「プロになるまでの全て!」Tさん編13

 

 

 

 

夏。
最悪な事態が起こってしまった。

父から「話がある。」と言われて、いつになく真剣な様子にびびった。
「お母さん、病院に行ってきたんだよ。余命、半年だって。」
癌が再発したらしい。
でも母の身体は、見る限りでは元気そうで、
死ぬって言われてもピンとこない。

余命なんか、嘘だ。
だって、まだこんなに元気じゃんか!
信じたくなくて、直面できなかった。

まだ旅公演が3ヶ月残ってる。
私の代わりはいない。
仕事をしよう。
そう決めて舞台に集中した。
逃げたのかもしれない。わからない。

旅公演中は、ホテルに着いたら、家族に連絡を取って様子を聞いていた。
こんな風に、家族と話すのは珍しい。
居るのが当たり前と思っているから、
普段、感謝をしてこなかったし、むしろ反抗ばかりしていた気がする。
だからか、家族と話すのが新鮮に感じる。

電話で声を聞く限り元気そうだから、安心して過ごしていた。
今の私に出来るのは、舞台に集中すること。
そう言い聞かせた。

冗談抜きで、母は死なないと思っていた。
外から見る限り元気。本当に。
死ぬ人じゃない。
いつまでたってもピンとこなかった。

でも、余命宣告をもらってから、
母は明らかに弱くなっていった。
それは精神的なものが大きかったと思う。

私が旅公演を終えて、家に戻ったころ、
母の身体が細くなっていた。

病院の帰り、一緒にお寿司を食べに行ったけど、
味がわからないと言って、イライラしていた。
他にも色んな事に、八つ当たりするようになった。
今考えると、明らかに抗がん剤のせいだ。

やっと自覚した。
母を助ける事を。(遅いぞー!)

代表にも相談をし、沢山助けて頂いた。
結構前にアドバイスを頂いていたけれど、
バカな私は、直面しきれていなかった。
けれども目の前の現実が、やっと私をその気にさせた。

 

 

まず、ある一定の温度のお風呂に入ることを勧められたので、
寝た状態のまま入れるお風呂を業者に頼んだ。
また、東日本大震災の時にも使われているアシストのやり方を教わり、
母の身体に触れた。
母が気持ち良さそうにしていたのを覚えている。

初めは、抗がん剤よりも治癒力のある正しいデータを、
家族にわかってもらう事自体が大変なんじゃないかと思っていた。

でも私の家族は、何でも受け入れてくれた。
私が直面できてなかっただけで、母は、助かるならと、
お風呂にも入ってくれたし、アシストも受けてくれた。
私がいない時は、ビワエキスを患部に当てて温めていた。

そして私はこれまで全くやってこなかった、料理をするようになった。
マジで、これは母のお手伝いをやってこなかった自分を恨む。
少しは、やれ。
最初、野菜の皮をむいて、切るだけなのにすごい時間がかかった。

そして、母のトイレ。
初めて母のお尻を拭いた。
その時、母がごめんねと言ってきたので、驚いた。
泣きそうになるのをグッとこらえて、
赤ちゃんの時は、私がやってもらったんだから、今度は、私の番だよ。
そう返した。
母は、そうよーと言わんばかりに頷いていた。

徐々に母は起き上がる事が出来なくなった。
子供のように振る舞う母を、私が、しっかりして!と叱る。
まだどっかで信じたくない。
それが態度に出ていた。
自分でできるでしょ!と突き放したりもした。
バカだな私は。

余命なんか、いらない。
癌は、治る。
2019年4月現在は、この時よりもそれがはっきりしてきている。
だから、本当のデータが世に行き渡ってほしい。
私が影響力を持ったら、正しいデータを必要としている方々に、伝えたいと思う。

その日、母は珍しく長いこと眠っていた。
父の帰宅時間にようやく目が覚めたので、
夢みてたの?と聞くと、こくっと頷く。
どんな夢かは、聞けなかった。

次の日、母は自宅のベッドで息を引き取った。
お母さん!って声に出して母の身体を揺らしながら、
なんかこれ、ドラマみたいだなって、他人事のように感じた。

代表に連絡をしたら、
深夜にも関わらず、電話で対応して下さった。
まだ、現実を受け止められなかったけど、
なんか大丈夫だと思えた。
代表が居て下さったから、私は不思議と怖くなかった。
代表、本当にありがとうございます。

全てのことは必要必然ベストなのだ。

本当は、もっと助けられたなと、思う。
色々、遅すぎた。
もっとこうすれば、ああすれば、
考え出したらきりがない。

それでも、密度の濃い修業の時間を過ごす事ができた。
本当に感謝。
お母さん、ありがとう。
そしてごめんね。

 

 

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