外画吹替レギュラーのお仕事!ようやく再開

今日は外画レギュラーです。

 

一話からしばらく収録が止まっていたのがようやく再開されました。

何年も続くシリーズになってくれているので有難い限りです。

 

新シーズンになっていろいろと設定などが変わりました。

かなり劇的なストーリーの作品なので毎シーズン新しい作品になった感覚があります。

 

今シーズンは第一シーズンの頃のようなミステリー要素が強くなりました。

冒頭の導入ナレーションもやっているので、

ミステリー色強くシリアスさを出したい所です。

 

まず導入では自分の低めの音と声のざらつきを使っていきました。

後でマネージャーから

「もの凄い怖い感じになってた」

と言われたので思った方向にはできたようです。

 

最近の土曜セッションで自分の弱点である下半身など下の支えが強化されたのか、

以前のように息が抜けて音にならずコントロールできない所が少なくなったように感じました。

吸った息を掴める割合が増えたように思います。

 

下の支えが良くなったので、

セリフの方も小さく喋りつつも低めで音にしやすくなりました。

これを高音でも使えるようになれば…

強化していきたい所です。

 

そして今日から収録参加人数が10人くらいに緩和されました。

コロナが始まってから最大4人だったのが一気に倍になり、

人の多さにちょっと驚いてしまいました。

 

3年ぶりのマイクワークに少しビビりながらも、

共演者が出す熱と緊張感で自分もテンションが上がるのを感じました。

人付き合いが苦手な自分ですが、

芝居は共演者がいた方が圧倒的に良いと改めて感じました。

 

これから先、収録の形が元に戻るかは微妙ですが

この熱と緊張感を常に自分で出せるようにやっていきたいと思います。

ゲームキャラの声のお仕事!ワークショップからゲット!

去年参加したワークショップの成果がようやく出ました‼︎

ゲームの仕事をゲットしたのです‼︎

 

そのワークショップはとあるディレクターさんがやっている所で、

かなり前に一度オーディションでお会いしてから季節のご挨拶だけしていた所お誘いを頂きました。

 

当日使ったスタジオは今まで自分が行ったことのない所でした。

自分の仕事は海外ドラマの吹き替えがメインで制作会社もある程度同じ所からのものです。

 

そうすると使われるスタジオもだいたい同じような所になる傾向があります。

 

自分がよく行くスタジオは何というか…

昔から使われていた年季の入った所が多く味のある内装をしています。

 

今日のゲームで使うスタジオはブース内がかなり綺麗で座って収録するタイプでした。

普段はナレーションなどで使われているのかと思います。

 

かなり横長の木のテーブルでちょっと洒落たカフェのようでした。

スタジオが違うだけでこんなにも雰囲気が違うのが新鮮でした。

 

自分の役は嫌味な上司です。

自分のできる限りの高音とワークショップで面白いと言われた芝居を混ぜてやりました。

この役を作る時ある声優の方のイメージが浮かんだのでその人の芝居も参考にしました。

 

ノド声にならないようにギリギリを使いながらやっていましたが、

テンション上げて演じているとやはり無理をする所も出てきました。

 

やってみると参考にした方はこんなにエネルギーを使ってやっていたのかと驚きました。

見ていてとても面白い芝居はやはりエネルギーを使って作られている。

演じる側がヒーヒー言いながら限界までやってようやく面白いと思ってもらえる。

 

終わった後のクライアントとディレクターの反応は上々でした。

良かった。

特にクライアントはとても喜んでくれました。

 

メインの役は良い手応えでした。

次は他の通行人などです。

 

この通行人役。

二役振られていたのですが

先ほどのメインの役と行列に並んだ順番で揉めます。

二役とも。

 

そのシーン

自分と自分と自分で口論になる状況だったのです。

 

準備段階でこれはできるか⁉︎

とヒヤヒヤしていました。

通行人二役とも大きく偏ったキャラクターを作って行きましたがOKが出るかどうか⁉︎

 

と、思っていたら

現場で

「ほかの通行人役はちょっと本役と近すぎるのでほかの方にやってもらいます」

 

え?

あ、一応作ってきたんで一度やってみようかと…

 

「大丈夫です‼︎お疲れ様でした~」

 

…とりあえず自分の仕事はOKだったという事でしょうか。

一度試しに聴いてもらいたかった気持ちもあるのですが、

ホッとした気持ちも正直ありました。

 

次のチャンスには何か面白い芝居ができればと思います。

「プロになるまでの全て!」Yさん編22

APHでは芝居だけでなく普段からの立ち居振る舞いについても教わります。
代表からいつも
「外見は一番表に出ている内面だ」
と言われます。
この言葉の通り自分自身をどう表現するのか?どう伝わるか?を考えて
普段の服装から振る舞いに気をつけろという事です。

Sさんははパッと見ただけでそれを実行している事がわかりました。

サンプル収録後、飲み会がありました。
いつもは同期入所の新人とレッスンで会う以外
事務所の人と会う機会がなかったので初めて正所属者と話せる良いチャンスです。

飲み会の席でもSさんは凄かった。
話題から新人へのアドバイス、社長に対しても礼儀正しくしつつ
自分の意見をしっかり言える。
お酒にも楽しそうに付き合いつつ酔って崩れる事もない。

先にAPHで立居振る舞いについて教わっていたおかげで、
Sさんはそれを意識的にやっている事がよく分かりました。

言葉にすると簡単そうですが実際これを徹底するのは
だらしない自分には本当に大変です。
この時、これができている新人は当然一人もいませんでした。
自分はAPHメンバーに手伝ってもらって
服装だけは何とかできる限り気をつけていましたが、
もともとお酒が殆ど飲めない自分は
飲み会の立ち回りが全く分かりませんでした。
これはマシになったとはいえ今でも苦手です。

Sさんは上手く社長と新人の話を繋ぎつつ、
新人全員についてサンプル収録で感じた事を話してアドバイスしてくれました。
未だに自分の事ですぐ手一杯になってしまう自分から見てこれは凄い事でした。

APHで言われる事を実践していて仕事もバリバリやっているSさんは、
身近な目標であり尊敬する先輩になりました。
今でもSさんとは仲良くさせて頂いています。

この時のオーディションは残念ながら自分は受かりませんでした。

オーディションが終わってまたレッスンだけの日々がしばらく続いた後
ビックリする事がありました。

このSさんの事を自分と同じ新人が悪く言い始めたのです。

小さい事務所なので事務所兼レッスン場のような場所になったため、
台本の受け渡しで来る正所属の先輩と会う機会が増えました。
そこでSさんにアドバイスされた新人がそれを文句を言われたと受け取ったようです。

これには本当に驚きました。

内容はSさんが新人の女の子に
「普段着のような格好に見えるから衣装だと思って気をつけた方が良い」
という内容でした。

実際、現場に出てみると新人でなくとも
服装を自分のイメージを作るために拘っている人は当たり前にいます。
自分のスタイルとしてラフな格好をする人もいますが、
この時の自分や同期は現場に出てもいない新人、
言ってしまえばまだ素人同然の立場です。
当然芝居は未熟です。
せめて服装だけでも気を使い周りに
良い印象を持たれるようにというSさんからのアドバイスでした。

これを文句と言ったらSさんに失礼過ぎる。
そう言ってもその新人の子は全く理解してくれませんでした。

レッスン場でSさんと会う機会が増え飲み会になった時にも話しをする機会が増えました。
APHの教えからSさんの立居振る舞いや
アドバイスについて心底尊敬できるようになっていたので、
感謝の気持ちをできるだけ伝えるようにしました。

するとSさんは自分ととても嬉しそうに話をしてくれるようになりました。
そして
「良かれと思って言ってるんだけどね。なんか怖がられちゃうんだよね」
と寂しそうに言っていました。

この時、Sさんの言っている事を理解していたのは
自分と同期のもう一人しかいませんでした。
APHで教わっていなければ
自分もあんな風にSさんに対して失礼な態度を取ったかもしれない
と思うとなんだか情けなくなります。

そうやってSさんと仲良くなってしばらくしてから、
ボイスオーバーの仕事が自分に来ました。
今回は自分が使えるのかお試しという事でギャラはなし
で、という物です。

 

「プロになるまでの全て!」Yさん編 記事一覧

「プロになるまでの全て!」Tさん編19

これは、予想していなかった。

うちのような小さい事務所に吹替の仕事が丸ごと任される。

キャスティング権がある。

今思うとこれは、声優業界の仕組みが壊れてきた序章だったのかもしれない。

とにかく、予算がない。

それなりに仕上げてもらえたらそれでok。

そういう会社が業界を牛耳る時代に変わり始める前兆だったのかもしれない。

突然社長から話が有り、私が主演の男の子役に決まってしまった。

吹替は、大きな声優事務所に入らないとできないと思っていた仕事だった。

でも、今、下の層に・・・

大手事務所に入ることができなくて、

でも声優を諦めきれない人たちがワンサカいる地帯に、こうしてチャンスが巡ってきた。

これは思ってもみなかった。

この現象は嬉しい反面、吹替の仕事って、

もっとレベルの高い場所にあるんじゃなかったっけ?と不思議だった。

主演・子役といえば、
私のイメージだとシックスセンスやホームアローンやレオンが思い浮かぶ。

もちろん、今回携わるのはメジャーの作品ではない。

B級ホラーだ。

それでも手の届かないと思っていた「吹替現場」に私がいる。

実力もない私がBQホラーの主演、少年役を演じる。

ずっとやりたかった声の仕事。

素直に嬉しかった。

事前に台本を頂き、当日は小さなスタジオで収録。

いや、本当のことを言えば、あれはスタジオではない。

もちろん機材やブースや控室まできちんと整っていて、収録には申し分のない場所だ。

でも・・言いたくないけど・・ここは自宅兼スタジオのようなところだった。

私が思い描いていた「現場」じゃない。

私が想像していた「現場」から程遠い。

やりたかった仕事をしているはずなのに、なんか納得いかない。

仕事に恵まれない人も大勢いるのに。

これはとても有難いことなのに、今、ここで頂く仕事に不満を抱いている。

私が行きたいのはメジャーだ。

きっと今の事務所にいたら、これからも吹替の仕事に携わることはできるのだろう。

安いギャラだけど経験を積む事はできるのだろう。

でもここで止まるわけにはいかない。

もっと上に行きたい。

同じ「主演」「吹替」っていう言葉なのに、
私が行きたい場所と、今いる場所が全然違う。

私は「メジャー」にこだわりたかった。

この小さな事務所で留まり続けるわけにはいかない・・。

もう一個上のランクの事務所に行かなくては。

辞めようかどうか迷っているとまたチャンスが巡ってきた。

今度は、海外アニメの吹替だった。

ずっとやりたかった子供向け番組。

事務所は前回と違って、外部にも宣伝をしてオーディション形式をとった。

同じような境遇の女子たちが、沈黙の中で、
受かりたいという闘志で空間を埋めて独特な臭いをさせる。

私はこの事務所の人間だから「受かる」と、信じ込んでいた。

バチバチする静寂の戦いに、優越感すら感じた。

結果は、不合格。

なめていた。

所詮、私はこの程度のレベルだった。

実力も。そして、考え方も。

この私を落とすなんて信じられない!

この低レベルの争いに負けたなんて!

冷静じゃない私の本音が止まらない。

事務所、やめちゃえ!

「プロになるまでの全て!」Tさん編 記事一覧

「プロになるまでの全て!」Yさん編21

代表からの教え、Dさんの手助け、
そして両親から養成所資金と周りの力を借りて
ようやくできたばかりの小さな事務所に入る事ができました。

できたばかりの事務所なので当然どこかの制作会社と
強いパイプがあるわけではありません。
自分だけでなく事務所ごと一からという状況でした。

どうやら小さなゲームのオーディションは来ていたようです。
どうやら、というのはそのオーディションには自分は参加できなかったからです。

面接の際、Dさんの強力な後押しで事務所に入る事はできましたが、
どうもB社長には自分の芝居はいまいち良く思われていないようでした。

事務所内のレッスンにお金を払って毎週通うだけの状態です。
このままでは養成所と何も変わりません。

ここでも養成所の時頂いた、代表のアドバイス通り
そのレッスンの講師に「自分は使える」としっかりアピールする事から始めました。

幸い講師は入所に力を貸してくれたDさんです。
ここでもAPHで教わった事を全て注ぎ込んでいきました。

その間、自分より10才以上下の子達が
「オーディションがあった」
「モブキャラの仕事もらった」
と話しているのを横で聞いていました。
悔しかった。

しかし30才で新人扱いの自分と20才の新人ならオーディションは
若い方に行かせるのも当然と言えば当然です。
 

自分はとにかく講師のDさんからB社長に自分の良い評価を伝えてもらい
「アイツを使った方が良い」
と思わせる必要がありました。

毎週思いつく限りできる事をレッスンでやり
ちょっとした受けを取るためにモノマネもやりました。
養成所の時のようにDさんからの評価は上々です。
しかし結果には繋がらない日々が続きました。

その間にも他の若い子達はオーディションに行っているようでした。
「自分だったらそのオーディションに通ってみせるのに」
オーディションの内容も知らないのにそんな事ばかりいつも思っていました。

だいたい社長は基本的にレッスンを見には来ない。
Dさんへのアピール以外方法はなかったのです。

結果が出ない間折れずに頑張れたのは、講師のDさんから
「Bにはちゃんとお前が良いった言ってるんだけどなぁ。
アイツ俺の意見聞かないんだよ。ごめんな」
という評価があったからでした。
講師という立場のDさんからのこの言葉はとても励みになりました。
本当に有難うございます。

そしてもう一つ、代表からずっと
「世間は良い物をけっして放ってはおけない」
という言葉を言われていた事が大きかった。

若い子がオーディションに通らなかったり良い評価が出ない事が続けば
必ず講師の評価が高い自分にチャンスが回ってくると思えたのです。

約半年後、
ようやく自分もオーディションに参加する事ができました。
事務所で使うレッスン場でサンプルを録音しました。
そこには事務所の先輩になるSさんがいました。

Sさんはもともと自分が所属試験に落ちた事務所にいて、
そこが分裂した時B社長と一緒に移籍して来た方でした。

そのサンプル収録でSさんを見た時に
「この人は凄いな」
と感じました。

「プロになるまでの全て!」Yさん編 記事一覧

「プロになるまでの全て!」Yさん編20

「何だ?」

するとまた揺れが始まりました。
まるで船が揺れるようなゆっくりとした大きな揺れでした。
周りの客も店員さんも携帯やテレビを見ながら動揺しています。

これはただの地震ではありませんでした。
東日本大震災です。

テレビで流れるあまりの被害状況に

「実家は大丈夫か!?」

と慌てて地上に出て電話をかけました。
実家は繋がらない。
何かあったのか?
父の携帯にかけました。

「どうした?」

拍子抜けするほど呑気な声で父が電話に出ました。

幸いな事に実家のある県はほとんど被害がなかったのです。
父は自分から地震の事を聞いて驚いていました。

とりあえず実家が無事だったので安心しましたが

サンプルが録れない。

これは不味い。
とにかく揺れが収まるのを待って何とか収録を終えました。

アパートに帰るとテレビ台の上のCDが床に散乱していましたが、
他に被害はありませんでした。
しかし切羽詰まっていた自分の精神には大きな影響があったのです。

数日後、必死に仕上げたサンプルを持ち待ち合わせの場所に向かいました。

その時

「こんな日本全体が大変な事になっている時に自分はこんな事をしていて良いのか?」

という考えが浮かんできました。

なぜか不謹慎な事をしているような気がして突然不安になったのです。
大地震による被害をテレビで見てショックを受け精神的に揺らいだ所に、
新しい未知の領域に入る時の不安が襲ってきたのだと思います。

自分がとてもおかしな事をしているような気になり急にとても怖くなりました。
しかしここで
以前台風の時に代表が言った言葉が急に浮かんできました。

「俺達は大変な目にあってる人がいるこんな時にも芝居をするんだ。
せめて恥ずかしくないよう精一杯やろう」

「ああ、そうだ」
自分は腹が決まりました。
大変な時だろうが何だろうがやりたいんだ。
大災害が来ているのに自分のやりたい事をやろうとしてるのだから、
せめてやれる事を全て全身全霊で精一杯やろうと。
気持ちを何とか持ち直し、待ち合わせの場所に向かう事ができました。

B社長との面接場所は新宿のコーヒースタンドでした。

B社長の前に自分が座り、その横にDさんがついてくれました。
APHメンバーにCDプレイヤーを借りその場でサンプルを聞いてもらいました。
B社長は最後まで無言で聞いていましたが、
終わった後に「なるほど」と言ってタバコを吸い始めました。

自分は何も言えずジリジリと焦っていました。
事務所に入れるのかどうか?聞きたくてしょうがない。
しかし言葉が出ない。

そんな時、Dさんが口を開きました。

「で、コイツはいつから入れるの?」

「あぁ、そうだなぁ…4月からかな」

B社長が答えました。

ん?
入所が決まった?
すぐには理解できませんでした。
あまりにもアッサリとした会話でピンときませんでした。

そこからDさんとB社長との世間話が始まり、
それを聞いているうちにジワジワと実感が出てきました。

所属が決まった。

声優事務所に入ったのです。

何も言えない自分をDさんが押し込んでくれたのです。
本当に感謝してもしきれません。

養成所に入ると決めた時から奇跡の連続で綱渡りのように、
代表、両親、Dさんの力を借りて
ようやく声優として新しいスタートラインである事務所所属まで辿り着きました。

今思い出しても本当に有り得ない事の連続でした。
自分の力だけでは到底無理だったと思います。

APHでは芝居・物事の仕組みを教わります。
この仕組み通りに全力でやっていくと必ずどこかで道が開けるのだと強く実感した瞬間でした。

「プロになるまでの全て!」Yさん編 記事一覧

「プロになるまでの全て!」Yさん編19

親に土下座をしてお金を出してもらい、
APHで代表、メンバーにたくさん助けてもらった結果が不合格。
自分は終わったと思いました。
実家に帰って何をしようか。
30からできる仕事はあるのか。
でも芝居以外何の技術もない自分がどうやって。
などと考え始めていました。
しかし

「俺はどうしても終わったとは思えないんだよな」

「まだ何かある気がするんだ。思い当たる事はないか?」

と代表に聞かれました。

行くあてがなくて養成所からやり直し不合格になった自分に聞かれても…と思っていましたが、
ふと元講師Dさんの言葉を思い出しました。

「そう言えば講師だったDさんからこんな事を言われました。
結果だけでも教えてくれ、と」

「それだ!!!!!!」

電話口から代表の力強い声が響き自分の耳に突き刺さりました。

「それだ!!今すぐ連絡しろ!!早くしろ!!」

Dさんからはただ結果を教えてくれと言われただけです。
なんで代表がこんなに急かすのか全くわかりませんでしたがとにかく連絡してみる事にしました。

時間は夜の7時か8時くらいだったでしょうか。
Dさんはすぐに電話に出てくれました。

「お~久しぶりだな。どうした?」

自分は以前にDさんに言われた通り結果を伝えるために電話した事を伝えました。

「ああそうか、結果出たか。どうだった?」

「ダメでした」

「え!?…そうか~俺はお前なら行けると思ったんだけどなぁ」

「申し訳ありません…」

「ならBが新しく作った事務所に行くか?
できたばっかりで上手く行くかはわからないんだけど」

 
Bとは通っていた養成所を運営していた事務所の元社長。
養成所二年目に入る時、所属声優半分と一緒に辞めていったB社長の事です。
そのB社長が辞めた声優の一部と一緒に新しく事務所を立ち上げていたのです。

「そこはまだ所属人数が少なくて役者を探してるから良ければ俺が紹介するよ」

思いもよらない展開になりました。

結果を報告するだけのはずが新しい道が開けたのです。

「Bに聞かせるサンプルを用意しといてくれ。Bに会う日が決まったら連絡するから」

Dさんとの電話が終わった後、代表に報告しました。

「な!言った通りだろ!!」

まさかこんな事になるとは思ってもみませんでした。
しかし代表は今までの経験から必ず道はあると感じていたそうです。

こうして実家に帰る寸前から
代表のアドバイスとDさんの力によって
事務所に入るための新たな道を見つける事ができたのです。

所属試験に落ちたドン底から新しい道は開けましたが、
まだ決まったわけではありません。

B社長に聞いてもらうサンプル作りを必死に始めました。

B社長に会う日も決まり、サンプル製作も終わりに差し掛かった頃
思いもよらない大事件が起きました。

その日、自分はとある地下の貸しスタジオでサンプルの収録をしていました。
するとギィ~っと軋むような音と共にブースが揺れ出しました。

「録音中に地震か!?ノイズが入る!!」

揺れが収まったので収録を再開するとまた揺れ出しました。

イライラしました。
今自分は大事な時なのにこんな邪魔が入るなんて!!
揺れが収まるのを待っているとブースのドアが開き店員さんが来ました。

「一旦ブースを出て避難してください!!」

かなり慌てた様子でした。

「大きな地震だったのかな?」

ロビーに出ると、そこにあったテレビに映っていたのは黒煙を上げているどこかの施設でした。

「プロになるまでの全て!」Yさん編 記事一覧

「プロになるまでの全て!」Yさん編18

養成所は基礎科と本科の二年制。
一年はあっという間に過ぎました。

そして本科に上がった直後、思いもかけない事が起こりました。

なんと養成所を運営している事務所の所属声優の半分が辞めたのです。

しかも

自分がこの養成所を選んだ理由でもあった有名声優やベテラン声優達が、
さらに事務所の社長までも辞めたのです。

耳を疑いました。
そして激しく動揺しました。

なぜこんな事になったのか?
社長が辞めたってどう言う事?
この事務所は大丈夫なのか?
養成所に影響は?

今さら別の所にも行けません。
自分はもう一年頑張るしかない。

ここで自分を褒めてくれていた講師の一人である現役声優Dさんも辞めたため、
担当の講師が変わりました。
この時Dさんから、
「最後まで面倒見れなくてすまない。結果だけでも教えてくれ」
と言われ連絡先を渡されました。

ここまで気にかけてくれるのを有り難いと思いつつ、
自分を評価してくれていた人がいなくなる事に大きな不安を感じました。

このDさんの言葉が後々大きな意味を持ってきます。

しかしこの時は、
「またゼロからアピールし直しか!?」
と残りの授業と新講師を攻略する事で頭がいっぱいでした。

幸いというか当たり前というか、
APHで教わった事は新しい講師にも同じように評価されました。
自分は本科の一年も圧倒的、ダントツのトップで居続けたのです。

養成所の二年目も終わりに近づき、
所属試験が間近に迫りました。
養成所内でも誰が有力かという話題が尽きませんでした。

生徒の中でも、自分は所属有力候補のトップという扱いでした。
自分自身もそう思っていました。

しかし所属試験が終わり結果が封書で届くまで、
とてもとても不安でした。

確かに圧倒的、ダントツのトップで居続けました。
でも年齢がもう30になる。
それを事務所側がどう捉えるか。

毎日ポストを覗く時、汗がドッと溢れました。

そしてとうとう
結果が届きました。

自分はどうしても落ち着かず、
部屋を出て駅までの道を歩きながら封筒を開けました。
何か悪い予感がしたのか、ただの不安かはわかりません。
とにかく部屋では息が詰まりそうだった。

封筒の中には紙が一枚入っていました。
厳正な審査の結果とかよくある言葉が並んだ後

「不合格」

と書かれていました。

頭が真っ白になりました。
何も考えられませんでした。
前の事務所に戻るために夜の道端で社長に頭を下げた時と同じ感覚です。
しばらく記憶が飛びました。
そうやって道端で呆然としていましたが、
代表に報告する事を思い出し電話をかけました。

「ダメでした。申し訳ありません」

代表に自分の言葉で伝えた事でようやく実感が湧いてきました。

落ちた。

ダメだった。
 

「プロになるまでの全て!」Yさん編 記事一覧

「プロになるまでの全て!」Yさん編17

実家に戻る道中の事はとにかく緊張していたのを覚えています。

父に真剣に頼み事をする事自体初めてでしたし、
断られたらどうしようかという不安もありました。

実家に着くと、いつもの通り母が迎えてくれました。
父は厳しい顔をしていました。

どう切り出したらいいのか?
悩みました。

スムーズに話を持っていく話術は自分にはありません。
APHに来るまでは反発していただけです。
考えても何も良い方法は出てきません。

正面から、正直に、
誠心誠意頼むしかない。

自分は父の前で人生初の土下座をしながら言いました。

「養成所に行くためのお金を貸して下さい」

父は驚いた後、
「もう諦めて帰って来い」
と言いました。

「まだ自分はやり切ってない」
「今のままでは終われない」
「最後のチャンスを下さい」

自分はそんな事を言ったと思います。

自分の言った事はうろ覚えですが、
その時に見た父の顔は今でもよく覚えています。

厳しい表情ではありますが怒っているのではなく、
困ったような顔をしていました。
その表情は忘れられません。

しばらく黙った後、父は

「どうせダメだろうし、これで無理なら諦めもつくだろう」

と言ってお金を出すと言ってくれました。
母は「良かったね」と言ってくれました。
この時、代表が言っていた事を実感しました。

父は本当に自分の事を心配してくれていると、
初めて自分で感じる事ができたのです。

お金を貸してくれるまで頼み込むつもりではいました。
しかし父が徹底して拒否して借りられないかもしれない。
そうなったらどうしよう。
どうやって養成所に行けばいいのか。

ずっと自分の事ばかり考えていた自分は、
代表に説明され、実際に父の想いを感じた事で、
少しだけ自分以外の人の事を考えるようになりました。

自分のやりたい事を諦められない。
でも両親を心配させたくない。
それを両立するには声優として食べていけるようになるしかない。
先ずは何としても養成所に入らなくては。
そう強く思いました。

こうして養成所の資金を用意する事ができ、
入所試験を受けた結果、
自分でネットで探してきた養成所に合格しました。

自分のバカな行動で失敗し所属事務所をクビになり、
諦めきれずまた当てもなくさまよってTさんのおかげでAPHに辿り着き、
代表、メンバーの励ましやアドバイス、
そして両親の力も借りてようやく、
やり直すための一歩を踏み出す事ができたのです。

さて、わかってはいましたが養成所に入ってみると若い子達ばかりでした。

自分と10歳も違う。
ほとんどが18から20代前半。

若い!!

養成所の授業で強烈な場違い感を味わいました。
しかしこんな事は初めからわかり切っていたのです。
怯んでなどいられません。

自分は授業で誰より積極的にアピールして行きました。

代表からの指示は

「圧倒的、ダントツのトップでいる事」

それを実践するためAPHで教わった事を全て注ぎ込みました。

APHで教わった事は面白いくらい効果を発揮しました。
自分のクラスを担当してくれたのは現役の声優二人でした。

そのどちらもがAPHで教わった事を実践すると

「面白い!!良いね!!」

と言ってくれるのです。
自分は代表の指示通り、
圧倒的、ダントツのトップになりました。
全くの未経験か、小劇団にいたくらいの人達です。
APHで教わった自分には負けると思う相手はいませんでした。

「プロになるまでの全て!」Yさん編 記事一覧

「プロになるまでの全て!」Yさん編16

事務所の養成所と
ネットで探した養成所の二箇所に絞り込み試験を受ける事にしました。

さて
養成所に行くと決めたものの、
そのためには大きな大きな問題がありました。

そうお金です。

お金を払わないとどこにも入れません。

本気で声優になる為に養成所に行くなら、
選択肢は

・バイトして貯める

年齢的に時間の余裕がないのです。

・消費者金融からの借金

これ以上増やせません。

もう自分にとって最後の手段しかありませんでした。

親からの借金です。

この方法は選びたくなかった。
別に親に迷惑をかけたくないとか、そんな良い理由ではありません。

この頃の自分は、
父親と死ぬほど仲が悪かったのです。
というか自分が徹底的に父親を拒否していました。
だから意識的にこの選択肢を排除していました。

自分の父はサラリーマンでした。
父は大学に行きたかったらしいのですが、それを諦め就職し家庭を持ちました。
そういった経験からか、
自分が子供の頃には漫画家という夢を
高校卒業、専門を出た後からこの時点まで声優という仕事を

「そんな夢みたいな事を言ってないでちゃんとした仕事をしろ」

と父は全否定してきました。

専門に行く時は、
勉強を放棄して現実的に大学に行く点数を取れない状態になる
と言う恐ろしく後ろ向きな方法で、
専門しか行き先がないと父を諦めさせました。

ちなみに姉は、父の出した厳しい条件を全てクリアして好きな道に進みました。
えらい差です。

自分はこの時からずっと父に反抗して反発してきたのです。
借金も父に弱みを見せたくなくて作ってしまいました。
父に頼るくらいなら借金した方がマシだと思ったのです。
本当にバカです。

他の選択肢は今までの自分の行動で潰してしまったので他に現実的な手がありません。
声優になるためにどうしても今養成所に行きたい。
しかし自分の夢を全否定してくるような父に、
「頭を下げて頼む」というのが嫌で嫌でしょうがない。
でも養成所に行きたい。

そこから良い考えが浮かばず行き止まりになってしまいました。

その気持ちを代表に話すと、
「お父さんがどんな気持ちで反対しているのか考えた事があるのか!!」
と叱られました。

代表にこう言われても自分ではハッキリ理由がわかりません。
自分は真面目に考えた事がなかったのです。
反抗する息子に対する嫌がらせか制裁かくらいにしか思えなかった。

「お前の事が心配だから安定した仕事についてもらいたいと思ってるんだろ。
お父さんはなにも間違った事は言っていない。」

自分はこの時まで、父を敵だと思っていました。
自分の夢を潰そうとする敵だと。

しかし代表から、
なぜ父が強く反対するのかと懇々と丁寧に説明されて初めて理解しました。

「反対してても専門学校のお金を出したのは誰だ?」

確かにそうです。
本当に夢を潰そうとするならお金を出さなければいい。
しかし父はお金を出してくれました。
当時は進学のお金を親が出すのは当たり前だとしか思っていなかった。

父は電話をかけてきては、
「風邪ひいてないか?飯は食べてるか?」
と心配してくれました。

電話の度に「諦めて帰って来い」と言ってはいても、
いつも自分の事を心配する言葉が必ずありました。
それをずっと聴いていたのですが、
父を敵だと思っていた自分はその心配の言葉をすっかりなかった事にしていました。

「親が子供の心配をするのは当たり前だろ」

自分は代表に言われて初めて、
父がどんな気持ちでいたのか理解し始めたのです。
ここで初めて、親に借りるという選択肢が生まれました。

代表から、
プロになって利子を付けて返す覚悟で頼んでみては?
と提案されました。

今、他の選択肢はない。
代表の言葉で父への考え方が変わった自分は、
親からお金を借りるために実家に戻る事を決めました。

実家に戻る道中の事はとにかく緊張していたのを覚えています。

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