ボイスオーバー。基礎の重要性を感じました!

今日は某BS局のボイスオーバーです。
内容はある国の内紛を取材したドキュメンタリーで
とても硬派でハードな内容でした。

ボイスオーバーは基本的に、
ジャーナリストや一般人の言っている事を吹き替えるため
声優側の考えや感情を入れません。

トンデモ科学などの楽しい内容の時は
それを盛り上げる自由な芝居を使う事はあります。

今回は役者の私情を入れない固い内容でした。

この場合、ディレクターからの指示は
・ドラマチックにしない
・感情的にしない
・自然に喋る
あたりがよく出ます。

取材している人の考えはあるとはいえ、
見ている人に出来るだけ事実を伝えそれぞれに考えて欲しいからです。
ここで役者が感情豊かに演じてしまうと、
極端に考えを誘導することになってしまいます。

今回もそうでした。

自分は、取材される現地の人・他国の政治家・戦っている兵士と
それぞれに違う立場の人間を吹き替えます。

淡々と丁寧に言葉と内容を喋りつつ、
その人達の立場からの感情・考えを過剰にならないように乗せました。

このさじ加減が難しく、ディレクターとのやりとりで微調整をします。
仕事としてはこの作業が、楽しい!

内容は1ミリも楽しくない凄惨な内容ですが、
ディレクターとコミュニケーションをとりながら
芝居を作るのは楽しいのです。

手応えありです。
ここで個人レッスンの成果が出ました。

マイクに向かって真っ直ぐに楽に立ち、
ポジションの移動で音の高低を付け、
個人レッスンでやっている姿勢と身体の使い方を入れました。

安定した音で、柔らかく、力強く喋ることができました。
最近の中でもボイスだけなら会心の出来でした。

しかし基礎の恐ろしさを本当に感じたのはこの後でした。

メインのジャーナリスト役の方が喋れなくなったのです。

テストではとても腕のある人に感じました。
実際に海外ドラマなどの吹き替えなら
あのままOKが出たのではないかと思います。

しかし、
「抑揚をあまり付けず、自然に」
「力まずにもっと優しく」
とディレクターに言われていくうちに、
呂律(ろれつ)が回らなくなってしまったのです。

恐ろしい光景でした。

聞いていて良いと思っていた表現を全て剥がされると、
その人の基礎の弱さが出てきてしまったのです。

ゾッとしました。

改めて基礎の重要さを痛感しました。