い始めてからどれくらい経ったのか正確には覚えていない、
というか記憶が飛んでいるのですが
多分2、3ヶ月…3か月くらいだったかな?

ある日、とある先輩が事務所に来ていて自分と話してくれていました。
すると社長が休憩スペースに来て
「君はなんで来てるの?」
と聞いてきました。

これ以前にも社長が休憩スペースに来て
タバコを吸いながら話しかけてくれたりしていました。
しかし雑談だけで本題を話せずに終わってばかりでした。

それが向こうから聞いてくれたのです。
今しかないと思いました。

「…もう一度、事務所に戻してもらいたいと思いまして…」

絞り出すように、必死に答えました。
社長はちょっと考えて、

「うーん、でもウチはクビになった人が出戻りした例がないんだよねぇ」

そう軽い感じで答えました。
自分と話してくれていた先輩はなんとも言えない強張った表情をしていました。
話はそこで終わり自分は帰りました。

「プロになるまでの全て!」Yさん編 記事一覧

「プロになるまでの全て!」Yさん編12

代表から自分の一番痛い所を突かれ、
それを変え、今までの中途半端な自分に決着をつけるため。

クビになった事務所に御百度参りをする事にしました。

APHにある仕組みが正しいとは言え、
正直やりたくなかった。
でもやらなければ前に進めないと自分でも理解できました。

御百度参り初日。
予想はしていました。
しかし予想を遥かに超える恐怖が襲ってきました。

最寄駅に降りた時点で、事務所の方角に向かうのに抵抗がある。
足が重い。
見覚えのある風景が全て怖くて、誰か元事務所のスタッフに、先輩に、会ってしまうのではないか。
道を変え、遠回りをして裏道を通ろうか。
いやどうせ事務所に行けばスタッフや先輩はいる。
道を変えても結果は同じだ。
でも裏道を通って知っている人に合わないように事務所ビルまで行きました。

ビルの入り口まで来ると、全身から汗が吹き出し、胃の調子が悪くなってきました。
口の中から水分がなくなり乾いてくる。
奥に見えるエレベーターに乗らないと事務所のフロアには行けない。

入り口に入らず、通り過ぎました。
とりあえず外周を回って気持ちを落ち着けよう。
とにかくゆっくりと歩きました。
気持ちが落ち着くまでゆっくりと。
そんなに大きなビルではないので外周を回っても五分もかかりません。
あっという間に入り口に戻ってきました。

気持ちは全く落ち着きません。
しかし行かなければしょうがない。
心臓をバクバク言わせながらビル入り口奥のエレベーター前に向かいました。
そして震える指でエレベーターのボタンを押します。

エレベーターの階数表示が移動し始めます。
一階に来て欲しくない。
乗りたくない。
小さな雑居ビルなのですぐに来ました。
もう乗るしかない。

エレベーター内に入り、階数ボタンを押しました。
普段ならすぐに閉ボタンを押すのですが押せない。
でも勝手に閉まる。

エレベーターが移動し始めました。

事務所に入ったらどう動くのか?
どう挨拶をするのか?
事務所フロアに着くまでずっとシミュレーションをしました。
時間感覚がおかしくなっているのか、
やたらと長く感じました。
実際は一分もなかったと思います。

事務所フロアに着くと、目の前に事務所入り口がありました。

とても見慣れた入り口でしたが、
取っ手を握るのに随分と時間がかかる。
曇りガラスの向こうに人影が通るたびに、
入り口横にあるトイレに逃げ込む。

どれくらいそうやってウロウロしていたかわかりません。
しかしようやく入り口ドアを開ける事ができました。

「おはようございます」

挨拶をして一歩中に入りました。

「あれ?どうしたの?なんか台本あったっけ?」

お世話になったマネージャーが自分に気付き声をかけてくれました。
そこには悪い感情はなく、少しホッとしました。

「ちょっと顔を出しに来ました」

事務所在籍中にやるべき事をクビになってからやっている。
情けない限りです。

「そう、じゃその辺にいて良いよ」

そう言って、事務所に入ってすぐの休憩スペースを勧められました。
そこには灰皿や週刊誌、新聞などがやや乱雑に置かれていました。

ここで代表から頂いたアドバイス通り、
灰皿の吸い殻を捨てたり、雑誌・新聞を綺麗に整理したりしました。

「そんな事しなくてもいいよ」

事務所スタッフに言われますが、

「いや、暇なんで」

と言ってやりきりました。
思ったより普通に会話できている。
これならちゃんと話しができるかもしれない。
しかし、初日からいきなり本題に入る事はできませんでした。
30分ほどいて挨拶や少しの雑談をして帰りました。

こうやって慣れていってから社長と話をしよう。
今日の感じならなんとかなりそうだ。
自分はこんな風に考えていました。

しかしこれはとんでもない勘違いでした。
自分はまだまだ死ぬほど甘く考えていたのです。

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「プロになるまでの全て!」Yさん編11

自宅での稽古が解禁され、セッションでも声が出せるようになり
自分の中に、完全に無くしていた「自信」が
本当に少しずつですが芽生え始めました。

外から見たら、ワークショップに通うただの素人。
しかし自分の中には「希望」が生まれました。

現場に出るために必ず必要なもの。
自分が持たずに現場に出て失敗した原因。
「実力」というものが少しずつ身に付き始めました。

「確信」と「実感」を得て「希望」が生まれた自分は、
その稽古を自分にしては珍しいくらい必死にやりました。
「これをやれば憧れたあの有名声優のような声が出せる!!︎」
そう思えたからです。

APHでの稽古に手応え・充実感を感じるようになってセッションが楽しくなっていきました。
それ自体は良い。
しかし目先の事ばかりで、もっと先の事を考えてなかった。
肝心の現場に出る道は見えていないのです。

正直、自分ではどうすればいいのか全くわかりませんでした。
無意識に考えるのを避けていたのかも知れません。

そんなある日、前事務所から仕事が来ました。
ごくたま~に仕事をもらっていましたが、この時は違いました。

アニメのレギュラーだったのです。

信じられませんでした。
クビなった人間になんで?
なんとクビになる前に自作して持って行っていたボイスサンプルを
事務所がしっかりと営業で活用してくれていたのです。

それがクビになってずいぶん経ったこの時、仕事に繋がったのです

APHでは、
仕組みに沿ってやれば結果は出る
と言われます。
サンプルを作って持っていくのは、ありきたりでしたが仕組みに沿っていたのです。
まさかこんな形で結果が出るとは思ってもいませんでした。

そしてもう一つ。
自分をAPHに誘ってくれたTさんも
同じアニメに出演しました。

二人とも、APHのメンバーとして、同じ現場で、マイクの前に立ったのです。
本当に嬉しかった。

この仕事は自分の中でとても大きなものでした。
念願の初アニメレギュラー。
Tさんとの共演。
そして自分の力の無さ。

APHで稽古し始めたとは言え、まだまだ小さな変化です。
実力が追いつかなかった。
それを痛感した現場でもありました。

毎回毎回、自分の理想と現実のギャップに打ちのめされました。
楽しかったけど、苦しかった。

APHで稽古を始め、少しずつ変化して、本当の実力というものを少しだけ理解した事で
自分の力の無さも感じられるようになったのです。
前事務所にいた頃の「自分はできる!!︎」という勘違いから抜け出し始めました。

このアニメレギュラーが終わった後、
「前いた事務所に御百度参りをするといい」
と代表に言われました。

耳を疑いました。
クビになってかなり経っていたのですが、
まだちょこちょこと前の事務所から仕事をもらっていました。
アニメレギュラーまで来ました。

しかしクビになってから、「自分から」事務所に連絡をした事はありませんでした。
ましてや事務所に顔を出すなんて事はできないと思っていたのです。

しかし代表は、
「まだ仕事を振ってくるという事は戻れる望みがゼロではない」
「他を探すにしても、前の事務所との関係を中途半端なままで次に気持ちを切り替えられるのか?」

「白黒ハッキリつけて来い!!︎」

とても痛い所を突かれました。

事務所をクビになって終わりかと思っていたら、少し仕事をもらえる。
自分は「いつか事務所に戻れるかも?」という希望を抱いていました。
しかし自分から言う勇気はない。
もし戻れないとハッキリわかったら?
怖くてできませんでした。

それでも、いつか、頑張っていれば、いつか。
そう考えていました。

それを「自分から」ハッキリさせに行く。
今までほとんどしてこなかった事です。
なんとなく、流れで、結論を自分でハッキリ出す事をしてこなかった。
避けてきました。
そうとう追い詰められないとできない。

そして追い詰められている事にも気付けない。

代表から、
お前はもうとっくに追い詰められている。
自分でしっかりと結論を出して来い。
そう言われたのです。

恐ろしかった。
クビになる前に多少自分でやりましたが、
自分にとって、用もないのに事務所に顔を出すのは本当に苦痛でした。

なにをしていたらいいのかわからない。
事務所スタッフが仕事をしている中、自分はなにをしていたらいいのか?
全く分からずただ座っていた。
いづらくてしょうがなかった。

それを今度は、クビになった部外者という立場でやるのです。
ハッキリ言ってやりたくなかった。

でも、
「中途半端なままで次に気持ちを切り替えられるのか?」
これは本当にその通りでした。

大失敗をしてクビになって最寄駅に着くだけで苦しくなる事務所に行きたくない。
しかし、前の事務所に怯えたまま次に行く事もできない。
やりたくなかったけど、やらなければいけないと思いました。

自分の失敗と向き合わずに前に進む事はできないのです。

ここからもう一度、声優として仕事をするために
APHにある「仕組み」に沿って行動するのです。

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